日本テレビ系「ダウンタウンDX」1000回突破記念会見 会見に出席した、ダウンタウンの松本人志(左)と浜田雅功=2016年9月8日 (写真:日刊スポーツ)

NHKでのコント番組、映画監督への挑戦など、30年以上続く芸歴の中で大きな失敗を何度も経験しているダウンタウンの松本人志。しかし、現在も多くのレギュラー番組を持ち、人気が陰る気配をまったく見せない。松本人志が日本のお笑い業界のトップに君臨し続ける理由とは? 先日、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』を出版した、お笑い評論家のラリー遠田氏が解説する。

お笑い界に「天下」というものがあるとすれば、それを最後に手にしたのは1990年代中盤のダウンタウンだろう。

当時の彼らは『ダウンタウンのごっつええ感じ(以下、『ごっつええ感じ』)』(フジテレビ系)のコントと『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ系)のフリートークで新しい笑いのかたちを提示して人々を熱狂させ、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)ではゲストとして登場したミュージシャンたちの頭をはたき、テレビにおけるお笑いと音楽の力関係を逆転させてしまった。

芸人としてトップに君臨

ダウンタウンの浜田雅功が小室哲哉のプロデュースで「H Jungle with t」としてリリースした楽曲『WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント』は200万枚超えの大ヒット。

一方、松本人志が書いたエッセイ集『遺書』も200万部を超えた。お笑い好きの若者の間ではバイブルとして読み継がれる一冊となった。テレビで活躍する芸人としてこれ以上はないというほどの地位まで上り詰めたダウンタウンは、その後、どうなったか。

もちろん、大局的に見れば彼らの仕事量やポジションには、現在まで大きな変化はない。だが、個別の時期にフォーカスして考えると、彼らは1990年代中盤以降、大きく分けて2度の低迷期を経験しているように見える。

1度目の低迷に入ったきっかけは、1997年に『ごっつええ感じ』が終了したことだ。松本は番組がプロ野球の優勝決定試合に急きょ差し替えられたことについて事前に連絡をもらえなかったことに不満を抱き、降板を決意した。

1998年に松本はみずからの髪の毛を刈り、坊主頭にした。降板騒動と坊主頭の異様な外見によって「気難しい笑いのカリスマ」というイメージが強まり、とっつきづらい印象を与えるようになっていた。

『ごっつええ感じ』の終了後に松本が手がけた番組は、なかなか人気が出なかった。1999年に松本が今田耕司と組んでテレビ朝日で始めた『わらいのじかん』は、視聴率を取れず、あっという間に打ち切りになった。

また、2000年に松本がSMAPの中居正広と共演したドラマ『伝説の教師』(日本テレビ系)も、始まる前の注目度こそ高かったものの、ふたを開けてみると、松本のコントっぽい演技と松本原案の説教臭いテーマがドラマの世界には不似合いで、世間での評価もあまり高くなかった。

2001年には、『ごっつええ感じ』が『ものごっつええ感じスペシャル』という特番として復活したが、視聴率はわずか9.0%だった。この数字を知った松本は、自分が本当に面白いと思うことをテレビではもうできなくなってしまったのだと悟り、テレビでコントをやることをあきらめてしまった。

2度目の低迷期に入ったのは2010年ごろ

そこからなんとか立ち直ったダウンタウンが2度目の低迷期に入ったのは2010年ごろだ。松本は映画監督業を始めていて、2007年に『大日本人』、2009年に『しんぼる』が公開された。その後、『さや侍』(2011年)、『R100』(2013年)と続いていくのだが、興行成績や評判は右肩下がりだった。『R100』では大森南朋、大地真央、寺島しのぶといった大物俳優を起用して大規模なPR活動も行っていたのだが、大惨敗に終わった。

2011〜2012年にはNHKで『松本人志のコントMHK』というコント番組も放送されたが、全5回のレギュラー放送の視聴率はいずれも2%台だった。松本がこの時期に手がけた映画やコント番組は、いずれも世間からはいい評価を得られなかった。

2012年には『HEY!HEY!HEY!』、2013年には『爆笑大日本アカン警察』(フジテレビ系)、『リンカーン』(TBS系)が終了。テレビタレントとしてもヒット番組に恵まれず、不振が続いていた。「ダウンタウンもそろそろ限界か」というムードが漂い始めていた。

「笑いの求道者」としてのイメージが強かった

ところが、ここからダウンタウンは見事な復活を果たした。2014年に始まった『水曜日のダウンタウン』は、とがった笑いを提供する番組として話題を振りまいている。また、浜田はMCとして活躍の場を広げている。

2012年に始まった『プレバト!!』は、芸能人が俳句の才能を競う企画がヒットしたのをきっかけに視聴率が急上昇。安定して高い数字を取る人気番組になった。2018年には浜田がMCを務める『ジャンクSPORTS』がレギュラー番組として復活している。

2度の低迷期を脱して、ダウンタウンはいまもはるかな高みにいる。コンビとしてのレギュラー番組が1本もないとんねるずやウッチャンナンチャンと比べても、ダウンタウンの活躍ぶりは突出している。ダウンタウンは、なぜ独り勝ちすることができたのだろうか。

『ごっつええ感じ』の終了後にダウンタウンが1度目の低迷期を迎えたのは、松本に「孤高の天才」というイメージがついて回っていたからだ。『一人ごっつ』『新・一人ごっつ』『松ごっつ』(いずれもフジテレビ系)という一連の番組では、作務衣を着て頭にタオルを巻いた松本が、まるで修行僧のようにストイックに自らの笑いを追求していた。

この時期の松本は、単なる「メジャーなテレビタレント」ではなく、「笑いの求道者」のようなイメージが強かった。また、『ごっつええ感じ』を降板したことで、いざとなれば世間の価値基準を無視して自分のこだわりを押しとおす人間なのだという印象が広まった。

松本はこのまま孤高のカリスマを貫くのか、それとも別の道を行くのか。この時期には本人もどちらに進むべきか決め切れず、迷っているように見えた。

2001年に始まった『M-1グランプリ』(朝日放送制作、テレビ朝日系)で松本は審査員を務めることになった。このときには、まだ現役の最前線にいる松本が他の芸人の審査をするということ自体が大きな話題になった。初回は番組全体にも緊張感が漂っていたし、「あの松本がどんな採点をするのか」という世間の関心も高かった。

2001年大会では松本の採点にもやや偏りが見られた。本人もどういうスタンスで審査を行うのか手探りの状態だったのではないか。当時の松本には、「自分も現役のプレイヤーである」という自負心のようなものが漂っていた。

ただ、回を重ねるごとに松本の審査員としての採点やコメントにも安定感が出てきて、落ち着きが感じられるようになった。それにともなって『M-1』も年々もり上がりを見せていき、視聴率も上昇していった。

松本は徐々に権威として祭り上げられる自分のキャラクターを受け入れ、それを自然な形で見せるようになっていった。

今では『M-1』で審査員を務めるだけではなく、『キングオブコント』(TBS系)でも審査を行っているし、大喜利番組『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)ではチェアマンとして芸人たちの大喜利バトルの解説役を務めている。

「権威であること」をうまく活かした松本人志

松本が権威としての自分をテレビの企画にうまく落とし込んだ最初の事例は、2004年に始まった『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)である。

カジノ風のセットで、松本が出演者の名前が書かれたサイコロを振り、出た目に従って出演者がとっておきの「すべらない話」を披露する、という企画だ。

権威としての松本が話を聞き、松本が笑う。そして、「すべらんなあ」と決めせりふを言う。松本はここで自分の権威を巧みに活用して、面白い番組を成立させることに成功したのだ。その後に始まった『IPPONグランプリ』も、次項で述べる『ドキュメンタル』も基本的な構造は同じである。

松本は権威としての自分を受け入れ、それを生かすことで低迷期を乗り越えて、新たなかたちでカリスマ性を発揮するようになった。

2010年ごろからダウンタウンが2度目の低迷期に入ったのは、松本の映画とNHKのコント番組が立て続けに不振に終わったからだ。

ダウンタウンや松本が芸人として高く評価されている証しの1つとして、その作品がいずれも圧倒的なセールスを記録している、ということが挙げられる。『ごっつええ感じ』『ガキの使い』『すべらない話』などのDVD作品はどれも爆発的にヒットしている。

アーティストとして作品を生み出してきた松本は、「松本のつくるものは、お金を出してでも見たい」と思う大勢のファンによって支えられてきた。

しかし、映画やコント番組が不振に終わったことで、そんな松本の不敗神話にも陰りが見えてきた。特に、映画が立て続けに不評に終わったことで、「松本がつくるものだったらなんでも面白いわけではない」というイメージが広まってしまった。これが逆風となってダウンタウンを苦しめることになった。

そんな状況から松本が再び注目されるきっかけになったのは、彼が手がけたひとつの作品だった。2016年にAmazon Prime Videoで配信開始された『HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル(以下、『ドキュメンタル』)』である。

「新しい表現の場」をつねに開拓してきた

参加費100万円を手にした10人の芸人が密室に集まり、優勝賞金1000万円を目指して本気の笑わせ合いをする。地上波では絶対に見られない緊張感のある「なんでもあり」のバカ騒ぎは多くの人を魅了し、ネットバラエティ番組の歴史を変える大ヒットコンテンツになった。

『ドキュメンタル』で重要なのは、そこに出てくる芸人が、いずれもテレビで名の知れた売れっ子ばかりであるということだ。彼らは、地上波テレビのフォーマットの中で、その才能のすべてを発揮できているわけではない。地上波テレビという場になじまない種類の笑いは、彼らのなかに封印されてしまうことになる。そんな彼らが制限の少ないウェブという場所で芸人としての全力を出し切る、というのが『ドキュメンタル』のコンセプトだ。

もちろん、そこには「あの松本人志からのオファー」という大前提がある。松本の名を冠した企画で、松本が別室で見守るなかで笑わせ合いをしなければいけないからこそ、彼らは持てる力のすべてを出し切って、真剣に企画に向き合うことになる。

『ドキュメンタル』の企画は、笑いの権威である松本がウェブで手がけるコンテンツとしては、このうえない最適解である。だからこそ、多くの人に視聴される人気コンテンツになったのだ。

NHKのコント番組は低視聴率に終わったが、実は松本にとってはこれまでのやり方を変える、いいきっかけになったのかもしれない。その後、NetflixやAmazonの台頭によって、ウェブで予算をかけたオリジナルコンテンツをつくる土壌ができて、その流れにスムーズに乗ることができたからだ。

もともと松本はテレビやライブだけにはこだわらず、自らの笑いを表現するための場所を積極的に開拓してきた。

1993年には自身が企画・構成・出演を務めた『ダウンタウン松本人志の流 頭頭』というビデオをリリースしている。1998年には『HITOSHI MATSUMOTO VISUALBUM』というビデオ(のちにDVD)を出しているし、2006年には第2日本テレビというインターネットテレビ局で「Zassa」というコント映像を有料で配信した。

そもそも映画監督業を始めたのも、そういう意識の表れだろう。地上波テレビ以外で芸人が面白いものをつくる表現の場が広がっている現状は、松本のようなアーティスト型の芸人にとっては、むしろ好都合なのだ。

コメンテーターとしても唯一無二

最近の松本の新たな動きとして注目すべきは、2013年に始まった『ワイドナショー』(フジテレビ系)でコメンテーター業に乗り出したことである。松本の発言はネットニュースなどで紹介される率が高い。松本がニュースについて何か意見を述べるだけで、そのこと自体がニュースとしての価値を持ってしまうのだ。時事ネタにコメントをするというのは松本の資質に合っている仕事だ。なぜなら、松本には何ものにも流されない独自の視点があるからだ。


テレビ局がどう思っていても、事務所がどう思っていても、松本は自分が思うことを率直に述べる。そこにウソがないということを、視聴者もみんな知っている。自分の地位や立場に縛られず、独自の目線で言いたいことをそのまま口にすることができて、そこに笑いどころを足すこともできる。そんな松本の「コメント芸」は唯一無二のものであり、これが面白くならないはずはない。

ネット上のSNSなどでは、世間で話題になっていることに関して、個人が好き勝手に意見を言う。いわば、「一億総コメンテーター化」とでも言うべき状況になっているのだ。情報バラエティ番組がやたらと増えているのには、そういう背景がある。

『ワイドナショー』は、「一億総コメンテーター化」する社会に対する、松本なりの解答である。誰もが気軽に時事ネタについて何か言える時代だからこそ、誰にも言えないコメントができる松本の特別さが際立つ。

松本は、笑いのカリスマとして、つねに「次に何を言うんだろう」と注目される存在であり続けてきた。そんな彼にとって、コメントそのものが売りになるコメンテーターは、まさに天職である。笑いだけにこだわる昔の松本であれば、このような仕事を引き受けることはなかっただろう。

新しいことに挑み、過去の自分のイメージを更新し続けているからこそ、松本はずっと最前線を走ることができるのだ。