「「言論の自由」は尊いが、極右SNS「Gab」の存続は許されない」の写真・リンク付きの記事はこちら

ソーシャルネットワークの「Gab」が2016年にサーヴィスを開始したとき、そこでは言論の自由が叫ばれていた。創始者のアンドリュー・トーバは『WIRED』US版との当時のインタヴューで、「オンラインでのオープンかつ理性的なやりとりを促進したい。人々のなまの声だ」と話していた。

ペンシルヴェニア州ピッツバーグでシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝所)の襲撃事件を起こしたロバート・バウアーズが、Gabに差別的な書き込みをしていたことが明らかになってから、このSNSはサーヴィスを停止した。Paypal、Stripeといった決済システムや、クラウドのJoyent、ドメインレジストラーのGoDaddyなど、Gabのネットインフラを支えていた企業が軒並みサーヴィスの提供を拒んだからだ。

一方で、トーバはあらゆる手段で発言を続けようとしている。サイトは動いていないが、ホームページには行動を呼びかけるメッセージが掲載された。すでに削除されたが、Mediumにも投稿があった。Twitterのアカウントはまだ生きている(アカウント停止を求める声も強い)。

またネットがすべて使えなくなっても、ラジオという手がある。トーバは10月末に放送されたナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)の番組で、「ヘイトであろうが問題発言であろうが、その対応は言論によって行われるべきです」と語った。

公共の場としての道徳的な義務

だが、「言論の自由は絶対である」というトーバの主張は、大半の人にとっては詭弁にすぎない。Gabはベンジャミン・フランクリンの掲げた理念からはほど遠く、むしろ昨年ヴァージニア州シャーロッツヴィルで起きた白人至上主義者の集会で有名になったクリストファー・キャントウェルのような人間に、発言の場を提供していただけだった。

Gabのマスコットのカエルはオルタナ右翼たちの象徴にされてしまったカエルのぺぺ(Pepe)のように見える。言論の自由は大切だが、プラットフォームの真の意図を隠すためにそれを利用しているだけなら、もはや基本原則としては受け入れられないだろう。

もちろん、政治信条がなんであろうと、修正第1条は全国民にこの権利を保証している。合衆国憲法は法学を学ぶ者だけでなく、若き起業家たちがサーヴィスの利用規約を作成して秩序を保つ上でも指針となっている。プラットフォームで言論の自由を確保する法的義務はないかもしれないが、人々が集う公共の場となる以上、道徳的な義務は発生するからだ。

フェイスブックやツイッターは今年、言論の自由を巡るさまざまな決断を下したが、その多くが大きな議論を巻き起こした。テック大手は大量の人員を割いて事態に対処しようとしている。しかし、フェイクニュースやヘイトスピーチを排除するための試みがうまく機能しないことも多い。

ほかにも、プロバイダー側がコンテンツの削除要求に応じたり、決済に関わる企業が何らかの措置を取ることもある。2017年8月、ネットワークの最適化を手掛けるCloudFlareは、白人至上主義を掲げるサイト「Daily Stormer」を遮断することを決めた。

一方で、CloudFlareの最高経営責任者(CEO)マシュー・プリンスはスタッフに向けて、「わたしが非常に嫌な気分で目が覚めて、腹立ち紛れに『こいつはインターネットで発言すべきではない』と決めたとしよう。しかし、本来なら誰もそんな力をもつべきではないのだ」と書いている。

言論の自由とヘイト

しかし、多くの企業が実際にそうした力をもっていることが明らかになっている。問題はそれが正しく使われているかという点だ。

Gabは本当に消滅すべきなのだろうか。言論の自由を最重要とするなら、答えはもちろんノーである。

これに対し、反ユダヤ的な言動は法律で明確に禁じられており、反ユダヤ主義者たちにプラットフォームを提供することも違法行為だという現実も存在する。さらに、暴力を示唆すれば脅迫罪に問われる(Gabはこうした内容の投稿の削除に全力を注いでいると主張する)。人間は一過性の激しい怒りによって盲目となり、絶対に守らならければならない規範を放棄してしまうことがある。

ほかにも、もっと現実的な側面もある。オルタナ右翼たちはTwitterから締め出されたことで、Gabに集まって来たのだ。だとすれば、Gabがなくなれば彼らは別のプラットフォームに向かうだけだろう(この点をさらに突き詰めて考えていくと、別の選択肢があるなら、Gabを閉鎖することが果たして本当に言論の自由の侵害に当たるのかという疑問にも帰着する)。

とにかく、今回のシナゴーグ襲撃やトランプ大統領に批判的な人々を狙ったとされる爆発物の送付テロが起きてしまったいま、テック大手は大きな問題に直面している。それは、犯人たちが急進的になっていく上で、インターネットのプラットフォームが一定の役割を果たしたのかという疑問だ。

テロとネットの相関性

米国政府はすでに、ネットがイスラム過激派の拡大を助長しているという結論を出している。国内のテロリストについても、同じことが言えるのだろうか。

この世にTwitterが存在しなければ、爆弾送付テロの容疑者として逮捕されたシーザー・セヨクが事件を起こすことはなかったのか。Gabがなければ、バウアーズがピッツバーグで11人を撃ち殺すこともなかったのだろうか。

米国内のテロ事件におけるインターネットの影響を巡っては、さまざまな研究が行われるようになっている。だが、この問いへの真の答えを知るものはいない。

ただ、バウアーズのGabへの最後の書き込みが、何かを物語っているのかもしれない。バウアーズはユダヤ系の難民支援団体HIASについて、「HIASは米国民を殺そうとする侵略者たちを喜んで連れて来る。人々が殺害されるのを黙って眺めていることはできない。お前らの意見なんてくそくらえだ。おれはやってやる」と記していた。

トーバは警察の捜査には全面的に協力しているとした上で、この投稿については「やってやる(I’m going in)」という表現だけで削除することはできないと反論する。もちろんそうだろう。そんなことをすればラッパーのドレイク[編註:『I’m going in』という曲を発表している]だけでなく、多くの人が被害を被ることになる。

存続させる理由はあるのか?

トーバはまた、ヘイトスピーチを特定するのが非常に難しい点も指摘する。人間だけでなく人工知能(AI)にとってもそうだという。

それでも、バウアーズが匿名ではなく個人の特定ができているアカウント(プロフィール画像には本人の写真が使われていた)から、こうしたコメントを投稿していることの意味は考えなければならない。

捜査当局が彼の身元を特定するのを助けるための書き込みでないことは明らかだ。バウアーズは仲間や自分が所属するコミュニティに向けて、このメッセージを発信したのだ。おそらく賛同してくれる声を求めていたのだろう。結局のところ、人々がSNSに投稿するのは、自分を肯定してもらいたいためなのだから。

ネットから特定のシステムを丸ごと取り除くというのは、小さな決断ではない。その影響やリスクは計り知れない。ただ、大量殺人の予告に使われているようなプラットフォームであれば、それを存続させておく理由などあるのだろうか。