タレント、エッセイストとして活躍中の小島慶子さんが、5月12日に、「サイボウズ 東京オフィス」(東京都中央区)で開催された「メディアと表現について考えるシンポジウム」の第3回「炎上の影に『働き方』あり!メディアの働き方改革と表現を考える」でモデレータを務めました。

シンポジウムでは、財務省の福田淳一・前事務次官のセクハラ事件に関連して、メディア業界のセクハラの実態や24時間体制の長時間労働について議論され、「多様性」とはかけ離れた業界の実態が明らかになりました。

アナウンサーとして15年間TBSに勤務していた小島さんに一連のセクハラ事件について話を聞きました。

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テレビの中の「女性のロール」が変わるきっかけに…

--前編では、今回の一連のセクハラ事件で「現場の女性が声をあげたこと、財務省がセクハラを認めたこと、テレビ朝日が会見を開いたことが画期的だった」というお話でしたが、これをきっかけに、これからのメディアの働き方や表現は変わっていくでしょうか?

小島慶子(以下、小島):今後に期待したいことが二点あります。一つは、「セクハラは仕事に伴う仕方がないもの」「必要悪なんだ」という認識が変わること。

そして、結果として、働く人たちの安全が守られるだけでなく、放送局のコンテンツに表れる女性のロール(役割)が変わるのではないかということですね。

--コンテンツに表れる女性のロールというのは?

小島:そもそも日本のテレビ制作者が本物のニュースキャスターを求めているのか疑わしいですが、特に女性には画面で「キャスターらしさを演じる」ことは求めても、自分の頭で考えることは求めていないのが本音だろうと思います。だから主体的に発言すると「使いづらい」「生意気」と言われることも。

そんな空気の中で多くの女性アナウンサーが、求められる役割と自分の志とのギャップに悩み苦しんでいることを知ってほしいです。

でも、変化の兆しはあります。報道ステーションの小川彩佳さんやフジテレビの三田(友梨佳)さんや山崎(夕貴)さんもセクハラに対してきちんと「おかしい」と言っていますよね。

もう都合のいい女の役割に甘んじなくてもいいのだと自信を持ってほしいですね。このチャンスを逃さないでほしいと切に思います。

「女子アナ」は絶滅すればいい

小島:そういう意味で言えば「女子アナ」なんて絶滅すればいいって思うんです。アナウンサーになる人は責任感が強くて、勉強家が多い。彼女たちから「女子アナ」「“女性”キャスター」という役割が外れたらどれほど才能が開花するか。結果として番組のクオリティが上がるし、女性を勇気づけることにもなると思います。

「若くても意見を言っていいんだ」「会社員でも意見を言っていいんだ」「男性の顔色を見なくてもいいんだ」「女性であることを負い目に感じなくてもいいんだ」って。

--確かにそうですね。

小島:世の中の人がそういう女性を見慣れることも大事なんです。そもそも、思ったことを臆せず述べる女性を見たことがないから、意見を言う女性を「ヒス」とか「生意気」とか……。

--「フェミ」とか言うんですよね。

小島:そうですね。なので、最も従順で保守的な女子だと思われているアナウンサーがそれをやるようになったら、いまどきは女性が意見を言うことも普通なんだな、といい加減気がつくでしょう。メディアは文化をつくる、と言われます。私は日本のジェンダー観を変えるには、テレビの中の女性像を変えることが大事だと思っています。

「女性を外す」では解決しない

--一部では「セクハラが起きないようにするために仕事から女性を外せばいい」という意見もありました。

小島:セクハラはされるほうではなく、するほうに原因があります。どんなときも、セクハラしてはいけないんですよ。女性を外すのではなく、セクハラは許されないという認識を浸透させることが先決です。

ただ、常習的にセクハラをしている特定の相手との商談など、リスクが明白である場合には、過渡的な措置として女性を一人で行かせないなどの対策が必要になることもあると思います。

男性の性欲は制御不能だからセクハラは防げないとか、女性に隙があるからセクハラが起きてしまうのだという考え方も改めて欲しいですね。

人は無意識のうちに、メディアの発するメッセージを「学習」してしまいます。特に視覚に訴えるテレビメディアはそのことを常に意識して、偏ったジェンダーイメージを量産しないように心がけ、多様な視点で物事を見せる工夫を怠らないようにする責任があります。それはテレビの生き残りのためだけでなく、世の中を生きやすくするためにも必要なことです。

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)