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100年先まで炎上しないネットの使い方は存在するのか?



「若気の至り」の人生殺傷能力が上がった時代

属性あるあるの切り口は地雷レベルが年々上がってきそうな気配





ニュースを読んだとき、可哀想すぎて同情の笑いが出てしまった。

『アンネの日記』の原書には発見当時から茶色の紙で隠されていたページがある。2018年5月のAFP通信の記事によると、その部分が最新のデジタル技術によって解析されたそうだ。アンネの手により、性的なジョークなどが書かれていたと研究者らが発表した。

後世の研究対象になるような人物には、しばしばこの時空を超えた有名税が課せられる。日本の文豪や大名もしばしば私信が発見されては、プライベートなやりとりが白日の下にさらされてきた。とにかく気づかれたら最後、隈なく注視されてお目こぼしなんて望めない・・・・・・。

そして、インターネット時代はこの手のリスクの裾野が確実に広がっている。

軽はずみな発言は即炎上ばかりでなく時限爆弾になることも



最近の炎上事例では、6月のライトノベル作家の件が象徴的だろうか。作品のテレビアニメ化が決まった矢先に過去のヘイト色の濃いツイートが掘り起こされ、ただちに謝罪したもののテレビアニメの声優陣が続々辞退し、プロジェクト自体がお蔵入りに。原作小説も出版社の判断で出荷停止となり、今後の再版も絶望的な状況となった。

その一カ月前には、モデルデビュー前の2013年頃に投稿したつぶやきが問題視されて、若手有望株の男性芸能人が所属事務所をクビになっている。

いずれも自業自得といえる案件かもしれない。自分が注目を浴びた時に着火するような爆弾を若気の至りでこしらえてしまった感は否定できない。けれどもインターネットの世界では、常々発言に気を遣っている人でも、長年かけてこの手の爆弾を作ってしまうことが案外普通にある。

その主な原因は価値観の変化だと思われる。数十年前は問題にならなかった物言いが現在では非難の対象になる、というパターンだ。「保毛尾田保毛男」騒動にみる同性愛者に対するからかいしかり、若い女性の傾向を皮肉った企業広告「午後ティー女子」の炎上騒動にみる属性あるあるネタしかり。

炎上リスクの高い「反逆者のクール」を通ってきている人は多い?



筆者の事務所の最寄り駅には、ホームの端のほうで線路に向かって痰を吐き捨てている老人がいる。取材や打ち合わせの時だけ電車を使うので利用時間はまちまちなのに、彼の「ガーーッペ」が独特なので、しょっちゅう乗り合わせている気になってしまう。それでついつい見てしまうのだが、彼はいつもごく自然に痰を吐いている。悪びれる様子もない。おそらく若い頃からやっていたんだと思う。確かに昔はごく当たり前の行為だったらしく、駅に痰壺が置かれていたこともある。その頃から、ずっとマナーを更新せずに21世紀を生きているのだろう。

近い年齢の他の人が痰を吐いている姿は滅多にみかけない。が、彼ら彼女らの一部には若い頃はそうした行為をしていた人もいるのではないかと思う。それが普通だった時代のことなのだから何ら咎められることはない。

ただしーー。これがインターネットの世界になると、「かつての痰吐き」が検索ひとつで現在に呼び起こされる可能性がある。そして、現在の常識に照らし合わせて裁かれるリスクがある。

脳科学と経済学を組み合わせたビジネス書『COOL 脳はなぜ「かっこいい」を買ってしまうのか』によると、1950年代末には米国の若者の間でロックンロールに代表される「反逆者のクール」が流行ったという。既存の価値観に対して反逆し、お金儲けをダサいとみなし、安定に背く。それが格好良かった。

ところが1990年代に台頭したITベンチャーに象徴される「ドットコム・クール」では、経済活動の否定はせず、合理的で創造的、慣習にとらわれないことが格好良いとされるようになった。そうやって時代によって格好良いという価値観が変わっていったと分かりやすく論じている。

今の日本でも、多くの共感を集めるのはドットコム・クールのほうだろう。反逆のクールを気取って夜の校舎に忍び込んで窓ガラスを割って回ったら、たちまち炎上するのは目に見えている。

しかし一方で、壮年期以上では若い頃に反逆者のクールを経てドットコム・クールに至った人が少なくないだろう。もしも反逆者時代のTwitterやFacebookがあったら・・・・・・? 少なくとも筆者は絶対に炎上しないという自信が持てない。

2016年4月に刊行された『COOL 脳はなぜ「かっこいい」を買ってしまうのか』。スティーヴン・クウォーツ、アネット・アスプ著。渡会圭子訳。日本経済新聞出版社。

将来の炎上リスクを抑えるなら属性単位で論じるのは危険



インターネットは今後も重要なインフラとして世界中で機能し続けるだろう。すると、今は問題のない発言でも、2030年や2040年頃には非常識で浅薄、「そりゃ炎上するわ」と言われてしまうこともありそうだ。

では、10年先20年先も安心できる発言はどうやったらできるだろう?

未来の価値観について確かなことはいえないが、とりあえずはグローバル化が進むのと、良い意味でも悪い意味でも米国のポリティカル・コレクトネス(政治的に正当な物言い。差別や偏見を含まない公平な表現を指す)的な考え方がより大きな力を持つ方向にいくように思える。

であるならば、とりあえずシニカルジョークのハードルは上がりそうだ。性別や世代、国籍や人種、趣味集団などをひとくくりにして皮肉るといった笑いの取り方は相当神経を使わないと成功しないだろう。

また、素直に褒めるときでも、「女らしい」「男らしい」みたいな属性のイメージを押しつけるような表現は受け入れられなくなるかもしれない。結局のところ、その人、その言動をヘンに喩えず個別に評価するのが無難なんじゃないか。

世知辛いかもしれないけれど、対策を練っておけばきっとそんな変化も楽しめる……と信じている。

古田雄介(ふるたゆうすけ):デジタル遺品の現状を追うライターで、デジタル遺品研究会ルクシー理事。著書に『故人サイト』(社会評論社)『[ここが知りたい!]デジタル遺品』(技術評論社)など。

※『デジモノステーション』2018年9月号より抜粋。

text古田雄介