『ちいさな英雄―カニとタマゴと透明人間―』声優陣とキャラクタービジュアル ©2018 STUDIO PONOC

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映画『ちいさな英雄―カニとタマゴと透明人間―』の追加キャストとスタッフが発表された。

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8月24日から全国公開される同作。元スタジオジブリの西村義明が代表を務めるアニメーション制作会社・スタジオポノックの短編アニメーション制作レーベル「ポノック短編劇場」の第1弾作品となる。「ちいさな英雄」をテーマに据えて、『メアリと魔女の花』などの米林宏昌監督による初のオリジナル作品『カニーニとカニーノ』、母と少年の愛を描いた百瀬義行監督の『サムライエッグ』、見えない男の孤独な闘いを描く山下明彦監督の『透明人間』の短編3作品で構成される。

今回発表されたのは、『カニーニとカニーノ』で主人公のカニのカニーニ役を演じる木村文乃とカニーノ役を演じる鈴木梨央、『サムライエッグ』で卵アレルギーを持つ少年シュン役を務める9歳の篠原湊大、父親と医者役の坂口健太郎、音楽を担当する島田昌典の5人。

すでに発表されていた尾野真千子は『サムライエッグ』の母親役、オダギリジョー、田中泯は『透明人間』の透明人間役、盲目の男役で出演する。また米林監督と3度目のタッグを組む村松崇継は『カニーニとカニーノ』、中田ヤスタカは『透明人間』にそれぞれ音楽で参加となる。

木村文乃は「全編、カニ語!?ということで、どのように演じていくのか今から楽しみです」とコメント。尾野真千子は「本格的な声のお芝居は初挑戦でした!とにかく難しい。声優というお仕事を尊敬した時間でした」、坂口健太郎は「普段のお芝居とは違う、声でキャラクターに命を吹き込むことを大切に、現代の小さなヒーローに寄り添えるように頑張ります」、オダギリジョーは「アニメーションで透明人間を描く、ということがまず面白い挑戦だなと思っています。今までにない、未知の経験をこの作品から感じて頂くことが出来たならとても嬉しく思います」と語っている。

■木村文乃のコメント
初めてお話をいただいた時、カニ役のお兄ちゃんということでどんな風になるのか、と思っていましたが、絵コンテで米林監督の映画の世界観に触れて想像が広がり、とてもワクワクしています。全編、カニ語!?ということで、どのように演じていくのか今から楽しみです。

■鈴木梨央のコメント
米林監督が、初めて男の子を主役にされた作品だと聞いて感動した事、その作品に私も関わる事が出来るとわかった時は、驚きと喜びで全身に鳥肌が立ちました。男の子の役は初めてですが、カニーノの気持ちになって、カニーニと大冒険をしていく様子をしっかりと演じきれる様に精一杯頑張りたいと思います。

■村松崇継のコメント
絵コンテを頂いた時、これが短編映画?と感じるくらい、短編とは思えない展開やスケールに正直、驚かされました。そしてこの映画は、家族愛、兄弟愛、何をテーマにしているんだろうと思った時、あっ、この映画は、今、この現代だからこそ届けたい全ての愛を表現しているんだということにも気付かされました。
絵コンテ状態から既に感じる圧倒的な絵の美しさとスケール感。息を飲むスペクタクルな展開。
この世界を自分が、音楽で表現させてもらえることに今は、ただただ幸せを感じています。

■尾野真千子のコメント
本格的な声のお芝居は初挑戦でした!とにかく難しい。声優というお仕事を尊敬した時間でした。
でもやはり伝えたいという気持ちは変わらず一つ一つ大切にお芝居させていただきました。
この物語がたくさんの人に届きますように。

■篠原湊大のコメント
オーディションでは関西弁に気をつけながら「ぼくはシュンだ!」と思いながら初めてのアフレコに臨みました。極度のたまごアレルギーのシュンになりきり、自分と戦う役を精一杯頑張りたいです。

■坂口健太郎のコメント
普段のお芝居とは違う、声でキャラクターに命を吹き込むことを大切に、現代の小さなヒーローに寄り添えるように頑張ります。ぜひ、楽しみにしていてください。

■島田昌典のコメント
初めての映画音楽です。それがこのような素晴らしい作品で挑戦させていただけたなんて、大変光栄です。観る方々が、スッーと映像の世界感に入っていけるような、寄り添った音になっていると嬉しいです。

■オダギリジョーのコメント
改めて芝居というのは色々な要素で形成されるんだなということを考えさせられました。声優の仕事を通して、俳優の根源を見つめ直すことができ、良い経験になりました。アニメーションで透明人間を描く、ということがまず面白い挑戦だなと思っています。今までにない、未知の経験をこの作品から感じて頂くことが出来たならとても嬉しく思います。

■田中泯のコメント
見えてない、あるいは見られていなくでも人は存在できた。が、現代ではこれでは無視されることになる。見える、見られる為に他者が必要なのだろうか?。わからない人では駄目なのだろうか?。誰のカラダの中にも、自分ですら知らない透明人間性というのが本来的にあるのではないのでしょうか。誰だって自分のカラダの中で生きているのだから。