10月5日、立憲民主党の枝野幸男代表が札幌市内の講演で、
「消費税を今上げるだなんて、この社会経済状況でとても考えられない。(中略)私たちは緊縮ではない。それは今の社会では無理だ。しっかりと必要なところに必要なお金を使う。そして、特に大衆増税は当分できない。このことを前提にして政策を進めていきたい」

 と語った。現在の日本経済を取り巻く環境では、消費税増税は不可能という点は、全くその通りである。また、「緊縮ではない」と発言したことも評価したいのだが、枝野代表は民進党の代表選(2017年8月)において、社会保障の充実を訴え、財源として赤字国債発行を主張しながら(ここまでは評価できた)、
「道路を造るより直接消費に結び付く賃上げの方が投資効果は大きい」

 と、交通インフラの整備を否定する持論を展開した。無論、社会保障の充実は否定しないが、そのために「道路を建設するのをやめる」のでは、財務省のプライマリーバランス路線そのものだ。つまりは、緊縮財政である。

 現在の日本に必要なのは、
●消費税増税の凍結
●社会保障は赤字国債で(デフレ脱却後は、増大する税収を財源とする)
●建設国債を増発し、道路や鉄道、防災インフラに投資する
 である。

 立憲民主党が旧民主党時代の「コンクリートから人へ」から、「コンクリートにも、人にも」の発想に転換できるのか、注目している。

 ところで、かつての民主党のスローガン「コンクリートから人へ」の「人」とは何だったのだろうか。具体的な政策としては「子ども手当」であったため、所得移転政策になる。

 今後の日本に必要な「人のための政策」は、まずは介護報酬と診療報酬の積み増しが絶対的に必要である。つまりは、社会保障の充実だ。介護士や看護師の処遇改善なしでは、わが国の社会保障サービスは存続しえない。その上で「今後、深刻化する人手不足を補う生産性向上のための投資」という形の「人」への支出が重要になる。所得移転ではなく「投資」が重要なのだ。

 緊縮財政が継続し、政府も民間も、誰もかれもが予算をケチる時代が20年以上も続き、わが国の人材の劣化は、まさに目を覆いたくなるレベルに至っている。

 当たり前だが、人材の育成は投資になる。投資である以上、
「将来のために、今、おカネを支出する」
 ことが必要なのだが、緊縮思考はこの「将来のための投資」を不可能にするのだ。

 もっとも、少子高齢化に端を発する生産年齢人口比率の低下は、人手不足をひたすら深刻化させていく。つまりは、「人材」に投資せざるを得ない時代が訪れたのだ。
「人を安く買いたたき、生産性向上のための投資もせず、労働集約的にサービスを安値で供給することで儲ける」
 というデフレ型ビジネスモデルは、もはや通用しない。

 わが国は'97年の橋本政権による消費税増税、公共投資削減といった一連の緊縮財政により経済がデフレ化。人が安く買いたたかれる時代が始まった。

 経営者は設備投資をせず、資本装備率は低下。日本経済は次第に労働集約的になっていき、技術や設備ではなく「人の根性」で「安く良い品質の製品・サービス」を提供するという狂気の状況に至った。いわゆる「ブラック企業」でなくとも、経営者が生産性向上の投資を怠り、日本人の労働力に対し、過剰に依存することで生産を成り立たせていたことに変わりはない。

 外国人観光客が、なぜ日本に殺到するのか。それは、良い品質やサービスが異様に安いためである。読者は驚くだろうが、一部のサービスについて、日本はすでに東南アジアよりも安くなってしまっている。(しかも、品質が良い)

 日本国民は、デフレにより貧困化した。ところが、確かに日本人の「優秀性」あるいは「勤勉性」というものは存在し、低価格の製品やサービスであっても、相対的に品質は高く維持されている。外国人観光客が「安く良いものが手に入る」と、日本国に殺到するのも無理もない話だ。