開業から90年が経った地下鉄銀座線。現在は施設のリニューアル工事が進んでおり、渋谷駅工事の際には通常見られない「青山一丁目行き」も走った(撮影:尾形文繁)

1927年12月30日、上野ー浅草間に日本初の地下鉄が開業。「東洋初の地下鉄」と呼ばれたこの路線が開業してから、昨年末で90年の節目を迎えた。

東京メトロでは2017年12月17日「銀座線タイムスリップ」と銘打った、記念列車を走らせるイベントを行った。また、銀座線90周年を振り返る書籍が出版され、銀座線トリビアを紹介する記事なども配信された。

そんな中、私も銀座線に関する取材をさせていただいた。関係者の方々に聞いたお話や、お借りした資料に記されていた内容は大変興味深かった。また、銀座線の各駅を隅々まで観察したが、駅構内にはさまざまな発見があった。だが、取材したものの中には、確証を得ることができずに割愛したものや、紙媒体のため記事のスペースが足りずにカットしたものがいくつかあった。

そこで今回は、銀座線90周年の取材の際に得られた情報を紹介する。なお、各情報に「確証度」を記しておく。もし、この記事をベースにして「銀座線トリビア」を披露される場合は、確証度Aのものだけを使用していただきたい。

証拠が見つからない「定番豆知識」

三越前駅の「定説」はウソだった?【確証度B】

銀座線の豆知識の中で『定番』といえるのが、三越前駅ネタ。「三越前駅は、三越が駅の建設費をすべて負担して造った駅。そのため、駅名に店の名前がつけられた」というものだ。

この事実の真偽を確認するため、三越の社史を編纂する担当者に取材を申し込み、話をうかがったところ「過去に出版された社史や、現在残されている資料を確認したが『駅名を三越前駅とする代わりに建設費をすべて負担した』という資料は出てこなかった。駅の改札口と三越の地下フロアを結ぶ通路は、三越が負担して造ったという資料はありましたが」という定説を覆す事実が出てきた。


地下鉄三越前駅の入口。駅は三越が全額負担して造ったといわれているが、証拠となる明確な資料は確認できなかった(編集部撮影)

さらに話を聞くと「三越前の駅名の話題は、さまざまな媒体で登場しているが、たくさんの場所で出まわりすぎていて、紹介しているところ1つ1つに連絡を入れるのもキリがない」という理由や、三越側に確認の連絡などもないので、特に関知していないとのことだった。

ちなみに、東京メトロの「銀座線リニューアル情報サイト」には、三越の全額負担によって三越前駅ができた、と書かれていることから、三越とこの区間を建設した東京地下鉄道の間で何か約束が交わされたことは間違いないようだが、その後の取材で「三越が駅の建設費を全額負担した」という証拠となる資料を確認することはできなかった。

乗り換え便利なあの駅の歴史

赤坂見附駅は、開業当初から二層式のホームだった【確証度A】

地下1階に銀座線の渋谷方面と丸ノ内線の荻窪方面、地下2階が銀座線の浅草方面と丸ノ内線の池袋方面と、二層式になっている赤坂見附駅のホーム。渋谷―新橋間の建設を担当した東京高速鉄道が、赤坂見附から新宿方面へ分岐する路線を計画していたため、このホームは開業当初(1938年)から二層式のホームで建設されたという。丸ノ内線が開業したのは21年後の1959年だ。


銀座線の駅で見られるリベットのある鉄骨(写真は「幻の新橋駅」)だが、赤坂見附駅では丸ノ内線ホームでも見られる。路線の開業時期は違うが、同じ時期に建設されたことを示している(撮影:尾形文繁)

この件に関しては、銀座線や丸ノ内線の建設史に記されているので、紙資料だけで事実であることは確認できるが、赤坂見附駅に行っても、その痕跡をうかがうことができる。

丸ノ内線のホームへ行き、天井を観察すると、銀座線の上野駅や虎ノ門駅などで見られる、リベットを使用したイボイボの鉄骨が残っているのだ。

デパートの力で急きょ作られた上野広小路駅【確証度B】

銀座線の駅で、建設の際にデパートの意向がいちばん強くはたらいたのは、上野広小路駅だ。

この駅は、1番ホーム(渋谷方面)と上野松坂屋が接しており、かつては、駅から松坂屋の地下のフロアが見える構造になっていた。


松坂屋に隣接している上野広小路駅(編集部撮影)

デパートの意向により建設されるのなら、浅草方面と渋谷方面、両方からのアクセスがよくなるよう設計するはずなのに、このような片側のホームに隣接するように造られたのにはワケがある。

当時、上野から新橋へ向けて路線を延長していた東京地下鉄道は、三越前や日本橋などでデパートと駅を直結する地下通路を建設し、買い物客を利用者に取り込もうとした。

そんな計画を聞きつけた当時の松坂屋の専務、小林八百吉が、大学時代の後輩で東京地下鉄道の創始者、早川徳次に「デパートに隣接する場所に駅を造れないか」と頼み、建設予定のなかった場所に上野広小路駅を造った。急きょ建設された駅なので、片側のホームだけがデパートに隣接する、変わった構造の駅となったのだ。

このことが事実かどうかを調査するために松坂屋の社史や広報誌を見せていただいたところ、上野広小路駅建設の経緯が、上述のような感じでハッキリと書かれていた。

ただ、東京メトロ側の資料を確認することができなかったので、確証度はBレベルか。

通路の内装をデパートが担当

岡本太郎の壁画でもてなした日本橋郄島屋【確証度A】

日本橋駅の渋谷寄りの改札口を出て少し渋谷寄りに歩いた場所から、郄島屋の地下1階の入口までの通路は、郄島屋が内装を担当する地下通路。現在は工事中のため、壁に囲いなどができているこの通路は、地下鉄開業当初から郄島屋が全力をかけて利用者をおもてなししていた通路だった。

担当者を訪ねて話を聞いたところ、この通路は日本橋郄島屋に来店する人の4割が利用するという、お店にとって一番大事な場所。通路の所有者は東京メトロだが、郄島屋では床に使う大理石を提供するなどして、利用者をもてなしているという。

また、昭和40年代には、壁に岡本太郎の壁画を展示していたとして、壁画が写った写真資料を見せていただいた。歩いて十数秒の距離の通路の床を大理石にしたり、高名な芸術家の作品を展示したりするあたりに、日本橋のデパートのプライドを感じた取材だった。

90年前から同じ?三越前のエスカレーター【確証度C】

前述の、銀座線リニューアル情報サイトの三越前のトリビアが書かれたページには、開業当初の三越前駅の写真が掲載されている。

その中の1枚に、駅の利用者がエスカレーターを使っている写真がある。三越につながる改札付近で撮影されたものと思われるが、現在の様子と比べると、エスカレーターの構造が実に似ている。

ホームから三越方面の改札口へとつながるエスカレーターは、金属の部分が金色の、他の場所では見ることができない年季の入ったもの。ベルトやコンベア部分は、安全の観点から新しいものに変わっているだろうが、基本部分は開業当時から使われているかもしれない。

こちらに関しては、まったく確証が取れなかったので、確証度はCということで。

建設時の工夫が生んだトリビア


現在は使用されていない「幻の新橋駅」に停車する銀座線の電車(撮影:尾形文繁)

銀座線は戦前、東京地下鉄道と、東京高速鉄道という2つの民間会社が、自ら資金を調達して作った鉄道路線。国などの補助金を得ることなく建設した裏側には、デパートに建設費を一部負担するよう話を持ちかけたり、ホームを狭くしたりするなど、建設費節約のためのさまざまな努力があったことがわかった。

残念ながら、今回の90周年のタイミングでは、そういった話を掘り下げることができなかった。だが、2028年、100周年のタイミングの際には、東京メトロが銀座線にまつわるエピソードを徹底的に調査した書籍などをきっと出してくれることだろう、と期待したい。