毎年2月と7月に発表され、出版界の大きな話題となる直木三十五賞(通称:直木賞)と芥川龍之介賞(通称:芥川賞)。

みなさんは、直木賞と芥川賞についてどのくらい知っているだろうか。 2つの賞の違いは? 

改めてそう聞かれるとよくわからない……そういう方も意外と多いのではないかと思う。

簡単に説明すると、直木賞は娯楽性の高い大衆文学に与えられる文学賞で、対象者は無名・新人・中堅作家などキャリアを問わず。小説の長さも短編・中編・長編すべてよし。一方の芥川賞は純文学が対象で、無名か新人作家が書いた短編と中編のみということになっている。

つまり、どちらかというと直木賞の方が親しみのある作品というわけで、そのせいか映画化される原作も直木賞の方が多いようだ。

今回は、両受賞作品を実写化した映画20本をご紹介しよう。

直木賞受賞作品篇

時代屋の女房』(1983) 原作者:村松友視

骨董屋「時代屋」の主人とそこに転り込んできた不思議な女、そして近所に住む人々との交流を描く。

時代屋を経営するのは35歳独身男性。「男と女の仲は気楽な方がいい」と考えているタイプの男である。そんな彼の店へ銀色の日傘をさした女性がふらりとやってきて、そのまま居ついてしまうという寓話的なストーリー。

彼は彼女の素性について何も聞かず、いい女だったのでなりゆきで一緒に暮らし始めるのだが、この女がまた猫みたいでねえ。突然いなくなったかと思えばまた帰ってきたりして、ドライな男女関係をよしとしていた彼をあっという間に翻弄してしまう。そういえば、彼女は猫を抱えてやってきた。気に入ったからそこにいる。ただそれだけ。

夭逝した美人女優・夏目雅子がヒロインを演じ、ミステリアスでお茶目な役がピッタリだ。時代屋という思い出を集めた場所に、傘をクルクル回しながらスッとしのびこんできた異界の女。懐かしくも新しい昭和風情満載の作品である。

『GO』(2001) 原作者:金城一紀

パーティで美少女と出会った主人公はたちまち恋に落ちるが、彼は差別や偏見に悩む在日韓国人だった。

若い在日韓国人をこんな風に描いた小説は、それまでなかったのではないだろうか。主人公は、将来の進路が決まらずモンモンとしながら喧嘩ばかりしている高校3年生。ヤンチャだけど普通の10代に見える彼は、実は民族学校に通う在日韓国人で、生まれ育った日本と己のアイデンティの狭間でいらだち、モヤモヤしているのである。

在日差別について考えさせられつつも、活きのよい窪塚洋介と力強い瞳の柴咲コウという組み合わせが「疾走する青春!」という感じで、痛快だ。特に柴咲コウは、原作者が「映画化するなら彼女」というイメージで書いたそうなので、なんて幸せなキャスティング。テンポの良さはさすがクドカンだ。

この作品に影響を受けてMr.Childrenが「youthful days」を作るなど、幅広い人気のある映画。主人公の設定が在日韓国人という意味は大きいものの、「世界を見るのだ」という普遍的テーマが若者の心を動かしたことは間違いなし。

『赤目四十八瀧心中未遂』(2003) 原作者:車谷長吉

この世に自分の居場所はないと絶望した主人公が、妖しい美しさをもつ女性と出会い、死出の旅路へと向かうため赤目四十八瀧を登っていく。

寺島しのぶから「この役を演じたい」と聞かされた母親(女優の藤司純子)が、「もしこの役をやったら、私は死ぬ」と言ったそうだ。同業者ではなく母親として、そこまで娘に演じて欲しくなかった役。自殺をほのめかしてまで阻止しようとした役とは一体……う〜ん、逆に興味をそそられてしまう。

結局その強い反対をモロともせず見事に演じ切った寺島しのぶは、この作品で日本を代表する演技派女優に成長。決して美人じゃなのにその美しさときたら……真夏の日差しに照らされた真っ白なワンピースが目に焼きつく。寺島しのぶで本当によかった。当時まだ無名だった新井浩文のインパクトもみどころ。

深い緑と滝の轟音の隙間をぬうように、死に場所を求めて山道を歩き続ける男と女。くねくねとした細い道は、あの世に続いているのだろうか。心中モノの昭和文学を映像にするのは難しそうだが、これは成功例として評価が高く満足感あり。

『容疑者Xの献身』(2008) 原作者:東野圭吾

顔をつぶされ、指紋を焼かれた惨殺死体が発見された。新人女性刑事が捜査を進めていくうちに、被害者の元妻の隣人の存在が浮かび上がってくる。

福山雅治が主人公を演じて大人気となった連続TVドラマ「探偵ガリレオシリーズ」の長編を映画化。今回は彼と頭脳戦を繰り広げる天才数学者(堤真一)が登場し、2人が大学時代の友人だったという設定のもと、事件の裏にある複雑な心理が明らかにされていく。

こういう推理モノでは、いわゆる悪役が魅力かどうかで面白さが決まる。それから動機。この映画では、人生に絶望して疲れ切っている数学者と成功した人生を自信満々に歩んでいる物理学者、という対照的な理系2人の闘いがみどころ。トリックも一転二転し、そこに切なすぎる想いが加わって最後まで目が離せない。

それにしてもこんなにくたびれた堤真一、あまり見たことがないかも。彼の心の闇をもう少し掘り下げて欲しかった。何だかラブ・ストーリーを観たような気分になる作品。

『まほろ駅前多田便利軒』(2011) 原作者:三浦しをん

便利屋を営む2人のところへ舞い込んでくる奇妙で怪しい依頼を通し、さまざまな人生や人間模様を描く。

物語の舞台となる「まほろ市」は東京都町田市がモデルだそうで、適度に大きな街にいろんな人たちがいて、映画を観ている限りでは住みやすそうな雰囲気。そんな街で仕事を淡々とこなす多田(瑛太)と、ひょうひょうとした行天(松田龍平)の絶妙コンビが、事件というほどでもないちょっと風変わりな出来事を、冒険というほど熱くはないテンポで解決していく。

2人は“常識人”と“変人”という正反対の性格のようだが、“家族”という深い傷を抱えているところが同じ。特にのほほんと生きているように見えた行天の過去には、ビックリ仰天である。

彼らのほどよい距離感が心地よく、空気はゆるいけどピリッとしたところのある作品。こんな感じで生きていけたらいいなあ。連続TVドラマと続編『まほろ駅前狂騒曲』もある人気シリーズなので、またいつか2人に会えることを期待している。

『凍える牙』(2012) 原作者:乃南アサ

人体が発火して炎上する殺人事件が続発し、殺人課のベテラン刑事と新米女性刑事のコンビが捜査を始める。

日本で2回TVドラマ化された人気サスペンス・ミステリーを韓国で映画化。焼死体に獣の噛み傷が残っていたという謎を解いていくうちに、社会の裏にある闇と悲哀が浮き彫りにされていく。

“炎”と“犬”という組み合わせがシャーロック・ホームズの「バスカヴィル家の犬」を思い起こさせるが、こちらは本当に噛みつかれているので実在する犬だ。ターゲットの臭いを嗅ぎ分けて忍び寄り、一瞬の隙を突いて喉元に噛みつく。わざわざそんな高度な訓練を受けている殺人犬とは、なんて異様な設定なんだろう。

出世コースからはずれた中年刑事をソン・ガンホが演じ、丸い背中が相変わらず哀愁を漂わせている。単なる猟奇的殺人事件ではなさそうなので動機が気になるところだが、そこらへんの背景もきちんと描かれており、知れば知るほど複雑な気分に。原作は日本の小説だが、この執念の度合いは韓国映画にピッタリ。

『利休にたずねよ』(2013) 原作者:山本兼一

安土桃山時代に豊臣秀吉に仕え、最期は切腹させられた堺の茶人・千利休の半生を描く。

天下人に寵愛されていた千利休が、なぜ切腹しなければならなかったのか。2人の間で一体何があったのか。多くの研究者や作家たちがその謎に迫り、いまだ諸説ある利休の死。しかしこの映画では、豊臣秀吉との関係がこじれた背景に触れつつも、その答えを明確に出すことはせず、あくまでも利休の美学をスクリーンに映し出そうとしている。

ちょっと驚いたのが、若き日の利休の悲恋物語が登場することだ。生涯忘れることのなかった美しくもはかない恋。その痛みによって彼は美の求道者に突き進んでいったということなのだが、そのエピソードが回想として語られるものだから、晩年の利休からいきなり若々しい時代へ。市川海老蔵ファンとしては嬉しい限りだろう。

三井寺、大徳寺、神護寺、彦根城など国宝級の建造物がロケ地となっているだけでなく、茶道具も高価な本物が使われているそうだ。特に名品「長次郎作 黒樂茶碗 銘 万代屋黒」がさらっと登場するあたり、リアリティの追求度も本気。目でも楽しめる贅沢な作品である。

『私の男』(2013) 原作者:桜庭一樹

津波で孤児になった少女と、彼女を引き取ることになった男の禁断の関係を描く。

北海道奥尻島で起きた津波から1人生き残った少女。その少女を養女にして一緒に暮らし始める男。空虚を抱えながら身を寄せ合って暮らす2人のつながりは、他人にはわからない。北海道の真っ白な風景が、彼らの閉じた世界を象徴しているかのよう。ゆらゆら動く流氷の上に老人と少女が乗っているシーンは、それまでのあやういバランスが一気に崩れる緊張感で心臓バクバクだ。

二階堂ふみと浅野忠信ならこんなこともあり得るかも、と思わせる説得力のあるキャスティング。藤竜也が演じる遠縁のおじさんにもリアリティがあり、悲劇が胸に迫る。

監督が北海道出身なだけに、北国の冬の描写に夢もファンタジーもなくて素晴らしい。「この作品で監督生命が終わっても悔いはない」という発言通り、少女が被災した時は16mmフィルム、流氷の街での暮らしには35mmフィルム、東京に移った夏にはデジタルと撮影方法を変えるほどの気合いぶり。男性と女性では感想が分かれそう。モヤモヤした余韻が心地よい。

『蜩ノ記』(2013) 原作者:葉室麟

城内で刃傷沙汰を起こしてしまった若い武士が、その罰として10年後に切腹を控える武士の監視を命じられる。

娯楽作品というよりガッツリ系時代劇である。なので、歴史に馴染みがないと時代背景や人間関係がよくわからんということになりそうだが、ベテラン俳優たちの落ち着いた演技をじっくり味わえる楽しみはあるだろう。切腹を命じられた武士を役所広司が演じ、静かな覚悟をたたえたその姿がどう見てもワケありだ。なぜこんなことに? 

武士としての崇高な生き方が清々しく、彼を支える家族の達観した有り様も日本的。その境地に至るまでの悲痛な日々については描かれていないが、それもいちいち言葉にしなくても心情はわかる。

死ぬことを考え続けて生きた10年の重み。その最期の3年間をそばで過ごした監視役の武士は、いわば彼の人生の集大成部分だけを見ているわけである。若い武士役の岡田准一に初めから思慮深い雰囲気があるので、その成長ぶりを感動的に受け止めにくいところがちょっと残念。

『小さいおうち』(2013) 原作者:中島京子

ある屋敷で働いていた親戚が残したノートを読んでしまった青年が、その家で繰り広げられていた恋愛模様と、隠された真実を知る。

タイトルのにもなっている“ちいさいおうち”は、昭和モダンの建築様式を徹底的に再現した赤い三角屋根の小さな屋敷。絵本から抜け出たようなかわいらしいその家に、田舎から出てきた若い娘がお手伝いさんとして働き始める。赤いほっぺに太い眉といういかにも素朴な娘。そんな彼女が、奥様を想うあまり大胆な行動を起こしてしまう。

美しい若奥様をキラキラと演じた松たか子と、その奥様をじっと見守る古風な顔立ちの黒木華が対照的。しかし、彼女はおぼこい田舎娘に見えてもやはり女。だって奥様の帯がね。逆さまだったんですよ。女の第六感で奥様のイケナイ恋路に気づいてしまい、密かに胸を痛める日々。

昔はこういう戦争をはさんだやるせない恋愛ドラマがあったなと、ノスタルジックな気分になってしまう。否応なしに惹かれあっていく男女の描き方が丁寧で、たまにはこういう映画もいい。

『悼む人』(2015) 原作者:天童荒太

自分と関わりのない死者を悼む旅をしている男性と、彼をめぐる人間模様を描く。

彼が悼む相手は、あくまでも不慮の事故で亡くなった人たち。彼は見知らぬ人たちの死に真摯に向き合い、独自の儀式をしながら全国を放浪している。端からみると限りなく怪しい宗教家のようだが、そのような行動を起こすようになった彼にはもちろん深い理由がある。

その死人が誰に愛され、誰を愛していたか。それを自分だけは忘れないで覚えていること。それが「悼む」ということらしいが、自分なりに死と向き合う方法を確立しているのは素晴らしいものの、その対象が赤の他人であるということに共感が得にくかろう。そこらへんのデリケートな心理描写が、映画では難しいのかも。なので、彼が書いた日記という設定の作品「静人日記」が読みたくなる。

特筆すべきは、夫殺しで服役していた女性の存在である。そのすさまじい過去たるや……孤独な女の狂気と哀れさよ。その彼女を石田ゆり子が疲れ気味に演じていて、なかなかよい。

『何者』(2016) 原作者:朝井リョウ

就職活動中の大学生たちが発信するSNSの裏にある本音や自意識が暴き出され、彼らの関係が少しずつこじれていく。

なんてコワイ話なんだろう。原作者はサラリーマンをしているから、よけいに説得力がある。今から就活をする人もすでに経験した人も、観ればイヤ〜な気持ちになるはず。出演者も「俳優になれて本当によかった。就活って大変。自分にはとても無理」みたいなことを口にしていたが、ほんとにねえ。

しかしよく考えてみると、就活そのものがコワイわけではない。情報交換と称して集まった大学生5人が、「自分は何者か」を模索する過程で自分の思いや悩みをSNSで発信する。そこには見栄や嘘もあり、みんなはその言葉の裏を察して嫌悪感や嫉妬を覚える。集団に属する人間の表と裏。就活はそれを浮き彫りにするための装置に過ぎない。

彼らは狭い価値観の中で焦っている。つぶしあっている。それを冷静に見せつけられる怖さ。そして、それは他人事だから面白い。朝井リョウ、恐るべし。

『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(2017) 原作者:黒川博行

大金を持ち逃げされたヤクザとお金のない建設コンサルタントが、ヤクザ同士のトラブルに巻き込まれながら資金回収に奔走する。

ナニワの凸凹コンビが奮闘する疫病神シリーズの映画化。冷静かと思ったらすぐにキレるヤクザを佐々木蔵之助が演じ、噛みつくようなしゃべり方や表情が狂犬みたい。でも、カラオケで英語の曲を気持ちよさそうに歌い上げたりして、あれ? こんな人だっけ?というチャーミングさが憎めず。佐々木蔵之助の新しい側面を見ることができるというおトク感があり、横山裕とのボケとツッコミも関西のノリだ。

舞台が大阪ミナミということで、関西出身の俳優が多く出演している。なので、ヤクザ同士で飛び交うバリバリの大阪弁が楽しく、やっぱりネイティヴの会話はテンポがよくて気持ちがいいなあ。安心して聴いていられる。あちこちから追われている橋爪功のいいかげんな雰囲気も、大阪やなあ。

映画出資金と称して大金を騙し取る手口も、どことなく夢があるような気がして、アクションあり笑いありのエンターテインメント作品としてオススメ。シリーズとしてまた映画化されそうな予感がする。

芥川賞受賞作品篇

『家族シネマ』(1998) 原作者:柳美里

家族の映画を作るため、崩壊していた家族が20年ぶりに再会するが、彼らはみんなトラブルを抱えていた。

両親の不仲が原因で離散していた家族が、カメラの前で幸せそうな家族を演じる様子を、ドキュメンタリー風に描いた映画。コメディと称されているようだが、まあ、う〜ん、ブラック・コメディかもしれない。久々の再会だったので最初は気を遣いあっていた家族。しかしそのうち過去の記憶が生々しく蘇ってくるわ、白々しい言動にブチ切れるわで、やっぱりまた崩壊してしまうところが滑稽かも。

どちらかというと、身につまされる話ではないかと思う。少なくともこの父親だけは、家族とまた暮らしたいと本気で思っているので、そのズレっぷりが哀れを誘うのだ。皮肉な描写にも容赦がない。ちなみにこれは、日本語映画として韓国初公開。

どこまでが彼らの現在なのか、劇中劇の演出なのかがわからなくなる瞬間があり、そこらへんの演出がうまい。子供たちも、心の底では失われた家族を求めているのだろか。原作者の実体験に基づいているそうなので、痛みがリアルに染みてくる。

『豚の報い』(1999) 原作者:又吉栄喜

豚がもたらした厄を落とすため、3人の女性を連れて故郷の島を訪れた男子大学生が、思わぬ騒動に巻き込まれていく。

彼が生まれたのは、豚小屋。スナックに飛び込んできたのは、1匹の豚。その豚に襲われて気を失ってしまう女性。島に行った女たちは、豚を食べまくる。手づかみでムシャムシャと大量に。豚・豚・豚。この映画は豚づくしだ。

沖縄が舞台だとはいえ、登場人物たちがここまで自然に方言を口にする映画はめずらしいだろう(字幕が入る)。女たちの生と性の奔放さにタジタジとなりながら、マメに世話をする男子の姿が可笑しい。呼び捨てされるのが似合うのよ。その彼を小澤征悦が演じているのだが、濃い顔が沖縄の地で違和感なし。

実は彼には、故郷の島に戻ってきたもう1つの理由があった。その目的が果たされると、旅は終わる。人間の生と性をおおらかに描いた土の匂いがするファンタジー。癒し系沖縄映画とは一線を画すあたりが貴重な作品だ。

『ゲルマニウムの夜』(2005) 原作者:花村萬月

教会の教護院に戻ってきた主人公が、欲望のまま暴力や淫蕩の限りを尽くすようになる。

そもそも彼は殺人を犯して教会へ戻ってきたのだが、その後もシスターをレイプするわ人を殴るわの荒れ放題。それはまるで自分を罰さない神の存在を試しているかのよう。彼は時々ゲルマニウムラジオから流れてくる「神の囁き」に耳を傾け、じっと物思いにふける。

土に汚れた雪。家畜の皮膚。生暖かい湯気。それらがぐちゃぐちゃに入り混じってスクリーンから匂ってきそう。最初は主人公だけが異端に見えたが、実は彼が身を置いている世界もすでに腐っており、神に仕える者も性欲にまみれて地獄の有様であった。

宗教的なテーマが潜んでいるのでちょっとモヤモヤしてしまうが、新井浩文の優しいのか狂っているのかわからない三白眼が冴えわたり、奥の深い文学作品を読んだ後のような気分になる。心に引っかき傷が残る忘れがたい作品。

『蛇にピアス』(2008) 原作者:金原ひとみ

人生に絶望しているヒロインが、痛みによって生きている実感を得るため人体改造に溺れていく。

ほんわかしたイメージをガツンと裏切る吉高由里子の女優魂。オーディションで自ら脱いで見せたらしいが、そのくらいのド根性がなければこの役はできないだろう。スプリットタン(舌先を蛇のように2つに分けること)は刺青より痛そうで、とてもCGに思えず。しかし観客も強烈な痛みを感じてこその映画なので、正視できなくても耐えるべし。

今ならこの程度で肉体改造とはいえないかもしれないが、彼女の体にいろいろ施す男はかなりヤバイよ。ピアスだらけの顔が「ドラゴンボール」に出てきそうなインパクト。サディストでバイセクシャル。でもそれほど嫌悪感を持てないのは、井浦新が演じているせい。ヒロインと似た者同士ゆえに深く関わりつつ、最後まで得体が知れない。

公開当時ほどの衝撃はないにしても時代の空気感は十分伝わってくるし、まだ共感を得ることはできるだろう。

『苦役列車』(2012) 原作者:西村賢太

酒と風俗に溺れる日雇い労働者の主人公が、たった1人の友人と憧れの女性との交流を通して自分の姿を見つめていく。

舞台は1980年代後半。19歳の主人公は父親が犯罪者になってしまったせいで一家が離散し、中卒で独り暮らし。稼いだお金をすぐ酒や風俗に使い果たすので、家賃も払えない。まだ若いのに人生これでいいのか。目を覚まして早く抜け出せ。でも彼は出口を探せなくてグルグル。そんなしみったれた孤独な男を森山未来が好演し、逆にイメージアップしているのが不思議だ。

彼は過剰なプライドとコンプレックスの持ち主で、堕落した生活からなかなか抜け出せないのはそのせいだろう。しかし、全てを失くしても本だけは残った。彼の言葉の言い回しがたまに純文学的だし、自分のことを「僕」と呼ぶのが違和感ありだったけれど、読書家なんだから妙に納得。

主人公と原作者の姿が重なり、どうしようもない暗い闇と一筋の細い光が見える。自分も彼と同じだと思い、でもこの映画を観て希望を見出せるのならまだ大丈夫。

『共喰い』(2013) 原作者:田中慎弥

昭和63年の川べりの街で、暴力を伴うセックス癖のある父への嫌悪感と、その血を引いていることへの恐怖に葛藤する男子高校生の姿を描く。

父の暴力的なセックスを聞かされたり目撃したりすることで、同じ遺伝子を受け継いでいる自分も同じ行為をしてしまうのではないかと恐れてしまうのは、一種の暗示であり、呪いだ。同じ男であるがゆえに、主人公はその宿命的な呪いに苦しむ。おまけに彼の身の上には、17歳にはとても背負いきれないような出来事が次々と……。

そんな鬱積した若者を菅田将暉が体当たりで演じて映画デビュー。その後の快進撃を予感させるすごい度胸だ。ところで、母親役の田中裕子が口にする“あの人”とは誰のことかと思ったら、そうか、これは昭和から平成へと移り変わる時代だったか。まだ戦争という影がうっすらと見え隠れしていた時代の空気感も、きちんと伝わってくる。

それにしても女性がみんなたくましく、自分の未来は自分で切り拓く覚悟ができていて、理不尽な暴力に甘んじていない。ここで描かれる暴力的父権をはじめ、切断された左手や新しい命などは象徴的な事柄なのだろう。はずされた義手が魚の骨のようで美しかった。

『火花』(2017) 原作者:又吉直樹

売れない芸人の主人公と先輩芸人を通し、厳しいお笑いの世界でもがく若者たちの姿を描く。

原作も監督も売れっ子芸人という異色作。自分たちがよく知る世界を扱っているのだから、主人公の2人がイケメンすぎるという点を除けば安易なキレイ事はないはず。なので、安心して観ていられるのが嬉しい。

先輩と後輩の関係。夢と挫折。相方の事情でコンビ解散。東京進出の苦労。これらはお笑い界あるあるなのだろうが、芸人の世界でなくても似たようなことはあると思う。つまりこれは、夢に向かってチャレンジし続けた若者の青春物語。うまくいってもいかなくても、それが真剣勝負だから泣けてくるのである。

この物語は、笑いに対する純粋さに狂気すら感じる先輩芸人の存在がポイント。TVドラマ版では菅田将暉の役を林遣都、桐谷健太の役を波岡一喜が演じているので、どちらが原作のイメージに合っているのか観比べてみては? 10年間という月日が2人をどう変えたのか。アホでもやらないよりマシ。そういうことです。 

いかがでしたか?

映画と原作は別モノなので、先に映画を観るか原作を読むかが悩ましいところ。

キャスティングに不満があったり結末がガラリと変わっていたりしても、その違いを楽しむことができたら物語の世界がまた広がるかもしれない。

第159回(平成30年上半期)直木賞・芥川賞の発表は7月18日(水)。

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