日大の運動部には、同大学の一般学生も知らない独特の「文化」があるという――。OBのA氏が卒業記念にもらったというタオル(写真提供=A氏)

写真拡大

日本大学の運動部は、全国からスポーツ推薦で優秀な選手を集めたエリート集団だ。その運動部の全キャプテンが、およそ2カ月に一度、東京・市ヶ谷の日大本部に招集される。彼らを待ち受けているのは、「お前たち、そんな成績で満足してるのか!」という“お偉方”の恫喝だという。一般人が知らない「日大体育会」の内幕とは――。

■全部活のキャプテンを恫喝する「偉い人たち」

「ふた月に一回ぐらい、全部活のキャプテンと総務担当の学生が市ヶ谷の日本大学本部に集まって、偉い人たちの前で活動報告をするんです」と、数年前に卒業した日大運動部OBのA氏は言う。「偉い人たち」とは、日本大学の運動部全体を統括する保健体育審議会(保体審)の、事務局幹部をさす。

「『今回はこういう大会に出て、こういう成績でした』と学生が報告すると、『お前たち、そんな成績で満足してるのか!』と、高圧的に怒鳴られるんです。『次回はがんばります!』というと、『毎回それ聞いてるんだよ!』とか。口答えなんかできる雰囲気ではなかったですね。一方で、相撲部はなぜか優しくされていて、『自分たちは何を見せられているんだろう』と戸惑ったのを覚えています」

上下関係の厳しさや規律の重視は、いわゆる「体育会」の世界では珍しくはない。高校1年生のころからインターハイに出場するほどスポーツに打ち込んできたA氏も、そういう文化にはある程度慣れていた。

「それでも、日大の上下関係の厳しさは高校時代から噂に聞こえていて、実際に進学してからも実感しました。厳しいというだけでなく、考え方や組織の体質がすごく古い。昔話として聞いても驚くようなことが、この時代になっても普通に行われている。今の若者にとっては、ほとんど異世界だと思います」

監督の指示で選手が悪質なタックルを強いられたという、先日の日大アメリカンフットボール部の事件について聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「もしいま言われていることが本当だとするなら、日大らしいなと思います。事件そのものも、その後の対応についても」

■一般学生とは別世界に生きるエリートたち

A氏がいう「悪しき日大らしさ」とは、いったいどんなものなのか。それを理解するには、まず、日大運動部の学生がどんな背景を抱えているかを知っておく必要がある。

日大保体審傘下の各運動部は、一般の日本大学の学生とは別の世界に生きるスポーツエリートの集団だ。A氏が所属していた部も、その競技のインカレ(インターカレッジ、全日本学生選手権)で毎年優勝を争うような強豪で、それに憧れた若者たちが全国から集まってくる。「ほぼ全員がスポーツ推薦で、インターハイ(全国高等学校総合体育大会)出場は最低条件ですね。実績がある選手と、伸びしろを見込んで取る選手の割合が半々ぐらいと聞いています。新入生勧誘? 未経験者が入ることはありません」

そもそも、インターハイに出場するようなレベルの高校部活の指導者には日大運動部の出身者が多い。A氏の高校時代の監督やコーチも日大出身で、A氏は4年間学費免除という好条件でスポーツ推薦で日大に入学した。全国の強豪高校に広がるOBネットワークを通じて、さまざまなスポーツの「選ばれし者」たちが日大に集まる仕組みができているのだ。

■入学前から聞こえていた「噂」

一方で、「日大の運動部は上下関係が厳しい」という噂も、高校アスリートたちには伝わっていた。「入学して感じたのは、聞いていたとおりだなということです。『昭和な感じ』というのか」とA氏は振り返る。日大の強豪運動部では部員全員が寮生活を送るのが基本で、学生たちは練習だけでなく毎日の生活そのものを、こうした上下関係の中で送ることになる。

A氏が所属した部の場合、朝練の前に先輩の道具の準備をしたり、水筒に水を入れたりするのは一年生の役目。朝食後授業に出るまでの間は、先輩から頼まれた買い物、洗濯、ときにはマッサージも。部室や先輩の部屋の掃除も下級生の仕事だ。

先輩の指示は絶対で、練習や生活面で不手際があれば、「罰坊主」や「罰掃除」といったペナルティを、同じ学年全員が連帯責任として課される。先輩の部屋への入り方が良くないといった理不尽な理由で、雷を落とされることもしばしばあった。

「大勢の部員がいるなかで、統制を取るための手段としてはそれなりに有効だったんじゃないかと思います」とA氏は振り返る。「先輩方には日大の看板を背負って好成績を収めてきた実績があり、強くて憧れていた。そういう人たちに言われたら仕方ない、と思っていました」

■想定外の状況に対応できない選手

とはいえ、選手個々の創造性がますます重視されるようになった現代のスポーツ界において、「上に言われたことには無批判に従う」という習慣付けは、A氏の指摘どおり時代遅れと言わざるをえない。日米での競技経験があり、大学生向けの「フットボール・クリニック」と呼ばれる実技指導でサポートスタッフを務めたこともあるアメフト関係者は、「他大学と比較して、日大の選手は自分で考えて状況に対応する力が弱いと感じます」と指摘する。

アメフトでは各選手が緻密な作戦に従い、事前に与えられたそれぞれの役割を遂行することがプレイの基本となるが、クリニックではより実戦的に、想定外の事態が起きたときどう対応するかというトレーニングも行っていた。「それこそ日本代表に選ばれるようなレベルの選手が参加していたのですが、日大の選手は能力は決して低くないのに、『上からの指示が絶対』ということが体に染み付いていて、指示がない状況でおどおどしてしまう場面がよくみられました」

強い先輩を尊敬しつつ、同じ問題意識を持っていたA氏は、自分が上級生になったときに同じ学年の仲間たちと話し合い、下級生を抑圧するそれまでの慣習を一掃した。「自分たちが嫌だったことはもうやめようと。みんながやりやすい環境で、練習や試合に集中してもらったほうがいいと思ったんです。その後、実際に後輩たちが結果を出してくれて、『今の時代のやり方にしてよかった。自分たちの選択は間違っていなかった』と思いました」

■組織改革が行われにくい環境

とはいえA氏の部の改革は、監督が現場に裁量権を与え、学生とも常にコミュニケーションをとるタイプの人物だったからこそ可能だった。選手と監督が直接話もしない、コーチも監督にものを言えないという状況であれば、学生には何も変えようがない。異なる部の間で、組織のあり方や運営方針について意見を交換するような機会も風土もない。そうなると日大アメフト部のように、前時代的な上意下達の風土が温存され続けることになる。

「今の日大アメフト部の体質は、(名監督と言われた)篠竹幹夫さんの時代から受け継がれてきたものでしょう」と、前述のアメフト関係者は言う。「篠竹さんが偉大すぎて、他の誰も彼にものが言えない状況で、一方通行的な上意下達のシステムができてしまった。篠竹さんがいなくなったあとも、そのシステムがそのまま残ってきたのだと思います」

危険タックルを命じられた選手のことを、A氏はどう見ているのか。

「アメフトをやるために日大に来て、3年生というこれから一番いい時期に、試合に出られなくするぞと上から言われたら、何を命じられても断れる状況ではなかったでしょう。言うことを聞かずに退部ということになれば、スポーツ推薦の学生の場合は十中八九大学を辞めることになりますし、出身高校の指導者や後輩、親にも迷惑がかかる。そういう状況があるなかで、あの会見を開いたというのは、大変な勇気があったと思います」

■「今こそ変わらなければ」

自分が所属した部については、胸を張って素晴らしかったと言えるというA氏だが、日本大学という大学に対しての評価には口を濁す。施設や練習環境はすばらしいし、授業や単位の融通も含め、スポーツで頑張る学生が大事にされているという実感はあった。一方で、今回の事件の事後処理にも現れた保体審事務局や大学本部の古い体質は、「もう今の社会には通用しない」と手厳しい。「自分の部の監督は心の底から信頼していたけれど、あの人たちを信頼したことはありません」

今回の危険タックルの一件が、公になってよかったとA氏は言う。「同じようなことは過去にもあって、それをうやむやに処理してきたんでしょう。こういう機会がないと絶対に変わらないし、今こそ変わらなければいけないと思います」

(雑誌エディター/ライター 川口 昌人)