「もはや官僚はエリートではありません」
 近著『没落するキャリア官僚〜エリート性の研究』で官僚の現状を考察した神戸学院大学現代社会学部の中野雅至教授が言いきる。

 日本最高の頭脳を持つエリート集団。そんな官僚像は変わりつつあるというのだ。自らも厚生労働省に在籍していた中野教授が続ける。

「かつては東大法学部から国家公務員I種試験に合格して官僚になるのがエリートコースでした。しかし、バブルが弾けてから官僚志望者は激減し、農林水産省で初めて東大法学部卒がゼロになる年が出てきたんです」(中野教授)  

 学歴エリートが官僚を目指さなくなった理由はいろいろ挙げられる。まずは、過酷ともいえる長時間労働だ。現役官僚の声を聞こう。

「国会対応の課長補佐クラスは連日徹夜が続く」(金融庁) 
「繁忙期の週あたり残業時間は40時間」(国土交通省)

 残業時間を月換算すれば160時間。他省への取材でも、月200時間程度の残業はザラだ。 

「国会答弁を作り終えるのが朝の3時から4時。翌朝から国会が開かれるときは、帰らずに職場で寝ました。どこの役所でも廊下に段ボールを敷いて寝ている人がいました」(中野教授・以下同)

 官僚の仕事は、国会対応、予算案作成、法案作成、各省折衝、そして政治家への対応という「雑事」がある。これらの仕事をこなすために労働時間が長くなる。

 これだけの激務を考えれば、その報酬は高額でもよさそうなものだが、以下のように、50歳の本省課長で年収は約1300万円となっている。

「中小企業などに比べれば高額でしょう。ただ、大企業では役員報酬1億円もザラにありますからね」

 官僚には「天下り」がある。退官後、天下り先をいくつも渡り歩くのが「わたり」だ。 

「かつては『わたり』によって生涯所得が10億円になる『10億円クラブ』が存在するとまことしやかにいわれた時代もありましたが、いまは国家公務員法の改正で天下りの斡旋が禁止されています」

「もりかけ」問題のように、政治家の尻拭いをさせられて、世間からバッシングの矢面に立たされるのも官僚だ。

「官僚は政治家と政策論争をすべきですが、実態は政治家の下僕と化している」

 戦後も数々の不祥事があったが、それでも、当時の官僚は国民の信頼を失っていなかった。

「『公務員に関する世論調査』(昭和63年)をみると、天下りに肯定的な意見が多数派だったんです。『日本の高度成長を支えたのは優秀な官僚』という官僚に対する敬意が、国民の間にあったんです」

「政治は三流、官僚は一流」
 1970年代に日経連会長を務めた桜田武氏の言葉だ。かつて官僚は「エリート」の名にふさわしい評価を受けていたのである。それが変化し始めたのは、バブル崩壊以降だと、中野教授はみている。

「経済が低迷し始めて官僚の権威が失われ、同時に官僚バッシングも始まったのです」  

 官僚はエリートの座から転落しつつある。再び現役官僚の声を聞こう。

「やりがいは形に残る仕事ができて、それが自分の理念と一致していること。不満を持つという発想自体がパブリックマインド(公徳心)から外れているので、そういうことは考えない」(金融庁)

 官僚たちの多くは誇りを失っていない。
(週刊FLASH 2018年6月19日号)