「ファミコンブーム」にあれほど熱中した背景
ビデオゲームの博物館にも飾られているファミリーコンピュータ。2016年=ポーランド(写真:EASTNEWS/アフロ)
最近は、報道などでもよく聞くようになった「eスポーツ」や「プロゲーマー」。
今から30年以上前、元祖・プロゲーマーともいえる存在で「ゲームは1日1時間」「16連射」の流行語を生み出し、マンガ・映画・アニメ、さらには子ども向け情報番組のレギュラーなど、子どもたちのヒーローとして活躍していたのが、高橋名人である。
最近、『高橋名人のゲーム35年史』も上梓した高橋名人に、今だからこそいえるファミコンブーム当時の裏話を語ってもらった。
高橋名人とファミコンの出会い
1982年8月に私はハドソンに入りました。
実は皆さんが思っているように、ファミコンがあったからハドソンに入社したわけではありません。ファミコンは私が入社した翌年の1983年に発売されていますからね。それよりも、パソコンのプログラムに興味があったからです。
当時読んでいた、『月刊マイコン』というコンピュータ雑誌の表紙をめくると、ハドソンの広告が載っていたんです。
コンピュータをやり始めたときにそれをずっと見ているので、「あ、すごい大きい会社だな」と思っていました。
しかも住所を見ると、(札幌市豊平区)平岸というところで、高校時代の通学路の途中で近いというのもあって、名前は徐々に刷り込まれていました。
私のファミコンの最初の仕事は、『任天堂のファミリーコンピュータ ファミリーベーシックがわかる本』という本の制作だったのですが、その仕事が終わったあと、「今度ハドソンでもゲームを出したいよね」という話になり、ゲームを作り始めました。そこで、第一弾として、『ロードランナー』と『ナッツ&ミルク』というゲームを作り始めます。
最初の作品なので、2本ともにハドソンのオリジナルがいちばんよいのですが、「売れないと倒産するよね」ということで、「1本は、今、有名なやつがいいんじゃないの」という話になり、当時、世界的に『ロードランナー』がはやっていたので「じゃあ、これ面白いから、これでいこう」ということになりました。
ファミコンに移植するときに、「ほかのゲームと同じように、1画面で全部わかるのはキャラが小さすぎて面白くないから、キャラクターをマリオぐらいの大きさにしたほうがいいのではないか?」という話になりました。でもそうすると、どうしても画面が狭くなっちゃうので、ステージ全体を表示させるためには、スクロールさせなければなりません。
それを『ロードランナー』の開発元に説明しにいったら、「これは『ロードランナー』じゃない」と最初は反対されました。しかし、「ファミコンというテレビゲームは子ども向けのゲーム機だから、こういうアクション性が入ったほうが絶対に面白いですよね」というふうに説得して、発売できるようになったんです。
それにより、『ロードランナー』はパズルゲームですが、スクロールすることによって、アクションゲーム要素も強くなりました。
『ロードランナー』は、100万本を越える販売本数になりました。それまでのハドソンの年間売り上げをこの1本で超えてしまったのです。
「裏技」という言葉はなぜ生まれたのか
『ロードランナー』は、「裏技」という言葉が生まれるきっかけになったタイトルでもあります。
きっかけは『ロードランナー』で、「はしごに右手をかけて止まっているときにロボットがすり抜ける」というバグが見つかってしまったときのことです。
これがパソコンのプログラムであれば、バグがあったとしても雑誌に「リストの何行目のここをこう修正してください」と掲載すれば修正できたのですが、ファミコンはそれができません。
「これが返品問題になると倒産だな。どうしよう」と考えていたときに、『コロコロコミック』側から「これ本当の技じゃないけれど、やってみたら面白い技ということで、逆に言っちゃってもいいんじゃないですか?」と提案されたのです。
「それも面白いかもしれないな、じゃあどうしよう? 表に対して裏技というのでいいんじゃないの?」というのが、そのときの会話で出てきたんです。
ネット上では「裏技」は、私が考えたという話もありますが、実際は『コロコロ』さんとの話し合いのなかで生まれた言葉なのです。
そのあとに、隠しキャラクターなどを入れる文化が定着しました。
当時、メーカーはファミコンのゲームを年間に5本までしか出せない。それもトップのメーカーの話。それ以外のメーカーは3本だったのです。
そういった事情もあって、宣伝部としては1本のソフトを長期間売りたい。そこで、雑誌やテレビに記事を出すためのネタとして、秘密のものを隠しておき、「ここでこうしたら、こういうキャラクターが出るよ」というように後出しをするために、隠しキャラなどは手持ちのネタとして入れておいたのです。
しかし、1985年〜1986年ぐらいからは、ロムのプログラムを読まれて、隠されているものが最初の1週間ぐらいでぼんぼん出されるから、お手上げ状態になっていましたね。
とにかく、昔のプログラマーや開発の皆さんは、メモリの許すかぎり「どこかに何か面白いものを入れたい!」「よりよくしたい!」という気持ちがあったわけです。みんな考えることは同じなんです。
それが、ファミコンという、大人じゃなくて子どものなかに広がったことで、子どもがまた逆に面白おかしく解釈して、雑誌も面白おかしく紹介するものだから、「裏技」という文化に一気に火がついたということではないかと思います。
ファミコンはなぜ大ヒットしたのか
なぜ、ファミコンが子どもにウケたのか?
その理由として考えられるのは、それまでの日本におけるテレビゲームの流れにあると思っています。
インベーダーゲームが出て、「インベーダーハウス」(現在のゲームセンター)が日本国内に乱立した時代。100円玉を積んで、みんなが遊んでいました。
すると、そこに不良がやってきて「俺によこせ!」みたいな恐喝などがあったので、PTAが小・中学生はゲームセンターへの入場を禁止にした流れがありました。
テレビゲームという未来的な遊びが面白そうなのに、子どもたちは遊べない。その鬱憤が、ファミコンが出てきたことによって晴らされました。アーケードゲームと同じものが家でできるようになったからです。その最初が『ドンキーコング』です。
これだけでも、ファミコンが売れた理由になると思います。