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「人の印象を決定づける一番の要因がにおいです。脳の構造から見ても、嗅覚は生物的な本能を引き起こしやすいと考えられています」。東北大学の坂井信之教授はそういう。汗をかく季節には、においも強くなる。妻や娘といった家族に、一度でも「くさい」と思われれば、その印象は固定化され、本能を引き起こしてしまう。どうすればいいのか。「プレジデント」(2018年7月16日号)の特集「山中教授の自分を変える」より、記事の一部をお届けしよう――。

■「くさい人は危険」と、脳は認識してしまう

ビジネスをするうえで、「くさい」ということはとても危険だと、東北大学教授の坂井信之氏は指摘する。

心理学的には、人の印象を決定づける一番の要因がにおいです。性格や見た目はその次。どんなに仕事ができて、人柄がよかったとしても、くさかったら、ただそれだけで嫌われてしまいます」

坂井氏によれば、人間はひとたび「くさい人」と認識すると、その人を見るたびに脳が自動的に「くさい」という記憶を呼び起こすようになってしまう。つまり、「くさい」という印象を1度与えてしまったら、ずっとくさい人だと思われ、嫌われ続けてしまうことになるのだ。

「その原因として考えられているのが、嗅覚の情報を処理する第1次嗅覚野がある位置です。脳の中で、記憶を司る海馬が隣り合わせになっていることから、においは記憶に非常に強く働きかける感覚だと考えられている。アルツハイマー病を発症すると、まずはにおいの感覚や記憶から失われていくこともわかっています。脳の構造から見ても、記憶と嗅覚の結びつきの強さには納得できるところも多いのです」

そもそも、ヒトはどのように脳の中でにおいを感じ取っているのだろうか。そのメカニズムを聞いた。

「においは、におい成分の分子が空気中を飛んできて、鼻の粘膜にあるレセプターでキャッチされます。その後、におい成分の分子とレセプターの化学反応が起き、脳に信号が送られて『いいにおいがする』『くさい』などと感じ、判断するようにできているのです。また、判断と並行して大脳辺縁系の扁桃体という場所に情報が送られ、意思とは関係なく感情が働きます。このため、嗅覚は生物的な本能を引き起こしやすいと考えられているのです」

また、においに対して、ヒトが瞬時に本能的に判断を下すようにできている理由はほかにもある。

「まず、ヒトは、知らないにおいに対して『危険だ』と感じるようにできています。それに加えて、嗅覚にはある程度近くにならないと感じ取れない、という特徴がある。視覚や聴覚は『遠受容性感覚』と呼ばれ、対象物が遠いところにあっても感じたり、察知したりすることができます。それに対して、味覚や触覚は『近受容性感覚』と呼ばれ、実際に対象物に触れないと、それがどのようなものかわかりません。嗅覚はその間にある感覚。つまり、においを嗅いでから安全か危険かを判断していると、敵の危険にさらされてしまうことになる。そのため、知らないにおいや今までと違うにおいが来ると、脳の中で記憶などの情報を処理して判断する過程を通り越して、理屈抜きで本能的に逃げないといけないという嫌な気持ちにさせるのです」

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▼においは思考に関係なく、感情をゆさぶる
扁桃体:感情を司る
第1次嗅覚野:においの情報を処理する
海馬:記憶を司る
嗅覚は視覚、聴覚など他の感覚と異なり、2つのルートで脳に伝わる。ひとつは、他の感覚と同様に、情報が大脳皮質(嗅覚の場合は、第1次嗅覚野)に送られ処理、判断が生じるルート。もうひとつは、情報が記憶や感情を司る大脳辺縁系のうちの扁桃体に直接送られるルートだ。何かがにおうと、意思とは関係なく感情が働くのはこのためだ。

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■においにうるさい妻、娘なりの理由

においを感知する仕組みは誰にでもあるが、においに対する敏感度は人によって異なる。それは、閾値(いきち)(ここでは、においに気づく最小値)が低いと敏感、高いと鈍感というように個人差があるためである。また、においに含まれる「においの種類/強度」といった情報を感じ取る能力の発達の度合いによって、においに対する判断力も変わってくる。

さらに、男女差もある。

「一般に、女性は男性よりも閾値が低く、敏感だといわれています。根拠に基づいた推論でしかありませんが、古来、男性というのは狩りに出かけるか、労働作業に従事するという活動をメインにしていたので、他人と密接に関係している状況になることが少なかった。そのため、においに注意するよりは、見たものを重視するように進化してきた。反対に女性の場合は、男性が狩りに出ている間は集落などに残り、狭い空間で他人と一緒に作業することが多かった。つまり、見た目よりもにおいに注意する環境で生活をしていた。このようにして、敵味方を、男性は見た目で判断し、女性は嗅ぎ分けることで生き残ってきたのではないかと考えられています」

においの感じ方は人間関係に起因するとも指摘されている。

「夫婦喧嘩をすると、妻はいつもより夫がくさく感じる、ということもある。また、思春期の娘が『お父さん、くさい』と言い出すのは、自分と同じにおいの存在との近親相姦を避けるメカニズムが働いているためとされています。そのため、もしも人から『くさい』と言われたら、誰に、どのようなタイミングで言われたかを考えながら対策を立てる必要がある。妻から『くさい』と言われた場合は、におい対策をするよりも、自分の行いを見直したほうが効果的かもしれない。娘に言われた場合は『年頃になったんだな』とうれしく思いつつ、冷静ににおいに関して対処していくということも必要です」

ビジネスの場面では、男性同士でも、相手のにおいを拒絶したくなることもあるようだ。

「職場における対人関係において、相手が自分とライバルになりそうな人の場合は、くさく感じることがあります。同じようにくさい、と感じても、親しい人の場合は許せて、そうでない場合は嫌な気分になる、という違いもあります。その理由は、1.2メートルくらいのパーソナルスペースを侵されていると感じるから。見たくなかったら目をつぶればいいし、聴きたくなかったら耳栓をすればいい。しかし、においは呼吸する以上、ガードすることができないため、非常にきつくなるのです」

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▼女性がにおいにうるさいのには、太古からの理由があった!
大昔、男性は屋外で狩りをするのが主な仕事で、嗅覚よりも視覚が重要だった。一方の女性は、集団生活内でうまくコミュニケーションをとっていく必要があったため、そばにいる仲間のにおいを敏感にかぎ分けるようになった。

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■見た目が悪いと、におい面でも大損

「におい」は「見た目」とも密接に関わっている。

「例えば、汗のにおいがして見回したときに、ハンカチで汗をふいているオジサンがいると、本当はその人のにおいでなくても『あ、あの人がくさいんだ』と勝手に思ってしまうことがあります。においの発生源は、嗅いだだけではわかりにくいものだからです。ですので、いい印象を与えようとしたときに、香りだけをよくしようとするよりも、同時に見た目もよくしたほうが、効果は格段に上がります」

人の見た目と香りに関するこんな実験結果も出ている。

「若い人は代謝が早く、汗もたくさんかき、皮膚に常に存在する常在菌も多いので、汗と菌がまざってとてもくさくなります。しかし、実験をすると、若い人は中年に比べてネガティブな印象を持たれにくい。これは完全に心理学的なもの。試しに目隠しをしてにおいを嗅がせると、若い人はくさいとなる。つまり、『くさい』は見た印象で決まるということなのです」

男性が特に注意したいのが、加齢臭やミドル脂臭だ。男性の体臭に対しては、加齢臭という言葉が使われがちだ。しかし、加齢臭とは、50代以降に多く出てくる2‐ノネナールという化学物質が原因のにおいだ。30代、40代のにおいは、加齢臭とは異なるミドル脂臭なのである。

「ミドル脂臭は、チーズの腐ったにおいや、ビールが酸化したにおい等の成分がいくつか含まれていて、誰が嗅いでも嫌なにおいです。一方、加齢臭は枯れ草や畳のようなにおいが特徴で、それ自体は決して不快なにおいではない。2‐ノネナールを学生に嗅がせると『いいにおい』と言う子と『くさい』と言う子に分かれます。『いいにおい』と言う子は、祖父母と関係が密な子が多いです」

おしゃれのひとつとして香水を使う人もいるが、万人ウケを狙うなら、無臭でいることがベター。香りの好き嫌いは、人によるからだ。

「先ほども触れたように、知らないにおいは、非常にネガティブに捉えられてしまいます。もっとも失敗がないのは、『無臭』であること。特に今の日本の社会は、無臭化が進んでいる。無臭が好まれるのは、日本文化の特性。心理学的に考えると、無垢、ニュートラルといったイメージがある『白』が好まれるのと同じです」

最近では汗拭きシートや制汗スプレー、あるいは衣服のにおいを消すものまで、消臭効果のある商品が増えてきている。それらを使うのも有効な手だ。

「食べ物や、体表に存在している菌が原因で体臭が発生することもあります。この2つに気をつければ、ミドル脂臭を抑えることができます」

食べ物については、脂っぽいものを控えること。脂っぽいものを多く食べると、汗にも動物の脂を含む成分が含まれてしまい、体表の菌がその汗を分解してくさい成分に変わってしまうのだ。

■対策は必須でも、気にしすぎには注意

体表の菌は、においの原因にはなるが、消しすぎるのもよくない。

「体表には意味があって菌がいます。夏の暑いときに汗拭きシートでパッと汗を拭くなど、部分的、あるいは瞬間的に殺菌するのはいいですが、やみくもに殺菌し続けてしまうというのはやめたほうがいいでしょう」

ビジネスの成功を左右する「におい」。ただし、においの気にしすぎには要注意だ

「自己臭恐怖症という精神的な病気があります。『みんなに避けられているのは、自分がくさいからだ』と考え、においを取らないと、と思い込んでしまう。本当は表情が硬いなど、におい以外のことが原因で人から避けられているのに、それをにおいのせいにしてしまうというように、実際にはくさくない場合もあります。身だしなみやマナーだと思って、親切のつもりで人のにおいを指摘する際も、伝え方には慎重になるべきです。言い方によっては、自己臭恐怖症のような反応を引き起こしてしまう危険性もあることを、心にとどめておいてください」

ビジネス誌「プレジデント」最新号(2018年7月16日号)の特集「山中教授の自分を変える」では、ビッグ対談「柳井正×山中伸弥 世の中の変化のスピードについていくための処方箋」を筆頭に、「脳科学で問題解決! なりたい自分になる法」「苦手克服! 人生を変える9日間プログラム」「厚切りジェイソンの『英語脳の作り方』」など、「なりたい自分に変わる」をテーマにした記事を詰め込みました。ぜひお手にとってご覧ください。

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坂井信之(さかい・のぶゆき)
東北大学大学院文学研究科心理学研究室教授
東北大学電気通信研究所・脳科学センター所属。大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科修了・博士(人間科学)。味覚や嗅覚などに関する脳科学および心理学に関連する120本を超える研究論文を発表。

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(ライター 吉田 彩乃 撮影=沼田孝彦 写真=iStock.com)