高校時代は3年間を10番を背負い、青森山田で活躍。当時から存在感は飛び抜けていた。写真:JMPA代表撮影(滝川敏之)、(C) SOCCER DIGEST

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 恩師の目に、愛情を注ぎ込んで育てた教え子の姿はどう映っただろうか。

 ロシア・ワールドカップの初戦となったコロンビア戦のピッチに柴崎岳が立った。

 柴崎にとってワールドカップデビュー戦となった一方で、青森山田高サッカー部出身者でも史上初、青森県出身選手としても初のワールドカップ戦士となった。

 今の日本代表において柴崎の存在は無くてはならない存在だ。歴史的勝利を飾ったコロンビア戦では、彼の攻撃のスイッチを入れる縦パスだけでなく、リーガ・エスパニョーラで磨いた献身的かつ頭脳的な守備が光った。

 日本代表に選ばれ、ただワールドカップに出場するのではなく、チームの中核として君臨する。これは柴崎の才能に早くから惚れ込み、中学校時代から6年間手塩にかけて育てて来た黒田剛監督の”内助の功”が大きい。
「岳が小学校の時に試合を見て、ひとりだけ次元が違った。小学生なのにあれだけ周りが見えているからこそ、プレーに変化を付け加えることが出来る。もう驚き以外何物でもなかった。欲しいと思ったと同時に、『これはかなり大きな責任を背負うことになるな』と感じました。この才能を潰したら大きな損失だなと。ワクワク感とともに大きなプレッシャーを感じました」

 黒田監督は野辺地SSSでプレーしていた小学生の柴崎に一目惚れ。柴崎の両親には「この子を必ずプロにします」と誓いを立て、青森山田中へと引き込んだ。

 そして、彼のポテンシャルを消さないように、発想と積極的なプレーを容認しながらも、きちんと規律を植え付け、天才少年からトップレベルのフットボーラーに仕立てた。その過程で黒田監督は何度も柴崎に驚かされたという。

「岳はパサーであるけど、前のスペースが空いていることを絶対にも逃さない。仕掛けるべきところは仕掛ける。そのタイミングを逃さないことが凄い。(2009年度に)選手権準優勝をした際、メディアの方々から岳のプレー写真がたくさん送られてきたのですが、30枚、40枚の写真でボールを見ている写真が1枚もない。常にボールは間接視野で見るものだと思っているから、そうなると判断で遅れることは少なくなる。逆に他の選手の写真を見ていると、ボールばかり見ている選手が多く、本当に驚きだった」
 そう指揮官に言わしめた柴崎は中学校3年生でプリンスリーグ東北、高円宮杯全日本ユース(現・高円宮杯プレミアリーグ&チャンピオンシップ)にレギュラーとして出場。高校2年生の時には、日本の10番としてU-17ワールドカップ出場、青森山田ではチームを選手権準優勝に導いた。そして、高校ナンバーワンMFとして鹿島アントラーズ入団を早々に勝ち取ったのだ。

 黒田監督の献身的な6年間により着実に成長を遂げたが、柴崎の成長において非常に重要なポイントがひとつあった。それが彼のメンタリティーだ。

「取り組む姿勢に関しては、他の選手より群を抜いていた。自分の技術に一切奢る事無く、常に自らの取り組みで仲間に示そうとしていた。それをしながらも、自己の成長には一切手を抜かない。練習でも他の選手にも自分にも厳しかった。だからこそ、彼の言葉にはすべて説得力があった」(黒田監督)
 この姿勢は26歳になった今も変わらない。黒田監督は今年の1月にこう話をしている。

「岳は日本代表に絶対に必要な選手だと思う。一瞬で勝負を決められる、トドメをさせる選手は、日本代表を見ても、彼以上の選手はいないと思う。局面打開では日本の中で彼に勝るものはいない。だからこそ、将来的には日本の司令塔にならないといけない存在だと思います。そのためにも(スペイン)1部での活躍で証明して、『呼ばざるを得ない状況』を作らないといけません」

 この予言は的中した。柴崎の活躍は代表に呼ばざるを得ない状況はおろか、『中心に置かざるを得ない状況』に。そして、立場は劇的に変わり、日本の司令塔としてワールドカップの舞台で十分な存在感を見せている。

 黒田監督はモルドリバ・アリーナのスタンドからコロンビア戦を観戦した。大観衆の目の前で輝きを放つ教え子の姿を、感慨深い表情で見つめていたことだろう。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)