アメリカにおいて、ホームスクーリングは2015年に約220万人が選択している。(AFLO=写真)

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■親の経済力が低くても独学する人は大成する

教育機会における「格差」の問題が引き続き関心を集めている。

「いい学校」に行くためには、塾や参考書などにお金がかかる。大学に進んでも、「奨学金」というかたちで「借金」をすると、後で苦労する。

つまりは、家庭の経済力で受けられる教育が変わってしまい、卒業した後も、その影響がずっと続く。そのような認識が広がりつつある。

社会全体として、経済格差によって子どもたちが受けられる教育が変わらないようにすべきことは当然である。財政が厳しい中でも、教育費の無償化や一部補助は、「未来への投資」としてぜひ充実させるべきだし、奨学金のあり方も見直して、改善すべきだろう。

一方で、お金ですべてが決まってしまうという「運命論」はいかがなものか。学びのあり方を冷静に見ると、経済力だけでは測れない可能性が見えてくる。

作家のヘルマン・ヘッセやジョージ・バーナード・ショー、アーネスト・ヘミングウェー、作曲家の武満徹、ミュージシャンのデヴィッド・ボウイやジミ・ヘンドリックス、建築家の安藤忠雄、人工知能研究者のエリエゼル・ユドカウスキー……。

これらの人物は、すべて、正規の学校教育に頼らずに、それぞれの分野で一流の業績を成し遂げた「独学者」たちである。彼らの成功を、単に「特別な才能があったから」と片付けるのはもったいない。そこには、これからの教育を考えるうえで重要なヒントがあるはずだ。

■お金をかけて塾に通っても本人にやる気なければ意味はない

安藤忠雄さんは、京都大学に通っている知り合いから、建築学科で使われている教科書を教えてもらって勉強したという。ヘミングウェーは大量の読書をした。ヘンドリックスはレコードを聴きながらギターの練習をした。

彼らに共通しているのは、学校に関係なく、「やるべきことをした」ということである。学校に行くお金をかけなくても、必要な情報を得てそれに従って学べば、成果を上げることができる。

逆に言えば、お金をかけて塾や学校に通ったとしても、本人にやる気がなければ意味がないことになる。

人工知能の発達などにより、これからの社会で人間に要求される能力は激変してくるものと予想される。そんな時代には、学校で学んだからそれで一生済むということはありえない。

結局、自分で学習の目標を立てて努力することができる「独学者」であることが一番効率がよく、長続きする。それならば、最初からそうすればいいという考え方もある。

たとえ学校に通っていても頼ってしまうのではなく、自ら学ぶ習慣とノウハウを身につけている人のほうが絶対に有利である。

究極の独学として、家庭で親から学ぶ「ホームスクーリング」がある。アメリカでは、100万人単位の子どもがホームスクーリングで学んでいるという。

興味深いことに、ホームスクーリングの子どもたちには落ちこぼれが少なく、結果として有名大学への進学実績もいいというデータがある。自らの創意で学ぶ「独学」の優位性を示していると言えるだろう。

教育における経済格差の議論は大切だが、行きすぎると、「いい学校に行かないといけない」という時代遅れの教育観に縛られる。

今こそ、独学の可能性に注目したい。

(脳科学者 茂木 健一郎 写真=AFLO)