88歳祖父の死に「おめでとう」と言う孫の真意

「笑顔の通夜」を実現した中屋敷さん一家。なぜそれが実現したのでしょうか(写真:筆者撮影)
人はいつか老いて死ぬ。その当たり前のことを私たちは家庭の日常から追い出し、親の老いによる病気や死を病院に任せきりにして、目をそむけてきた。結果、死はいつの間にか「冷たくて怖いもの」になり、親が実際に死ぬとどう受け止めればいいのかわからず、喪失感に長く苦しむ人もいる。
一方で悲しいけれど、老いた親に触れて、抱きしめて、思い出を共有して「温かい死」を迎える家族もいる。それを支えるのが「看取り士」だ。
この連載では、さまざまな「温かい死」の経緯を、看取り士の考え方と作法を軸にたどる。今回は、笑顔と笑い声にあふれた父親の通夜を自宅で実現した、60歳の長女と17歳の孫に焦点を当てる。温かい最期を迎えるために、この母子が「肌を触れ合うこと」が大切だと話す理由とは何か。
笑顔と触れ合いと笑い声に満ちた通夜
介護福祉士である中屋敷妙子(当時58歳)は、病院から運ばれてきた父親の遺体を棺には入れず、母親のベッドに寝かせた。弔問に来る人にじかに触れてもらうためだ。彼女の三男、阿南(あなん)は当日のことを振り返った。
「顔中シワいっぱいなのが独特で、おじいちゃんらしい笑顔でした。入院していたときみたいに、スキンヘッドの頭もぐりぐり触りましたよ。通夜に来てくれた人たちもみんな、おじいちゃんの顔や頭を触ってくれて、『笑ってるよね』って笑顔で言ってくれましたし」
2016年10月に都内の自宅で行われた、大阪生まれの祖父・稔(享年88歳)の通夜のこと。阿南は、角川ドワンゴ学園N高等学校の1年生だった。
弔問客たちの多くは稔の笑顔を見て「幸せそうやね」と話した。ある女性は冗談交じりに「じいじの話は面白かったけど、下ネタもあって、今ならセクハラやわ」と話すと、「ほんまや」と呼応する女性もいて、時おり小さな笑いが起きた。
当時15歳だった阿南にとっては、初めて身近で触れる死だった。だが、彼自身が漠然と抱いていた死の印象とは違っていたという。
「祖父は多くの人に触れてもらい、笑顔で声もかけてもらえて幸せだったと思います。『死は悲しくて怖いもの』というイメージがありましたけど、悲しいのはそうだけど、それだけじゃない。人生をまっとうしたという点では『お疲れ様』だし、人生の卒業式なら『おめでとう』だし……」

祖父・稔が趣味で書いていたTシャツ画。通夜の際には周囲に華やかに並べられた(写真:編集部撮影)
若さゆえの感性なのか、「おめでとう」には少し戸惑うが、200人以上を抱きしめて看取ってきた、社団法人日本看取り士会の柴田久美子会長(65歳)は、阿南の感想について何の不思議もないと話す。初めて身近で経験する肉親の死が、その人にとっての「標準」だからだ。
「結局、子どもにとっての死を『冷たくて怖いもの』にするのも、『温かくて幸せなもの』にするのもすべて大人なんです。大人が肉親の死を必要以上に怖がって遠ざけ、忙しさを口実に病院に任せきりだと、それを見た子どもたちは『死は冷たくて怖いもの』と思い込んでしまいます」(柴田会長)
この記事を読むあなたは、どちらだろうか。
幸せに看取るために肌の触れ合いを持つ
稔が肺気腫(肺の内部が潰れたり、気管支が細くなったりして息を吐き出しにくくなる病気)で他界した翌月、中屋敷は以前から養成講座で学んでいた、看取り士の資格を取得している。
彼女が興味を持った理由は、前出の柴田会長が人を抱きしめて看取ると知り、カルチャーショックを受けたからだ。中屋敷も介護士として終末期の人の手や腕を握ったり、さすったりしたことはあった。だが、依頼を受けたとはいえ、家族でもない人がそこまで踏み込める理由を知りたかった。

仲が良かった祖父・稔と孫の阿南(写真:中屋敷さん提供)
「父は自宅近くの病院で早朝5時過ぎに逝ったのですが、私はその日泊まり勤務で、死に目にはあえませんでした。だけど、自宅に戻った父の遺体に触れると、言葉が自然と出てきたんですよ。『お疲れさま』とか、『ありがとう』とかね。それに肉親だったせいか、触れることで父が自分の内側にいるような感覚が芽生えました」(中屋敷)
肌の触れ合いを持つことは、以前この連載でも紹介した看取り士の「幸せに看取るための4つの作法」の1つ。中屋敷は看取り士養成講座での学びがあって、弔問客にも父の遺体に触れてもらおうと考えたのだ。
父の遺体に触れていると、背中以外は次第に冷たくなっていったと、中屋敷は続けた。「それでも、まだ物体にはなっていないというか、部屋全体にまだ父の気配が残っている感じがありました。阿南も、『じいじ、まだ(ここに)おるよね』って話してましたし」
中屋敷は「父が自分の内側にいるような感覚」を手にしたことで、養成講座で学んだ、もう1つの教えも実感できたという。
「人間はいい心と魂、健康な体を持って生まれてくる。もし自分が死によって体を失っても、親から授かったいい心と魂は家族に引き継がれる。だから死は怖くない」。
特別なことではない。肉親の遺影にふと話しかけたり、生前の姿が思い浮かんだりするとき、人はとても素直な気持ちになっている自分に気づく。お盆の際に仏壇に手を合わせれば、亡き親に少しでも喜んでもらえる人生を送りたいという思いを新たにするだろう。どちらも自然なことだ。
中屋敷は28歳のとき、2歳上の兄を腎臓がんで亡くしている。そのときと、今回の父の最期の印象はまったく違っていたという。
父の死と、当時30歳の兄の死の決定的な違い
「兄とはとても仲がよかったので、私が自宅と病院で合計1年間ほど付き添って看取りました。兄は最後に『ありがとう』と言ってくれましたが、私は『こちらこそ、ありがとう』とは返せませんでした。まだ30歳の兄の死を、認めたくない気持ちが強かったからです」
当時の中屋敷には、「死はつらいもの」という思いも強かった。兄が亡くなった際は、体の一部をもぎ取られたような痛みに襲われた。看病中は手や腕を何度もさすっていたが、遺体は神聖なものだと思っていて、亡くなった後は指一本触れられなかった。
以降30年近く兄のことを思い出す度に、中屋敷の心はちくちくと痛んだという。
「亡くなる前も後も、体に触れることで肯定的な言葉をかけられて、その人が自分の内側にいるという感覚が生まれ、喪失感が消えるんだと知っていれば、兄の死との向き合い方も全然違っていたんでしょうね」
彼女は今もとても残念そうに話す。
多くの人は「看取り」と言うと亡くなる当日、もしくはその瞬間のことだと思っているかもしれない。だが、看取り士の言う「看取り」とは、終末期の人と、家族がそれぞれに死を受け入れる過程のことを指す。
1人の死はその家族も死の恐怖に巻き込む。だから本人が死を受け入れる過程とは別に、家族も葛藤しながら、同じ過程を経験する必要がある。それができないと長い喪失感に苦しむことになる、と中屋敷は語る。
「父の場合、約2年の自宅療養と、その後の約1年の入院生活が、父と私たち家族それぞれの『看取り』だった気がしますね」
父の稔に、重い肺気腫が見つかったのは他界する約5年前。約3年前には呼吸困難で倒れて救急搬送された。以降は在宅での酸素機器の利用を選択。長さ約10mのチューブをつけたままで暮らしていた。
「大阪生まれの父は、チューブにつながれた自分を『なんか鎖につながれた飼い犬みたいやな』って、自虐ネタにして笑いを取ってました」(中屋敷)
だが、死の1年前、稔が何度か救急搬送されたのを機に、稔自身が入院生活を選択した。他界する半年前には、稔が敬愛していた絵画教室の先生が他界。その後、「夢枕に絵の師匠が出てきた」と何度か話すようになった。死期が近い前兆といわれる「お迎え」だ。
「すると、『絵を描くためにリハビリを頑張る』と話していた父が、私に突然ぽろっと『絵を描くのは、今世はもう無理やな』と口にしたんです。私が『そしたら、また、私のとこに生まれてきたらエエやん』って返したら、『そやな、ほな、そうしようか』って、明るく笑ったんです」
大阪生まれの親子らしい、からっとしたやり取り。それは父と中屋敷それぞれの、「死の受け入れ」宣言だったのかもしれない。反対に、本人は死を受け入れているのに、家族が受け入れられない場合もある。
「自分が妻の命に執着すると、妻を苦しめる」
日本看取り士会から、中屋敷に末期がんの女性の看取り依頼があった。元経営者の夫が、「緩和ケア病棟への泊まり込みの介護で、自分の代わりに週3日入ってほしい」という。夫が疲労困ぱいで倒れたためだった。
彼の妻は延命治療を拒否。同じ病院の緩和ケア病棟に、彼女自身が希望して移っていた。自力ではもう食事もとれなかった。
「奥様はもう話せない状態でしたけれど、表情はとても穏やかでした。ご自身はすでに死を受け入れていらっしゃるようでしたが、依頼者であるご主人は、まだ気持ちの整理がつききれていないご様子でした」(中屋敷)
介護福祉士でもある中屋敷が、24時間介護に入っていると、夫の兄弟たちが毎日お見舞いにやって来た。女性は夫の会社の経理を長く務め、兄弟や部下の面倒見もとてもよかった。また、どこに行くのも夫婦一緒という、仲の良さでも知られていた。
「ご主人ががんに効くとどこかで聞かれた明日葉を、自宅でとろとろに煮込んで持参されるんです。ポン酢をかけて、『僕のために食べて』と哀願されると、奥様も懸命にひと口ふた口を飲み込まれる。その姿が切なかったです」
妻は自身の死を夫が受け入れてくれるのを、我慢強く待っている。中屋敷にはそう見えた。翌日、夫が看取り士を依頼した理由を教えてくれた。
「看取り士のことは以前から知っていたが、気持ちの整理がなかなかつかなかった。しかし、私が妻の命にこれ以上執着すると、妻を苦しめることになる。自分が気持ちを切り替えなければと考えて、お願いしたんです」
だが、実際には看取り士を依頼した後も、夫は少しでも食べさせようとしていた。最愛の妻の死を受け入れることは一筋縄ではいかない。
「ご本人とご家族で、死を受け入れるタイミングにズレが生まれることは多いんです。そのズレを調整するのも看取り士の役割の1つです」(中屋敷)
翌週、妻は息を引き取った。最期は夫が抱きしめて看取ったという。事前に中屋敷に教わっていた作法通りだった。
「ご自宅でなくても、病院でも、老人施設でもいいんです。触れ合うことができれば、悲しくても、幸せに看取ることができます」
兄のときは遺体に触れられなかった中屋敷が、最後にそう念押しした。
(=文中敬称略=)



