楽天の三木谷浩史・会長兼社長とハーバード・ビジネス・スクールのセダール・ニーリー教授(撮影:梅谷秀司)

社内の公用語を英語にする――。2010年の年頭スピーチで三木谷浩史・会長兼社長がそう宣言してから早8年。楽天社内の様子は着実に変化している。

約2年間の準備期間を経て、楽天が本格的に英語を社内で公用語化したのは2012年。当時は業界を超えて大きな話題となった。現在は会議や資料など、社内のやり取りはすべて英語を前提に行われている。また、昇進にはTOEIC基準点のクリアを条件にするなど、人事評価の面でも英語を重要視する体制を築いた。

2015年には楽天社員(単体)のTOEICスコアの平均が800点を突破。現在はこれが830点に達している。今や70以上の国・地域からの外国籍社員が働いており、その割合は全社員の2割に当たる。人数ベースでは、英語化前の2010年の20倍となった。新規に採用しているエンジニアに限っていえば、7〜8割が外国籍社員だという。

3つの社員タイプごとに分析

一定の成果を出している楽天の英語化だが、「最初のうちは苦戦した」(三木谷氏)という。そこで三木谷氏が頼ったのが、ハーバード・ビジネス・スクールで経営学を教えていたセダール・ニーリー教授だ。グローバル化と言語について研究していた同氏に、三木谷氏からコンタクトをとったのがきっかけだった。

その後はニーリー教授の学術的アプローチを楽天の英語化戦略に落とし込んでいった。ニーリー教授自身が650人に上る楽天社員に直接インタビューし、さまざまな社員群の心理を分析。これを基に社員たちが求めているサポートを把握し、会社としてできることを検討していったという。

ニーリー教授の著書『英語が楽天を変えた』(河出書房新社刊)では、この分析の過程や結果を「3つの楽天社員群」に分けて解説している。その3つとは、「日本で働き日本語を母語とする社員(言語的疎外者)」「欧米で働き英語を母語とする社員(文化的疎外者)」「アジア、アフリカなどで働く英語・日本語以外を母語とする社員(二重疎外者)」だ。

実際、さまざまな発見があったようだ。英語化後に最も活躍するかと思われた英語圏の社員(文化的疎外者)は、英語が”水路”となって押し寄せてきた楽天の社内ルールや企業文化に疲弊した。言語と文化、両方のハードルを課されたアジアやアフリカ出身の社員(二重疎外者)は、英語化に対する覚悟が固まっており、順応性が高かったという。こういった状況を把握しながら施策を進めたことが、英語化成功のカギとなったようだ。

楽天の英語化の事例は世界各国の大学、ビジネススクール向けのケースワークとしても人気が高まっているという。英語化の8年で楽天は何を得たのか。その経験がこの先の組織運営にどう生きるのか。三木谷社長と、二ーリー教授にじっくり聞いた。


――英語公用語化」は、イコール「社内文化の欧米化」だと考えていましたが、この本を読んで、楽天の場合はそうではなかったというのが驚きでした。三木谷さんが最初に英語公用語化に舵を切ったとき、3つの社員群(言語的疎外者、文化的疎外者、二重疎外者)それぞれへの影響をどれくらい想定していましたか。

三木谷浩史氏(以下、三木谷):社内公用語を英語にするというのはすさまじく大変なことだろうと想像していたので、始めるときは、あまり深く考えないようにしていた。あまり考えすぎると最後の一歩を踏み出せないと思ったので。とりあえず旗を立てると。


楽天の三木谷浩史・会長兼社長(撮影:梅谷秀司)

――社員への影響について、全体像が見え始めたのはいつ頃ですか。

三木谷:なかなか最初のうちは苦戦したので、ニーリー先生に応援を頼んだ。彼女が本当に、何百人規模という社員インタビューをしてくれて、やっと全体像が見えてきた。

英語化は組織の国際化ではない

――中でも、英語を母国語にする社員への影響は意外なものでした。なぜ、英語化と一緒に企業文化も欧米化する道をとらなかったのですか。

三木谷:逆説的だが、僕はもともと、日本の企業カルチャーを全世界的に浸透させるために楽天の英語化を推進した。組織を国際化するのではなくて、日本の仕事のやり方とか文化をメインにして、世界中のサービス会社に浸透させていけば、きっと成功するだろうと。そういう考えが基本的な仮説としてあった。

セダール・ニーリー教授(以下、ニーリー):三木谷さんの言う通り、企業文化が各国の文化を超える形で応用されたという点が非常にユニーク。多国籍企業にとっては、グローバルの企業文化が非常に重要だ。企業文化というのは団結の源になる。言語が統一されれば、アメリカ、ドイツ、フランス、インドなど、どこの人でもその企業文化をフォローしていける。

――文化的統一を図るとすると、どの国の企業文化を選択するかという判断が必要かと思います。グローバルカンパニーになりたい会社の多くは、言語と一緒に、企業文化ごと欧米化する道を選ぶ傾向にありますが、なぜ楽天は日本文化を選んだのでしょう?

三木谷:理由のひとつは、チームワークが得意であること。個人主義ではなく、全体を考えて動く。あとは企業倫理的、社会貢献的な考え方が非常に強いことも挙げられる。われわれでいうと「(個人や商店の)エンパワーメント」ということをつねに念頭に置いている。

もう一つ僕が常日頃思っているのは、日本文化というのは、最もほかの文化を吸収し、受け入れやすい文化ではないかということ。食べ物にしても、ラーメンとか、カレーとか、他国の文化を取り入れつつ日本風にモディファイされたものがたくさんある。実は日本こそが、ユニバーサルで、ダイバーシファイドな(多様化し得る)社会の下地を持っていると。そういう日本で生まれた企業自身が、国をまたいでリーダーシップをとっていければいいと思う。

二ーリー:日本には「おもてなし」の言葉があるし、これが実践されている場面を見られるのは、私にとってとても興味深い。日本文化は非常にエレガントで、細かいところもきちんとしている。美的感覚があり、規律も取れている。ハーバードビジネススクールでは、すべての学生に対して日本で実践されている「カイゼン」などについての授業を行っている。

――欧米の社員が日本企業的な文化を嫌って楽天を辞めてしまったり、そもそも入社すること自体をためらったりする懸念はありませんでしたか?

三木谷:どんな優れた企業文化を持つ会社でも、それが万人に受けるというものはないだろう。加えて、われわれが求めているのは非常にベーシックなことだと思っている。すごく特殊な文化を押し付けようというわけでもない。簡単にいえば「ものごとを徹底してやろうよ」という文化なのであって。逆に言うと、そういうマインドセットがない人でないと、どの国の人かに関係なく、なかなか成長を遂げられないのではないか。

――実際に英語化を始めてみて、想定通りに行かなかった点はありますか。

三木谷:当初は営業やマーケティングといったビジネスサイドの社員より、エンジニア社員のほうが先に英語を身につけるのではないかと思っていた。でもふたを開けてみると、エンジニア社員の学習パフォーマンスが最も悪いという結果だった。これは普段触れているプログラミング教材などが全部日本語のものだからかもしれないし、そもそも(教科としての)英語が苦手だから理系に進学するという傾向があるからかもしれない。


セダール・ニーリー教授:ハーバード・ビジネス・スクールの経営学教授。専門は組織行動学。おもにグローバル企業の社員が国や言語の境界を越えて協働する際に直面する課題について研究している。

二ーリー:エンジニア陣に限らず英語を苦手とする役員・社員は多くいた。彼らに効果的だった施策はいくつかあるが、メッセージングや強いリーダーシップがカギになった。英語化開始から間もないころ、三木谷さんはほぼ毎週、英語化やグローバル化の重要性を社員に説いた。リーダーが長期にわたり、頻繁に、同じメッセージを発信し続けることは特別なことだ。楽天は精選した多くの英語習得プログラムを惜しまずに社員に提供したが、こういった社員サポートのために費用をかけるには強いリーダーシップが必要。三木谷さん自身が率先してロールモデルになったのも大きかった。役員の評価面談や1対1の会話も徹底的に英語化した。

楽天がここまでやれた背景

――英語化に失敗した企業もたくさんあるとのことですが、楽天がここまでやれた背景には何があったのでしょうか。

二ーリー:もっとも大きいのはリーダーシップだ。打ち出した方向性に自信を持って、そのプロセスを続けていくのが大事だと思う。そのためには勇気が必要だし、リーダーがビジョナリー、先見の明があるようでなければならない。三木谷さんはこれらの点を兼ね備えている。公用語を変えるというのは非常に時間がかかる、胆力のいる仕事だ。最初に三木谷さんに会ったとき、「これは時間がかかる仕事になりますよ」と話したが、彼はそのことをよくわかっていたし、それでもやるという覚悟ができていた。

ほかの日本企業、アジア企業も、同じように英語化をぜひやるべきだと思う。しかもそれを迅速に、攻撃的な形でやっていかなければならない。リーダーたちの多くは、山は見えていても、山の向こう側が見渡せていないと感じる。本当に経営に必要なのは、山の向こうを見ることではないか。

――これから10年、20年先の楽天を考えたときに、英語化、あるいは新しいテーマとして挙げているデータ化やデジタル化をもっと強く進めるために、今あるプロセスのどこを伸ばし、どこを修正すべきと考えますか?

二ーリー:実はすでに、三木谷さんとその話を始めているところだ。英語化の取り組みはかなり長くやってきたが、急速にやる、大胆にやる、トップダウンでやる、システム化する、という4点の重要性を強く認識した数年間だった。ここからは、これらすべてをより磨き上げていく必要があると思っている。

デジタル化は今、歴史が始まって以来最も速いスピード、産業革命よりずっと速いペースで進んでいる。ここにさらにフォーカスしていかなければ、企業として生き残れない。楽天の場合、幸いにして英語化の経験から得た全社的な学びや成功体験がある。これはデジタル化を推し進めるうえでもかなり有利になるし、ほかの企業の先を行っている。

三木谷:僕も、英語化なくしてグローバルの成功はないと思っている。アセンブリのハードウェアで勝負できる時代は終わっているし、あらゆる技術、サービスの進化が早くなっている中で、どんな業態であれグローバルコミュニケーションが必要になった。そもそも日本人は皆、学生時代に何千時間も英語を勉強しているわけで。それを考えれば、英語かなんてそんなに難しいことではないはず。ここから10年後、20年後、楽天がさらにグローバルな組織になる中で、英語化もさらに完成形に近づいていくだろう。


ニーリー氏の来日に合わせ、楽天では社員向けの講演会や役員向けにケースワークを実施。終始英語で活発な議論が交わされた(記者撮影)

すると今度はやっぱり、デジタル化。これによって世の中が抜本的に変わっていくと思うので、デジタル化を全社的に進めるための策を練っている。英語化はあえてあまり考えずに始めたが、今回は前よりは少し考えたうえで進めていきたい。プログラミングだけでなく、データサイエンスや統計の知識が付くと、考え方が根底から変わってくる。そういうものを、これから半年くらいかけてプランニングしていきたい。

楽天というケーススタディ

――楽天の英語化の事例は世界の140以上の大学で取り上げられているとのことですが、教員や学生は具体的にどういう部分に関心を寄せているのでしょう?

二ーリー:この事例は、企業における言語と文化のグローバル化を真正面から検証した最初の実例といえる。ハーバードビジネススクールに人を送ってくるような企業は、まず楽天のようなグローバルなマーケットプレイス企業に関心が高い。それから、非常に大胆で過激なトランスフォーメーションを行った事例であることも大きい。変化を起こしたときに社内ではどんな反応・反発が起こるか、どんな選択をしていけばいいか、どういう戦略を立てればいいか、どういう実行のプロセスが望ましいか。そういうことを学ぶ格好の機会だ。

もう1つ付け加えると、楽天という企業が世界的ブランドとして知名度を上げてきているというのもある。数十億単位の人がFCバルセロナのユニフォームに入っているロゴを目にしているのだ。実際、楽天のケーススタディを教えてほしいと要望をもらうことも増えた。そういう意味でも非常に人気の高いケーススタディになっていて、英語化の一部をお手伝いした私としてもうれしい限りだ。