現在開催中のウィンブルドン選手権でベスト8に進出した錦織圭選手。2014年の活躍で、日本のテニス人気に火をつけたスターだ。WOWOWとも深いつながりがある(写真:AFP/アフロ)

スポーツコンテンツは賭け――。放送業界でよく聞かれる言葉だ。日本代表が活躍するか、日本人のスター選手が現れれば、一気にそのスポーツの人気も高まる。だがそうでなければ、多額の放映権料などの投資は報われずに終わる。放送局の体力と忍耐力が問われるビジネスだ。しかし最近、20年以上にわたる“ある賭け”に勝ち、ひたすら強化に邁進する局がある。衛星放送のWOWOWだ。

その賭けの正体が、テニスだ。ナダル、フェデラー、ジョコビッチ、マレーという男子スター選手の「BIG4」が飛躍し、錦織圭選手や大坂なおみ選手など、日本人選手も世界のトップレベルで激戦を繰り広げるようになった。

日本で唯一グランドスラムすべてを放送

テニスは今や、日本でも幅広いファン層を抱えるスポーツの1つ。特に現在開催中の英国・ウィンブルドン選手権は世界最高峰の大会として毎年注目を集める。残念ながら錦織選手は男子シングルス準々決勝で、大坂選手は女子シングルス3回戦で敗退。明日7月15日には男子シングルスの決勝が行われ、盛り上がりはピークを迎える。


トップクラスの格上選手を撃破する勝負強さが人気の大坂なおみ選手。男子シングルスの人気が高い日本で、女子シングルスの注目度を一気に高めた選手だ(写真:Getty Images)

ウィンブルドン、全豪オープン(1月)、全仏オープン(5〜6月)、全米オープン(8〜9月)は4大大会(グランドスラム)と呼ばれ、それぞれの開催時期には世界的にテニス熱が高まる。

そんなグランドスラムを日本で唯一、全大会放送しているのがWOWOWなのだ。映画や音楽ライブ、舞台、独自ドラマのほか、ボクシングやゴルフなどスポーツに強い。テニスは目玉コンテンツの1つだ。4大大会の期間中は毎日10時間近く、合計160時間ほど放送する”テニス祭り”状態で、これを求めて加入するファンも多い。田中晃社長は「テニスWOWOWの看板であり、キラーコンテンツだ」と胸を張る。


ウィンブルドンで久々に存在感を示しているナダル。ジョコビッチとともにベテランの強さを見せつける大会となった(写真:ロイター/アフロ)

なぜ熱心なテニスファンがWOWOWに集まるのか。まずは試合中継だ。4大大会の場合、映像はホスト局の放送事業者によるものを放送する。そのため、独自の要素はアナウンサーによる実況と解説になる。しかし、WOWOWの実況・解説の最大の特徴は「しゃべらないこと」に尽きる。これはいったいどういうことなのか。

野球やサッカーなどのスポーツとは異なり、テニスには「ラリー中は静かに見守る」という観戦マナーがある。そのため、実況・解説も視聴者の邪魔をしないように、ラリー中は無言を貫き、プレーの流れと空気を読みながら話している。この姿勢は熱心なファンから支持されてきた。バラエティ番組のようにスポーツを中継する地上波各局とは正反対といえる。

ただし、新規のファンを置き去りにしているわけではない。選手の入場から試合前の練習時間を使い、選手の経歴やプレーの特徴などをわかりやすく説明するようにしている。そのほか、現地取材による最新映像や選手のインタビューなども、ファンを引き付ける重要な要素になっている。

大勢のスタッフが現地で“目利き”

放送だけではない。加入者限定のネット配信サービス「メンバーズオンデマンド」もフル活用する。テレビ放送は日本人選手や有力選手の試合が中心だが、「ピックアップコート」というサービスを設け、放送しない注目の試合を最大4コート、ネット中継している。


「ピックアップコート」という配信サービスでは、テレビ放送されない試合も楽しめる。グランドスラムでは、ハイブリッドキャスト(ネット経由でコンテンツをテレビ上に配信する仕組み)を用いて、テレビでも視聴できるように実証実験を行っている(写真:WOWOW

どの試合を配信するか決めるのは現地に飛んだスタッフだ。グランドスラムのたびに総勢50人ほどが2週間、現地で取材をこなしている。4大大会は約20のコートで試合が進行しており、その中から、選手のランキングのほか、会場の盛り上がりなどの空気感を加味して試合を選んでいる。

2018年にはコンテンツを強化すべく、「男子テニスATPワールドツアー」のライブ配信も始めた。同ツアーは男子プロテニス協会の組織下にあるツアー。グレード別の大会が世界各地で毎週開催され、選手は試合に出場してポイントを稼ぎ、よりグレードの高い大会の出場権を得る。錦織選手をはじめとする日本人選手も参加している。ファンはほぼ一年中、テニス中継を楽しめるようになった。

WOWOWの目玉コンテンツに上り詰めたテニスだが、かつてはマイナーなコンテンツだった。人気が爆発するまでに、実に20年以上の歳月を費やした。

テニス中継の歴史は古い。1991年に開局したWOWOWは、1992年にウィンブルドンを除くグランドスラムの放送をスタートさせた(ウィンブルドンは2008年開始)。テニスを選んだ背景には、開局時の方針としてスポーツ放送を掲げていたことがある。野球などメジャースポーツの放映権は地上波のテレビ局が押さえていたという事情もあった。

テニスは年間を通じて試合が開催されるため、継続的に視聴を促せるコンテンツだが、「テレビ向きではない」という特徴がある。それは試合時間が読めないからだ。一方的な試合なら1時間程度で終わるが、フルセットにもつれ込み、5時間超の長丁場となることもある。毎日決まった時間に放送する帯番組を編成する地上波テレビでは扱いが難しい。その点、柔軟な編成が可能な有料放送にとっては有利だった。

また、現在のように有料放送が乱立していなかった当時、視聴者は比較的金銭に余裕のある層が多かった。テニスは高貴なスポーツとされており、「テニスファンはWOWOWが狙うユーザーに近いという思惑もあったようだ」(同社スポーツ部の清水大志プロデューサー)。

意気揚々とテニス中継を開始したものの、なかなか人気は出ず、新規加入者の獲得にもつながらなかった。一方で放送にかかる費用は大きな負担だった。放映権料はもちろん、取材スタッフの派遣にもおカネはかかる。社内での評価も決して高いものではなかったという。

社内では“お荷物コンテンツ”ともいわれた

当時、日本人選手では伊達公子選手が世界トップレベルで戦っていたが、絶頂期の1996年に突然の引退(1度目、後に復帰)。その後、シングルスで活躍する日本人選手は長らく現れず、テニス中継が注目されることはなかった。「今ほどテニスというスポーツにバリューもなく、社内では“お荷物コンテンツ”といわれていた」。清水氏は不遇の時代をそう振り返る。

それでも、WOWOWテニスをあきらめなかった。むしろ積極的に拡充を進めたほどだ。2011年にはそれまでの1チャンネル体制から、「プライム」「シネマ」「ライブ」の3チャンネル体制に移行、放送枠は格段に増えた。前後して、楽天ジャパンオープンなど、放送するテニスの大会を増やしている。2012年にはライブ配信と見逃し配信を開始。ピックアップコートも2013年に始めるなど、WOWOWでしか見られない仕組みで、テニスファンが集まる下地を着実に作っていった。


男子シングルスで長年前線で活躍してきたフェデラーは、日本のテニス人気にも貢献。今年のウィンブルドンではまさかの敗退となった。今般、ユニクロとのスポンサー契約が明らかになっている(写真:Getty Images)

転機は突然訪れた。2014年、錦織選手が全米オープンで日本人初の準優勝という快挙を成し遂げたのだ。待ち望んだ日本人スターの登場に日本中が沸いた。WOWOWにも加入者が殺到し、この年の9月の新規加入件数は15万超と過去最高の数値を記録した。その後も米国育ちの大坂選手がグランドスラムで競合選手を次々と撃破するなど、日本におけるテニスの注目度が増し、WOWOW内での人気は一気に高まっていった。

テニス人気の爆発で盛り上がったのは、放送・配信だけではない。2013年からWOWOW子会社が運営するウェブメディア「テニスデイリー」の重要度も一段と増した。大会の試合速報や特集記事、海外のニュースを提供し、有名選手のスーパープレー動画も見られる、テニスの情報サイトだ。

ただ、テニスデイリーはWOWOWの放送に関連したコンテンツだけではなく、ジュニアや中学、高校、大学、実業団などアマチュアのニュースも取り上げている。サイトの方針として、テニス自体の普及や競技人口の底上げを掲げているためだ。アマチュアの中でも人気なのは高校生の大会の記事。インターハイなどの期間中は、サイトのアクセス数も伸びる傾向にあるという。今年3月には全国選抜高校テニス大会を取材し、試合動画を配信するなど、アマチュア選手のコンテンツも拡充の動きが活発だ。


テニスデイリーで無料のウェブ会員になると、限定記事・動画を楽しめる。ウェブ会員はWOWOWの重点施策で、将来的に有料放送に加入してもらうのが狙いだ(画像:WOWOW

テニスデイリーを統括するネット事業推進部の藤岡寛子ユニットリーダーは「野球やサッカーはプロリーグの存在に加えて、競技人口も多いから人気がある。高校生やジュニアの動向も積極的に取り上げることで、テニス自体を盛り上げていきたい」と意気込む。

テニスの普及を支援する取り組みは続く。今年4月にはTBSテレビやアプリ開発会社のジールズと共同で、テニスプレーヤー向けのマッチングサービス「TenniSwitch(テニスイッチ)」を開発、リリースした。「練習相手を探すのが難しい」というプレーヤーの悩みに応えたものだという。

リアルにおけるプレーヤー同士の交流も狙い、ユーザー向けのイベントも積極的に開催する考えだ。「デジタルだけの取り組みは飽和状態。イベントに参加して楽しかったなど、体験を通じて“自分ごと”にしてもらうことが重要だと考えている」(藤岡氏)。

「DAZN」はテニスをも狙うのか

WOWOW自身としても、テニスアンバサダーを務める伊達公子氏と協力したイベントや、アマチュア選手が集まる試合の主催など、将来の可能性を探る。そうした取り組みを続けていけば、「日本におけるテニス文化が拡大し、テニス人口が増えることで、将来的にWOWOWの加入者も増えると考えている」(前出の田中社長)。

ただし、昨今のスポーツ放送・配信は戦国時代。日本でも動画配信サービス「DAZN(ダゾーン)」(英パフォームグループが展開)が猛威を振るう。2016年には、10年間・合計2000億円に及ぶ巨額の放映権契約をJリーグと結んだ。2018年からはプロ野球11球団の主催試合を配信し、男子プロバスケットボールB.LEAGUEの試合も配信するなど、スポーツファンに欠かせない存在となっている。

WOWOWの強みであるテニスについて、他社に放映権を奪われる可能性はないのか。清水氏は「グランドスラムに関しては20年以上の実績がある。権利元とは良好な関係を保っており、長期で考えてくれていると思う」と説明するが、リスクはもちろんゼロではない。

20年以上にわたる賭けに勝ち、ようやくテニス人気を手にしたWOWOW。放送だけでなく、デジタルとリアルの取り組みで、さらにテニス界を盛り上げることができるか。本当の正念場はこれからなのかもしれない。