2018年のアジア大会フェンシング女子フルーレ団体は決勝で中国を破り、金メダルを獲得した(写真:松尾/アフロスポーツ)

カジュアルな服装で約束の時間に現れた宮脇花綸は、こちらに向かって一礼すると、礼儀正しく「よろしくお願いします」と言った。

アジア大会での金メダル獲得のお祝いを伝えると、彼女は丁寧に「ありがとうございます!」と笑顔を見せる。その充実した表情からは何かをつかんだような自信が垣間見えた。

アジア大会で金メダルを獲得したフェンシング女子

今年8月、彼女はフェンシング女子フルーレ日本代表の一員として、4年に一度開催されるアジア大会(インドネシア・ジャカルタ)に挑み、団体戦で金メダルを獲得した。準決勝で宿敵の韓国、決勝で中国を破っての優勝は2020年の東京オリンピックやその先の未来に向けて強化・改革を進める日本フェンシング界にとって大きな弾みとなった。


金メダルを獲得した(右から)宮脇花綸(21歳)、菊池小巻(21歳)、ボアダン・フランクコーチ、辻すみれ(18歳)、東晟良(19歳)(写真:松尾/アフロスポーツ)

「アジアの団体1位は、近いうちに獲れるという手応えを以前から感じていました。去年と今年のアジア選手権では、手が届きそうで届かなかった。8月のアジア大会でやっと獲れたという感じです」

宮脇は、平均年齢が若い今回のチームにあって、21歳ながら最年長。

誰に指名されたわけでもないが、自然とそのリーダーシップを発揮した。その急成長ぶりに、日本フェンシング協会の太田雄貴会長も宮脇への絶大な信頼を語る。

「団体戦での金メダル獲得は、彼女のリーダーシップが非常に大きかった。ここ最近、彼女のチームに対する献身は本当にすばらしいものがある。試合でポイントを数多く取ったというわけではないので、数字には現れないが、彼女がチームにいることで、勝てる雰囲気が生まれ、チームがまとまっていく」(太田会長)

当の本人は、フランス人コーチの通訳としての役割を担うことや、円陣の際に声をかけることはあったが、それ以外にキャプテンとして何かをしたわけではないと振り返る。

この言葉からも気負うことなく、自然体でアジア大会に挑み、精神的にも充実していた様子がうかがえるだろう。

今年2月、宮脇は、個人戦における自らの現状をこう話していた。


半年前に取材したときの練習時の宮脇花綸(筆者撮影)

「ベスト32という見えない壁がある。」

その時の彼女の表情を思い返すと、何か浮上のきっかけをつかみはじめているようにもみえたし、見えない壁に苦しんでいるようにもみえた。

プラスの感情とマイナスの感情が同居しているような、自信と不安が入り混じっているような、そんな印象だったことを鮮明に覚えている。


今年のアジア大会決勝での宮脇花綸(写真:松尾/アフロスポーツ)

宮脇に明らかな変化が起きたのは2018年5月に上海で行われたワールドカップグランプリ大会だった。

それまでベスト32の「見えない壁」に弾き返され続けてきた若きフェンサーは、勢いよくその壁を突き破ると、欧州勢の強豪を次々と退け、一気に決勝の舞台まで駆け上がっていったのだった。

「ずっと、感触はあった。あの時は身体の調子も心の調子も、組み合わせも、すべてが合致したタイミングだったんだと思います」

もう一つ、宮脇には大きな変化があった。

「フレッシュという技を得意技にしたい」

フレッシュとは、足を踏み出して突くのではなく、相手に向かって走り込み、体を伸ばしながら突く攻撃技のことだ。身体が小さい宮脇の場合、普通に足を踏み出して剣を出しても、相手に届かない場合がある。フレッシュの場合、背が高い相手の懐に飛び込んで攻撃ができるというメリットがあるため、自分の特徴を生かせると考えたのだろう。

改めてフレッシュに取り組んでいる現状を聞くと、「すでにフレッシュは得意技と言えるようになりました。今、課題に感じていることは、攻撃力が高い相手に攻め切られてしまうことです。

そういう相手に対して、相手が攻撃する前に、自ら攻撃を仕掛けていくようなことを考えています。たとえば、フレッシュを出すタイミング。試合開始直後からフレッシュを出すことにもチャレンジしていきたい」

これができるようになれば、試合開始から相手が警戒するため、それも駆け引きを有利に展開できる要素になるというわけだ。

メンタル面の変化がキッカケ

今年に入ってからの急激な成長ぶりについて、何かキッカケがあったのだろうか?


今年9月のインタビューで自分自身の変化を語った宮脇花綸(撮影:佐藤主祥)

彼女は、真っ先にフランス人コーチの名前を挙げた。2016年のリオ五輪で、フランス代表のヘッドコーチを務めていたボアダン・フランク氏だ。彼が日本代表女子フルーレ統括コーチに就任したのは、2017年1月のことだった。

「日本人選手には技術はあるが、スイートだ」

就任直後、ボアダン氏は日本代表メンバーに対してそのメンタル面の甘さを指摘した。宮脇自身も、試合になると思い切ってプレイできない、持っているものを出し切れないという課題があることは自覚していた。

それまで決定的に欠けていた、闘争心や、勝敗を決める局面での精神面の強化を刷り込まれていった結果、宮脇は大きく成長することができたという。

一方、戦略面での意見の食い違いから、試合中にボアダン氏と周囲が心配するほどの口論を繰り広げたこともあるという。だが、「それは信頼関係があるからこそできること」とまったく意に介さない。

「私の場合、納得がいかなければ、自分の意見を主張するんです」

その負けん気の強さも彼女の魅力だ。

徹底した自己分析がもたらすもの

宮脇花綸という選手は身体も小柄で、決してスピードもパワーもあるというわけではない。彼女の強みであり、彼女が世界と戦えるようになった源泉は、以前から続けてきた徹底的な自己分析にある。

驚くべきことに、彼女は中学生の時に、自分の体を使って、フェンシングの動作を研究したり、日本滞在時と海外滞在時の睡眠を比較したり、昼寝の効果を研究していたという。

誰にも負けない明晰な頭脳や、試合の流れを読む力、駆け引きを駆使して、持てる力を最大限に発揮する。当たり前のことのようだが、徹底した自己分析ができていなければ、自分の強みを発揮することはできない。

そんな宮脇が世界を制するうえで、越えなければいけない壁がある。ロシアのイナ・デリグラゾワ選手だ。ワールドカップグランプリ上海大会の決勝で敗れた相手、そして、2016年リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得し、今もなお、トップの座に君臨している絶対王者である。

どう立ち向かっていこうと考えているのか。

「今シーズン、2度対戦して、2度とも負けてしまっていますが、決して相性が悪いわけではないと思っています。やりづらいという感覚もありません。ただ、彼女はとにかくズバ抜けて強い。来シーズンは、その圧倒的な差をどうやって埋めていこうかという段階に入ります」


宮脇 花綸(みやわき かりん)/フェンシング女子日本代表選手。1997年2月東京都生まれ。5歳からフェンシングを始め、2016年にはジュニアのワールドカップで優勝。今年5月グランプリ大会で準優勝。8月のアジア大会で団体優勝。種目はフルーレ。慶應義塾女子高を経て現在、慶應義塾大学経済学部4年(撮影:佐藤主祥)

以前、宮脇はフェンシング競技に生きることを、「日本のトップに立っても、それで食べていけるわけではない、ハイリスク・ローリターンな世界」と表現していた。

だが、東京オリンピックを目の前に控え、「いまはもうフェンシングのことしか考えていない」と言い切る。

いま確実に、23歳となって迎える東京オリンピックでの金メダルを視界にとらえている。

徹底した自己分析の積み重ねで、世界と勝負できるフェンサーに成長した宮脇花綸。

この先もアスリートとして生きていくんだという強い覚悟を身にまとい、東京で金メダル獲得を誓うフェンサーは、今年、どんな飛躍を見せてくれるのだろうか。

(文中一部敬称略)