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●「食わず嫌い」本番中に居眠り

『カノッサの屈辱』『カルトQ』『食わず嫌い王決定戦』『クイズ!ヘキサゴンII』……数々の名番組でナレーションや天の声、クイズの出題を担当してきた牧原俊幸アナウンサーが、きょう7月31日でフジテレビを定年退職する。あの美声がもう聴けなくなるのか…と思われた方はご安心を。8月1日からは、フリーアナウンサーとして引き続き活躍する予定だ。

そんな牧原アナに、35年にわたるアナウンサー人生の思い出をインタビュー。社会現象にもなった番組との出会いを振り返ったほか、あの伝説の深夜番組についても語ってくれた――。

○いい声だと思っていなかった

――牧原さんと言えば、提供読みだけでも「牧原さんだ!」と分かる、温かみのある穏やかな声が印象的です。

そう言ってくださる方が多いんですが、私自身は、そんなにいい声だと思っていなかったんです。この声は、アナウンサーの仕事をやりながら、だんだんできあがっていったという感じですね。

――いい声だと思って、アナウンサーを志望されたわけじゃなかったんですか?

そうでもなかったんですが、読むのが好きだったんです。学生時代は落語研究会にいて、話すのが好きだったので、アナウンサーを受験したんです。

――フジテレビ以外も受けられたんですか?

ニッポン放送は一次試験でダメでした。あと、当時読売テレビが、落研関係の人ばかり集めてアナウンサーの試験をやった年で、最初は東京で選考があって、大阪までは行ったかな。その時に入社したのが、青山学院大学で「青山一浪・二浪」というコンビを組んでいた森武史さんです。

○『カルトQ』は手強い番組

――それからフジテレビに入社されて、長いキャリアを積まれてきたと思うのですが、印象に残っている仕事はなんですか?

やはり『カノッサの屈辱』(1990〜91年)のナレーションですね。今聴くと声の出来はそんなに良くないのですが、番組がとっても面白くて話題になりましたからね。映像はいろんな歴史的事象のパロディで作るんですが、それを私の声でしか伝えていないんです。番組の面白さが自分の声で成り立ってるんだなと思うと、すごくやりがいを感じて、それが読み込んでナレーションをやるということが好きになるきっかけになりました。今、制作現場で働いてらっしゃる方に、「子供の頃見てました」と声をかけてくれることが結構多くて、すごく影響力があったのだなとあらためて思います。

――他にも、90年代初頭の深夜番組でナレーションを担当されていましたよね。

『カノッサ』の田中経一&小山薫堂のタッグが作った『TVブックメーカー』(91〜92年)、『5年後』(92〜93年)という番組にも携わらせてもらって、思い出に残っています。その同時期に『カルトQ』(91〜93年)がありました。これも手強い番組でしたけど、面白かったなぁ。普通、クイズの出題原稿は2行程度なんですけど、『カルトQ』は長くて3行くらいあるんです。しかもマニアックな問題だから、自分で読んでもよく分からなくて(笑)。当時は毎回、スタッフや司会のうじきつよしさんも参加して勉強会を開いて、専門家の説明を受けながらみんなで問題を解いていくということをやっていました。意味が分からなくても、文脈が分かれば読めるんですよ。人の名前や地名とか、構成する要素が分かれば、問題文は聴いてる人に伝わるというのが、そこで体験して分かったことですね。

――クイズの出題は、『カルトQ』が最初ですか?

そうです。その後、いっぱいパロディができたんですよ。「とんねるずカルトQ」って言って、とんねるずの今までに関するクイズにタカさん(石橋貴明)とノリさん(木梨憲武)が答える企画とか、番組祭りのときには「フジテレビカルトQ」というコーナーがあったりして、呼ばれるんです。『カノッサの屈辱』の後も、パロディの番組がいろいろあって、「カノッサ風に読んでください」とよく言われました。

――とんねるずさんといえば、『みなさんのおかげです/した』(88〜18年)の「食わず嫌い王決定戦」(95〜17年)もずっと担当されていましたよね。

最初は河田町(旧社屋)の頃でしたけど、オープニングで私が庭のセットに立って、食に関するうんちくを30秒くらいしゃべるというスタイルだったんです。それで、タカさんがゲストと対決して、ノリさんは私と一緒にいて解説という役でした。初期はものすごく凝っていて、先手後手を決める「振り箸」をやる神主さん風の方がいたりして。その後、タカさんとノリさんがそれぞれのゲストに付くという形になりましたが、2人のお話を裏で聴くのは楽しかったですね。タカさんは優秀なインタビューアーで、人の話を引き出すのが上手だから、むしろそれを楽しみにしていました。

時々、嫌いなものを当てる時に、私が「なぜそう思われますか?」と聞かなくてはいけない瞬間に寝ていたことがあって、スタッフに「言って!言って!」と起こされたり、タカさんに「寝てたでしょ?」ってバレたりもしましたね(笑)。他にも、タカさんが女性ゲストに「このスタジオにお化けが出ますから」と言って、勝負がついて私が急にセットに出てきてビックリされるなんてことも。私は普通にやっていただけなんですが(笑)

――海外のVIPも含めて、大物ゲストがたくさん出たコーナーでした。

1時間半くらい収録をして、最初と最後が私の出番でしたが、途中はずっと番組を楽しませてもらうという感じでした。近距離でスターと会えますし、一応事前に何が嫌いなのかは知ってるので、それを食べた時の言動や表情を見たりもして。そういう意味でも楽しかったですね。放送期間も長かったので、代表作と言われると、やはり「食わず嫌い」でしょうね。

○島田紳助から「2人で歌って」

――『クイズ!ヘキサゴンII』(05〜11年)での出題も印象的でした。

島田紳助さんが司会をするようになって、最初は何人かで回していたんですが、次第に私が毎週やるようになりました。あまりにも“おバカ解答”が面白く、笑いが止まらなくて次の問題が読めないことも時々あったんですよ(笑)

――中村仁美アナウンサー(当時)と「部長と部下」としてCDデビューもされましたよね。

当時は「羞恥心」に始まって、出演者が順番に歌を出していたんです。そうしたら、紳助さんが「『お台場の女』いうの考えたんや〜。2人で歌って」っていきなり振られました(笑)。でも、あれもやって良かったです。CDを作るっていう体験もできましたし、『ヘキサゴン』のコンサートがあったのですが、最初は見に行く側だったのが、2〜3回出演者側で出させていただき、熱気を感じて。貴重な体験をさせていただき、いい思い出ですね。結構いい歌で、今でもカラオケに行くと、デュエットだけど1人で2人分歌っています(笑)

――クイズと言えば、昨年の大みそかから始まった『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』でも出題を担当されていますよね。

最近のフジテレビで話題になる番組に指名していただいたのは、うれしいし、ありがたいです。緊張感がある番組なので、こちらも緊張しながら読ませていただいています。

――そして、牧原さんと言えば、「マジック」は欠かせません。

早朝の『めざまし天気』という番組で、週2日マジックコーナーがあったんです。自分で披露する日と、簡単なマジックをやってみましょうと解説をする日があって、5年くらいやりました。その功績が認められて、日本奇術協会から「フェローシップ賞」というのもいただきました。私も賛助会員として入っておりますので。

●伝説の深夜番組『A女E女』

○早朝から女子アナに水をぶっかける

――他にも、いろいろな番組に携われていますが、ぜひ伺いたいのが『A女E女』(97〜98年)という伝説の深夜番組です。

あの番組は、事前に催眠術をかけられた女性たちが、太鼓を叩く音でひたすら悶えるという番組で(笑)。生放送だったので、社内中の人が見に来てましたよ(笑)。私はエルビス・プレスリーの衣装着せられて、前を開けて胸毛を出したりしながら司会と実況を担当したんですが、隣にいた催眠術師の方は、いまやベストセラー作家になった松岡圭祐さんですからね。

――しかし、よくあんな番組が放送できましたよね(笑)

6カ月放送しましたけど、さすがに自粛したんでしょうね、3カ月経ったらみんなでロケに行ったり、全く違う番組になりましたよ(笑)

――下ネタが続いて恐縮なのですが、『とくダネ!』で、「眉間」を「股間」と言い間違えたシーンを、『NG大賞』でよく拝見しました。

あれは雑誌の記事を紹介するコーナーだったのですが、「眉間の縦ジワ」というのを、何も考えずに「股間の縦ジワ」って読んでしまい、ゲストのピーコさんが大笑いされたんですね。自分より周りが先に気づいて、私は気付かずそのまま進行を続けいて。あの話をすると、いまだにウケます(笑)。『NG大賞』では他にも、『めざまし天気』で水の入ったコップを杖を使って浮かせるというマジックをやろうとした時に、失敗してコップが落ち、横にいた安藤幸代アナに水がかかってしまい、「キャーーッ!」って(笑)

――早朝から(笑)

マジックのコーナーのために、リハーサルもやっていました。マジックを朝5時からやっている自分は何だろうって思いましたけど、あの時は本当に楽しかったですね。

――長いアナウンサー生活の中で、この人はすごかったなという先輩はどなたでしょうか?

露木(茂)さんですかね。あんなに硬軟両方できる人はいませんでした。Hな人だと言われても全然平気な感じで、一方でニュースではものすごく信頼感もありましたから。あと、逸見(政孝)さんの売れ方はすごかったですね。局アナの最後のほうは、当然フリーになるだろうというくらいの売れ方をして、退社したらやっぱり各局に出ていましたからね。

私は、結構地味にやってきたほうだと思ってるんです。例えば、スポーツ実況は男性アナの醍醐味だったりするんですが、あんまり得意ではなかったので、最初はみんなが必ずやる『プロ野球ニュース』をやりましたけど、周りも「あまり好きじゃないんだろうな」って気づいて使われなくなりました(笑)。でもその分、ニュースに情報番組にバラエティと、いろいろやらせてもらえたと思います。『カルトQ』とか『食わず嫌い』とか『ヘキサゴン』とか、世の中に浸透して、人々の印象に残る番組にいくつも出会えたことは、本当に恵まれたフジテレビ人生だったなと思います。

○フジテレビには、またいい波が来る

――入社された1983年は、フジテレビさんが初めて視聴率三冠王になった翌年で、ものすごく勢いがあった頃ですよね。当時と比べて、最近のフジテレビは元気がないとよく言われますが、その変化は感じますか?

会社の中の空気は、変わっていないと思うんです。ずっと受け継がれてきた人の空気というのがあるんです。だから、世の中の波もあるのかもしれませんが、あんまり心配はしていないんです。いろんな良い兆しも見えてきていますから、またきっといい波が来るんじゃないかと思って、今後は外から応援しますよ。後輩アナウンサーたちも夏のイベントで頑張っていますし、これからのアナウンス室も楽しみですね。

――8月1日からはフリーアナウンサーとして再出発されますが、今後の活動を教えてください。

とりあえず芸能事務所にお世話になろうと思っています。ただ、今後どんな風にやっていこうかというのは、これから相談しながら決めるという感じです。今のところ決まっているのは、浅草演芸ホール昼席で、マジックを8月21・23・26日の3日間やります。

――おお! そちらの仕事から決まったんですね!

学生時代の落研仲間からお付き合いのある桂竹丸師匠に呼んでいただき、ちょっとマジックして、真ん中おしゃべりして、またマジックやるという構成で15分くらいやります。寄席でやるマジックは結構好きでいつも見ていて、せっかく声をかけていただきましたので、ぜひやらせていただこうと思いまして。楽屋にはいろんな師匠たちもいるので緊張しますが、竹丸師匠に退職するとお話しをしたら「じゃあ出てみない?」とお声がけいただいたので、本当にありがたいです。ゲスト枠なんですが、他の日は、松村邦洋さんや、藤本芝裕さんという三味線漫談の方などが登場します。

――『99人の壁』は8月15日(19:00〜21:00)に第3弾が放送されますが、フリーになって地上波初出演になりますか?

そうですね。BSフジではやはり収録済みの『クイズ!脳ベルSHOW』(毎週月〜金曜22:00〜)に、8月末に出る予定です。これからは、ナレーションが中心になると思いますけど、オファーがあればテレビの出演ももちろん、何でも頑張っていこうと思ってます。あとは、さしあたりマジックの練習をしないと(笑)