ブルー・オーシャン戦略の知られざる本質
最初は真っ青だったブルー・オーシャンも…(写真:kuremo/iStock)
2017年5月、146年の歴史を誇るサーカス団、リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスが解散した。日本での地名度はさほど高くないかもしれないが、アメリカ発の歴史あるサーカス団である。そして大ヒット映画で5月23日にDVDが発売された『グレイテスト・ショーマン』の主人公P.T.バーナムが設立したサーカス団でもある。
映画で描かれたように、バーナムは怪しげな事業も平気で行ってしまう興行師、もっと言えば山師や詐欺師のような危なっかしい側面も持つ人物だったようだ。『グレイテスト・ショーマン』も大ヒットする一方で、「バーナムをきれいに描きすぎではないか?」といった批判もあったという。
設立から数度の合併を経て、リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスが解散した直接の理由は、「動物愛護の観点から批判されていた象のショーを中止したことによる売り上げ減」だと一部で報じられている。これは近年になって突然発生した問題ではなく、2005年に発売され350万部のベストセラーとなった『ブルー・オーシャン戦略』でも指摘されている。
『ブルー・オーシャン戦略』は一世を風靡したことから今さら口にするのも恥ずかしいほど手垢にまみれてしまった感もあるが、いま読み返してもまったく色褪せない新しさがある。『グレイテスト・ショーマン』をきっかけに、改めてその内容を読み解いてみたい。
シルク・ドゥ・ソレイユというイノベーション
ブルー・オーシャン戦略の冒頭で、成功例として取り上げられているのがサーカス団のシルク・ドゥ・ソレイユ……と紹介したいところだが、シルクをサーカス団として分類することははたして正しいのか? これが本書でも重要なポイントとして指摘されている。
シルクとの比較対象として紹介されているリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスは、本書が刊行された2005年の時点ですでにさまざまな問題を抱えていた。子ども向けに長年愛されてきたサーカス団も娯楽の多様化で客足は遠のき、動物をショーで使うことには動物愛護団体から批判を受けていた。そして花形のパフォーマーはギャラが高い一方でハリウッドスターのように集客できるほどの魅力を観客は感じていなかったという。
それに対してシルク・ドゥ・ソレイユは従来のサーカス団とは大きく異なる演目を観客に提供した。動物のショーは行わず、ストーリーやテーマ性を持たせることで演劇やバレエのような芸術性を取り入れ、サーカスの何倍も高い料金で観客を呼ぶことに成功した。シルクはサーカスであり、演劇であり、バレエの要素もあり、つまり従来のカテゴリでは分類できないパフォーマンスを観客に提供した。
ブルー・オーシャン戦略は「競争のない市場でビジネスをする」と説明されることもあるが、これは大きな間違いだ。ライバルと競争をしないようにビジネスを行うことは間違いないが、「競争者のいない新しい市場を創造して、競争を無意味にしたのである」と本書で説明されているとおりだ。新しい市場を自ら作り出した企業のみがライバルのいない市場、ブルー・オーシャンにこぎ出せる。
シルク・ドゥ・ソレイユのブルー・オーシャン戦略
本書では新しい市場を作り出すためのヒントが多数解説されているが、最も重要なポイントがコストと差別化(品質)のトレードオフを壊す手法だ。
一般的に、高品質な商品・サービスを提供するにはコストがかかる。一方でコストを抑えれば品質が下がる。このようなあちらを立てればこちらが立たず、というトレードオフを打ち壊すのは極めて困難だ。
結果的に多くの業界で似たような商品が似たような価格で提供され、ブランド表記やタグを隠してしまえばどの企業が作った物かわからなくなってしまう。そして顧客は価格で商品を選ぶようになり、企業は高品質な商品を提供しているにもかかわらず価格競争の消耗戦を強いられる。これが血みどろの競争が行われる「レッド・オーシャン」と本書で定義される市場だ。
そこでコストと品質のトレードオフを壊すために示されているのが以下の4つのアクションだ。
Q1)業界常識として製品やサービスに備わっている要素のうち、取り除くべきものは何か
Q2)業界標準と比べて思いきり減らすべき要素は何か
Q3)業界標準と比べて大胆に増やすべき要素は何か
Q4)業界でこれまで提供されていない、今後付け加えるべき要素は何か
(出所:ランダムハウス講談社『ブルー・オーシャン戦略』より抜粋)
製品やサービスから無駄な要素を取り除き、減らす。そして必要な要素を増やし、付け足す。このシンプルな4つのアクションでトレードオフを壊してイノベーションを起こすことは可能だ。シルク・ドゥ・ソレイユは従来のサーカスから以下のようなアクションでイノベーションを実現した。
1)取り除く
花形パフォーマー、動物によるショーなど
2)減らす
笑いとユーモア、危険やスリル
3)増やす
個性あふれる独自のテント
4)付け加える
テーマ性、芸術性の高い音楽とダンスなど
(出所:『ブルー・オーシャン戦略』より、一部省略)
「取り除く」の要素にある動物を使ったパフォーマンスは前述のとおり批判を受けていたうえに、購入・訓練・医療・飼育・保険・輸送とあらゆる面で高いコストが発生していた。犬や猫ではなく、サーカスで用いられるような巨大な猛獣を扱うことで多大なコストがかかることは容易に想像ができる。集客に必ずしも貢献しない花形パフォーマーもコストパフォーマンスは悪かった。
これらの要素は昔ながらのサーカスとして当たり前のスタイルでありながら、収益・集客にはさほど貢献せず、かえってコストアップにつながっていたため、シルクではバッサリと取り除く対象となった。そして大人向けの内容へと変えるため、笑いとスリルといった要素も減らされた。
引き算を行う一方、ほかのサーカス団が一般的なホールで公演を行う中でサーカス本来の魅力であるテントでの公演にこだわり、テーマやストーリーを付け加えることで大人の鑑賞に堪えうる水準まで芸術性を引き上げ、多数の顧客を集めたうえにチケットをより高く売ることに成功した。
執筆時点で日本国内でもシルク・ドゥ・ソレイユの公演が行われているが、チケット価格は正面最前列の特典付SS席がお土産などもセットで2万円、全体のほとんどを占めるSS席は1万2500円と、一般的な舞台公演やコンサートと比較してかなり強気のチケット価格となっている(いずれも平日。土日は1000円の上乗せ)。
シルクの事例を見ればわかるように、一言で表現すれば「メリハリ」をつけることでコストと品質のトレードオフを壊すことがブルー・オーシャン戦略の基本だと言える。
顧客のニーズにフィットする形で製品・サービスにメリハリをつけることで中身もコストも他社とまったく異なるプロダクトを生み出す。商品からコスト構造、そして製造や提供の過程に至るまで一気通貫となっており、ブルー・オーシャン戦略はまさに「戦略」と呼ぶにふさわしい。
商品開発やセールスやプロモーションなど、「戦術」や「戦闘」レベルにとどまる工夫ではビジネスモデル全体で齟齬を生じる。リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスが象を使ったショーをやめたことには意味があったと思うが、それに替わる目玉がなければ集客に大きなダメージを受けることも必然だった。
ブルー・オーシャンがレッド・オーシャンに変わる時
ブルー・オーシャン戦略で紹介されている事例は、サーカスからワイン、戦闘機、フィットネスクラブ、ジェット機のシェアサービスなど多岐にわたる。これらは必ずしも成長している業界ではなく、サーカスに至っては衰退産業と見られていた。
ブルー・オーシャン戦略で紹介されている「エクセレントカンパニー」と「ビジョナリーカンパニー」は、大成功を収めた企業を取り上げた書籍だ。その時々で成功を収めた企業のビジネスモデルはこれらの書籍で賞賛されたが、発刊後に多くの企業が変調をきたした。
仮に急激な成長を遂げる企業があったとしても、それはその企業のビジネスモデルが優れているからではなく、単純に属している業界が成長しているだけかもしれない。成長している業界にはライバルが次々と参入し、最後は多くの企業が同じような商品を出して価格競争に陥るかもしれない。
映画『グレイテスト・ショーマン』で描かれたように、P.T.バーナムが始めたサーカスも当初は熱狂的に受け入れられ、よそにはないイノベーションであったことは間違いなく、そのサーカス団が100年以上続いたことも驚異的と言える。しかし、ある時点でのイノベーションが永遠に続くことはない。ブルー・オーシャンもいつかはレッド・オーシャンになる。そのようなコモディティ化を防ぐか、あるいは新たなブルー・オーシャンを創造する必要がある。
投資の神様と呼ばれるアメリカの投資家バフェットは成長企業へ投資することで莫大な財産を築いたが、銘柄選びの基準として「参入障壁」の存在を挙げる。どんなに優れたビジネスモデルも簡単にマネができてしまうのではすぐに真っ赤に染まってしまう。
他社が切り開いたマーケットであってもそこが有望であれば多くの企業が押し寄せることを止めることはできない。したがって参入障壁が高ければ高いほど、長期間にわたって大きな利益を上げることができる。参入障壁はブランド力、技術力、特許、規制など、さまざまなものが考えられるだろう。
ブルー・オーシャンと孫子の共通点
従来の経営戦略はライバル企業と戦って勝つことに主眼が置かれており、そういった意味でブルー・オーシャンは奇抜・異端な戦略かのように見られているフシもある。しかしそれもまた誤解だと言える。
戦略論の元祖ともいえる孫子の兵法では「兵は詭道(きどう)なり」と説かれている。詭道、つまり戦いにおいては敵を欺き、だませという意味だ。真正面からの価格競争、消耗戦は孫子が書かれたとされる紀元前500年の時点ですでにヘタクソな戦い方であると指摘されていた。
そして孫子の兵法では「百戦百勝は最高の状態ではない、戦わずして勝つのが最高である」とも説かれている。たとえ戦いに勝ったとしても無傷では済まない。ビジネスに置き換えれば、消耗戦で勝ち残ってもそれは薄利多売で自社もライバルも薄い利益を互いに削り取るような戦いを繰り広げた結果かもしれない。最高の勝ち方は戦わずして勝つことである……これはブルー・オーシャン戦略の発想と一致する。
紀元前に説かれた戦略と21世紀に提唱された経営戦略がくしくも一致することは決して偶然ではない。ブルー・オーシャン戦略は現代の奇抜な戦略ではなく、一過性のはやりでもなく、王道の経営戦略であるという視点で改めて学んでみることをお勧めしたい。