昭和の名古屋を象徴する名古屋駅の3代目駅舎(筆者撮影)

私は福井県武生市(現・越前市)の生まれだが、青春時代を名古屋で過ごした。


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初めて名古屋を訪れたのは中学3年生の時、武生からキハ55形ディーゼルカーの準急列車「しろがね・こがね」に乗って米原経由で名古屋に着いた。当時、名古屋駅にはまだ蒸気機関車の煙が見られた。初めて乗った地下鉄東山線は「池下」までの営業で、当時のキャッチフレーズは「夏涼しい地下鉄」だった。初めて名古屋駅から乗った特急列車は東京行「第一こだま」で、それ以来特急列車は私のあこがれとなり、今も当時と同じ気持ちで特急列車を撮り続けている。

名古屋駅は私が初めて体験した福井県外の駅で、その後もずっと心に残っている駅の1つである。今では高層ビル「JRセントラルタワーズ」が立ち、周辺も大きく発展した名古屋駅のこれまでを振り返ってみたい。

昭和の象徴「3代目駅舎」


3代目名古屋駅舎のコンコース。1970年代の様子(筆者撮影)

文献をひもとくと、名古屋駅は1887(明治20)年に現在より東京寄りの笹島交差点付近に「名護屋駅」として開業したのが始まりで、翌年「名古屋」に改称された。駅が現在の位置となったのは1937(昭和12)年。それまでの駅から北に200mほど移動し、地上6階・地下1階の堂々たる鉄筋コンクリート製の新駅舎が建設された。

3代目にあたるこの駅舎は1945(昭和20)年の名古屋大空襲による被災を乗り越え、国鉄からJRに変わった後の1993(平成5)年に現在の駅舎である「JRセントラルタワーズ」着工のため解体されるまで、大名古屋の玄関口として高い存在感を誇った。筆者が最もなじみ深い名古屋駅はこの3代目駅舎である。


3代目名古屋駅舎の時代には構内に銭湯もあった(筆者撮影)

3代目名古屋駅舎には食堂のほか銭湯、理髪店、洋服プレス屋までが入居しており、特にこの駅舎完成と同時に開業した「早川浴場」は、全国で唯一駅構内にある公衆浴場として親しまれた。現在の中央コンコースのJR東海ツアーズがある辺りに入り口があった。

蒸気機関車が活躍していた頃は煤(すす)で汚れた夜行列車の乗客たちでにぎわい、昭和30年代の全盛期には早朝5時から23時まで営業し、1日1000人以上の利用客がいたという。やがて東海道新幹線が開業して名古屋発着の夜行列車が減少すると経営が苦しくなり、1991年11月にはついに閉店となった。


ブルートレインが停車中の名古屋駅ホーム(筆者撮影)

夜行列車といえば、かつて東京と九州、山陰を結んでいた寝台特急(ブルートレイン)はだいたい20時から24時までの間に、名古屋駅に数十分停車して運転時間を調整していた。その頃の私の楽しみは、ブルートレインで名古屋に近づくと最後部の客車に移動して、プラットホームの東京寄り先端で営業していた「きしめん」を食べることだった。

食堂車でたっぷり食べた後ではあったが、ブルートレインを眺めつつ時間を気にしながらホームで食べるきしめんの味はまた格別のものがあった。

東海道新幹線の開業


車に囲まれて名古屋駅付近を走る市電(筆者撮影)

1964(昭和39)年10月1日には東海道新幹線が開業し、1番列車の超特急「ひかり1号」は東京―名古屋間を2時間29分、特急「こだま101号」は3時間15分で走破し、新幹線時代が到来した。当時、同区間の特急料金・運賃は2等車(現在の普通車)で1720円だった。筆者はこの頃ようやく35ミリライカ判カメラを入手して、名古屋の市電や名古屋市内の東京オリンピック関連行事、そして新幹線の試運転電車などをスナップしていた。

「夢の超特急」と呼ばれたこの当時から新幹線を記録し続けてきた中で、最も印象に残る出来事は1992(平成4)年、最高時速270kmでの営業運転を実現した300系「のぞみ」の登場だった。


「のぞみ」運転開始初日に東京駅で行われた1番列車の出発式。朝一番の301号は名古屋を通過した(筆者所蔵)

「のぞみ」と名古屋といえば、話題を呼んだのは「名古屋飛ばし」だ。当初、朝一番の「のぞみ」だった下り「のぞみ301号」は東京駅を出ると、途中は新横浜駅にのみ停車し、名古屋、京都は通過して新大阪までを2時間30分で結んだ。

これは「のぞみ」のキャッチフレーズだった「東京―新大阪間2時間半運転」を実現させるためのダイヤだったが、前代未聞の名古屋通過は「名古屋飛ばし」として名古屋市民や経済界、地元メディアから批判が相次いだ。その後、名古屋と京都に停車しても東京―新大阪間2時間30分運転が可能となったため、1997(平成9)年には解消された。

リニア開業でどう変わる?


現在の名古屋駅中央コンコース(筆者撮影)

今回の執筆にあたり、久しぶりに長時間にわたって名古屋駅構内を歩いてみた。駅構内の中央コンコースなどは旧駅舎時代と基本的に変わっていなかったが、列車案内はかつてのブラウン管表示からデジタル表示に変わり、かつて待ち合わせ場所の定番だった西口(太閤通口)の大壁画も巨大ディスプレーによるデジタル広告となっている。西口を出ると駅前には大規模商業施設が立ち並び、昭和30年代の「駅西」を知る筆者には特に感慨深い。


そびえ立つJRセントラルタワーズ(筆者撮影)

「JRセントラルタワーズ」は名古屋のランドマーク的存在となったが、このセントラルタワーズの完成によって駅前も大きく変化した。駅前ビルの象徴だった「大名古屋ビルヂング」は高層ビルに生まれ変わり、付近の毎日ビル、豊田ビルも新しい高層ビル「ミッドランドスクエア」となった。筆者は20代のころ、このビル内にあった「毎日ホール大劇場」で初めて70mm映画を見た。「セントラル劇場」や「テアトル名古屋」で『ウェストサイド物語』などを見た思い出もよみがえってくる。

発展を続けるJR名古屋駅の1日平均乗降者数は2015年に40万人を超えたという。今後は2027年に開業が予定されているリニア中央新幹線の乗り入れによって、ますます東海道メガロポリスの中で大きな地位を占めようとしている。リニア中央新幹線開業のときには1946年生まれの私は生きているかどうか微妙な年齢になるが、それまでは2020年に新型車両N700Sが営業運転を開始する予定の東海道新幹線に乗って、名古屋駅をせいぜい利用したいと思っている。