2月26日にYouTubeで公開された米津玄師のMV「Lemon」は視聴回数が1億7000万回を超えている(画像はYouTubeより)

「Billboard JAPAN HOT100」というチャートにおいて、驚くべきことが起きている。

このチャートは、CDセールスだけでなく、ダウンロード、ストリーミング、ラジオ再生、動画再生、ルックアップ(PCへのCD読み取り数)、ツイートを合算して計測するもので、現在の音楽市場の実態と動向を、かなり的確に判断していると、評価できるものである。


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驚くべきこととは、米津玄師「Lemon」の超ロングヒットだ。すでに半年以上前となる3月14日のリリースにもかかわらず、10月8日付チャートでも、いまだに4位に食い込んでいるのだ。

さらには、1年以上前に発売された、「DAOKO×米津玄師」名義の「打上花火」も24位、昨年11月発売のアルバム『BOOTLEG』も、アルバムチャートで13位にとどまっている。

米津玄師が音楽シーンに起こしている地殻変動

米津玄師。「よねづけんし」と読む。この1991年生まれの才能が、日本の音楽シーンに今、静かで大きな地殻変動を起こしているのだ。

では、彼の音楽の何がどう作用して、したたかに長く売れ続けているのであろうか。その秘密を探るべく、1966年生まれの音楽評論家として、恐る恐る米津の作品を聴き込んでみた。そしてわかったこと――。

――この音は、売れ続ける理由しかない。言い換えれば、売れない理由がどこにもない。

シングル『Lemon』『打上花火』、そしてアルバム『BOOTLEG』を聴いた第一印象はそういうものだ。とめどなく流れてくる、やたらとポップなメロディの洪水。

思い出したのは、小沢健二のアルバム『LIFE』(1994年)を聴いたときの衝撃だ。収録曲「愛し愛されて生きるのさ」や「ラブリー」などの、めくるめくポップさに驚いた感動が、20数年ぶりに戻ってきた感覚がしたのだ。

では、その「売れ続ける理由」を、私なりに分析してみたいと思う。そしてその分析結果が、私と同世代の方々にも伝わるように、過去の音楽作品や音楽理論を引用しつつ、具体的・構造的に語れればと思う。

第一の魅力は、米津玄師の声である。

高く響き渡る粘着質の声。これは、本人がリスペクトしていることを公言している、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文や、RADWIMPSの野田洋次郎の後継と言える声質だ。曲のサビのここぞというところで、あの声質が(後述のように)上下に跳躍すること。それが「売れ続ける理由」の最大の前提となろう。

第二の魅力として、メロディの話をしたい。

それはその跳躍についてである。「Lemon」のサビ=「♪あの日の悲しみさえ〜」からや、「打上花火」のサビ=「♪パッと光って咲いた〜」からの音の動きは、とても忙しい。五線譜の上の方の高音部の中で、16分音符の細かい符割りで、上へ下へ、オクターブ以上の行き来をする。

と書くと、実験的な音楽のように聴こえるかもしれないが、高音部での音の跳躍は、たとえばMr.Childrenがよく使う技法だ。つまりはある意味、Jポップの王道的手法である。言い換えれば、Jポップの主戦場の1つであるカラオケの場で、歌自慢の若者がこぞって歌いたくなるメロディだと言え、そのあたりもロングヒットに貢献していると思われるのだ。

特徴的なコード進行

第三の魅力として、その特異なコード進行がある。

「Lemon」も「打上花火」も、いわゆる「循環コード」を用いている。

「循環コード」とは、少しでもギターをかじった人なら聞いたことがあろう、たとえば「C→Am→F→G7」などのコード進行が繰り返されることである。

ただし、米津玄師の循環コードは一筋縄ではいかない。「Lemon」の中間部は「Am→F→G→C→F→C→G→C」(キーFmをAmに移調)となかなかにドラマチックで、対して「打上花火」は、シンプルなものの、「Fadd9→G→Am7→C」(キーE♭mをAmに移調)と、こちらは、かなりトリッキーな循環コードだ。

思い出したのは、ダフト・パンクの世界的大ヒット「Get Lucky」(2013年)である。個性的な循環コード(Bm7→D→F#m7→E)を延々と続けることによる麻酔的なグルーヴで、世界中の聴き手を踊らせた、あの曲に近い効果を、特に、最後までほぼ1つの循環コードが続く「打上花火」は醸し出していると言える。

売れ続ける理由の決定打になる第四の魅力は

ここまでをまとめると、高く響き渡る粘着質の声質の魅力に加えて、カラオケで歌いたくなるようなJポップ的な魅力、そしてダフト・パンクの循環コードに似た洋楽的魅力の3つが、米津玄師の「売れ続ける理由」ということになる。

だが、実はさらにもう1つ、独特な魅力があり、それが「売れ続ける理由」の決定打ではないかと考えたのだ。

それは「歌謡曲」的な魅力だ。

まず、米津玄師自身が「Lemon」について、「いわゆる歌謡曲を作ろうと思ったんです」と発言していること(『ROCKIN’ON JAPAN』2018年4月号)。

そして、聴いていて驚いたのだが、アルバム『BOOTLEG』収録曲の、ほぼ全曲がマイナー(短調)なのである(マイナーとメジャー=長調は、音楽的に厳密に区分できるものではないが、明確にメジャーと断言できるのは「かいじゅうのマーチ」「ナンバーナイン」のみ)。

もちろん「Lemon」も「打上花火」もマイナーだ。

誤解を恐れず言えば、歌謡曲(演歌含む)とはマイナー中心の音楽で、そのアンチとして組成したJポップはメジャー中心の音楽である。そして、歌謡曲の中でも、1980年代には、メジャーのアイドル音楽が幅を利かせてくるが、1970年代までは、かなりマイナー偏重のジャンルだった。

マイナーによる哀愁を帯びたメロディを、米津玄師の声で歌われると、昭和の歌謡曲が醸し出していた、あの切ない感情が沸き立つ。そしてそれは、現在の音楽シーンの中ではかなり特異な、差別性が高いものである。

思い出したのは、安全地帯のことだ。「ワインレッドの心」や「恋の予感」(ともに1984年)など、彼らのマイナーのヒット曲は、あの頃、歌謡曲と「ニューミュージック」(ロックとフォークの当時の総称)の融合した音として聴こえた。

象徴的に言えば、若者向けのバーにも、中年向けの場末のスナックにも似合う音だった(余談だが、安全地帯のボーカル=玉置浩二と米津玄師の高音の声質は少し似ている)。

そのような門構えの広さが、米津玄師の音にはある。一見若者に閉じた音楽の装いだが、その中に精巧に組み込まれた歌謡曲性によって、昭和歌謡を聴いていた私のような世代にも訴えてくるものがある。40〜50代を含む広い後背地に、ジワジワと広がっていった結果として、ロングヒットとなっているのではないかと考えることもできる。

以上、Jポップ、洋楽、そして歌謡曲――これらの魅力を黄金律で配合した音楽。言わば「完全栄養食」のようなパーフェクトな音楽として、私には聴こえたのである。これが、私が考えた、米津玄師の「売れ続ける理由」だ。

あえてライバルを挙げるならば星野源

あえて米津玄師のライバルを考えてみれば、それは、米津と同じく作詞・作曲・編曲すべてを自分でこなして、ヒットを連発している星野源となる。

そして、メジャー中心の星野源とマイナー中心の米津玄師の戦いは、1980年代アイドル界における、シングル曲がほぼメジャーのみだった松田聖子と、逆にマイナーに偏った中森明菜との戦いを想起させる。

彼らの戦いは、現在の音楽シーンの中で数段ず抜けた、言わば「頂上決戦」だ。

昨年までは星野がリードしていたが、今年に入ってからは米津が、押し相撲でジワジワと星野に迫っている。ビジネスシステムの中で作られたヒット曲ではない、音楽そのものの力で勝負するヒットメーカー2人による、ガチンコの頂上決戦。これからも、まったく目が離せない。