大相撲から転身したプロレスラーは多くいるが、中でもダントツの格上的存在が輪島であろう。幕内優勝14回。その身体能力の高さから「天才」「蔵前の星」とも称賛された輪島は、なぜプロレス界の“横綱”になれなかったのか?
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 19世紀末にアメリカマットで活躍し、日本人初のプロレスラーといわれるソラキチ・マツダと、日本にプロレスビジネスを根付かせた力道山。この2人ともが大相撲の出身であり、その意味では日本において、プロレスと大相撲の間に深いかかわりがあることは否定できない。

 では、元力士がプロレス向きなのかというと、これは話が違ってくる。
 誰もが認める大成功を収めた元力士となると、前出の力道山以外では天龍源一郎くらいのもの。大相撲の最高位である元横綱からも東富士、輪島、北尾(双羽黒)、曙の4人がプロレス入りを果たしているが、転向当初の話題性ほどには活躍できていないのが現実だ。
「全日本プロレス伝統の三冠王者にまでなった曙は、一応は成功の部類になるのでしょう。しかし、団体自体にかつての勢いがなく、また曙本人も格闘技に転向した初戦で、ボブ・サップに壮絶KO負けした印象が強いだけに、とても力道山や天龍に並ぶ成功とは言い難い」(スポーツ紙記者)

 その曙に、大相撲時代の成績で上回るのが輪島である。元横綱レスラーが大相撲時代に残した戦績は以下の通り。
40代・東富士 幕内出場31場所 261勝104敗1分1預54休 幕内優勝6回。
54代・輪島 幕内出場62場所 620勝213敗85休 幕内優勝14回。
60代・双羽黒 幕内出場21場所 197勝87敗16休 幕内優勝0回。
64代・曙 幕内出場63場所 566勝198敗181休 幕内優勝11回。

 ライバル北の湖との激闘により一時代を築いた輪島は、大相撲の長い歴史の中でも屈指の存在であるに違いない。にもかかわらずプロレスの世界では成功とならなかったわけだが、その原因はどこにあったのか?
「そもそもプロレスと相撲では、求められる能力が大きく異なる。立ち合いからの瞬発力勝負の相撲に対し、プロレスは時間をかけて観客にアピールしていくことが大切で、スタミナ勝負だとどうしても力士は分が悪い。それに相撲は技を仕掛けて倒せば終わりだから、プロレスのようにそこからどうするかという稽古はしていない。そのため、どうしても変な間が生まれてしまうんです」(同)

 また、相撲では倒されないための稽古はしても、倒されることを前提とした受け身はさほど重要視されていない。プロレスに転向した輪島が、わずか2年ほどで引退せざるを得なくなったのも、結局のところは試合中の受け身からのダメージが主因であった。
「力道山や天龍も別に相撲の流儀で成功したわけではなく、その本質はアメリカンプロレスでした」(同)

 外見などの雰囲気とは別に、そのベースには本場アメリカで実戦を重ねて体得したプロレス特有のリズムがあった。だからこそ、異なる世界で大成することができたというわけだ。

 だが、輪島の場合は全日本プロレス入団を決めた時点で、すでに38歳と高齢であった。ビッグネームゆえ契約金も相当に高額であったに違いなく、この回収のためにも悠長に修行を積ませる時間はなかった。

★日本デビューの相手は狂虎シン
 '86年4月に入団が発表されると、すぐさま輪島はアメリカに渡り、ドリー・ファンク・ジュニアやザ・デストロイヤー、パット・オコーナー、ネルソン・ロイヤルといった名選手たちの手ほどきを受け、御大ジャイアント馬場がタッグパートナーを務めて米マットでデビュー。馬場が直々に輪島のレスラーとしての成長を確かめたというわけだ。

 そうしてアメリカで7戦をこなした後、一時帰国して日本マットデビュー。入門からわずか7カ月後、地元の石川県七尾総合体育館でのタイガー・ジェット・シン戦であった。