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4月10日に行われた米上院公聴会の冒頭、サウスカロライナ州選出の共和党議員リンゼー・グラムは、マーク・ザッカーバーグにこう尋ねた。

「フォードのクルマを買ったのに調子が悪くて気に入らなかったとします。わたしはシボレーを買うこともできますね。もしFacebookが嫌だったら、代わりになる同じようなサーヴィスはありますか?」

この質問は、スーツを着て議員たちの前に座ったフェイスブックのCEOを混乱させたようだった。ザッカーバーグは、アメリカ人は誰かと連絡をとるのに平均して8個のサーヴィスを使っていると反論したが、グラムは「独占状態にあるとは思いませんか」と食い下がった。

CEOの答えは、「わたしはまったくそうは思いません」というものだった。

Facebookの立ち位置に関するこの無邪気とも言うべき見解は、ザッカーバーグの議会での証言が、これほどまでに世間の注目を浴びている理由を示している。この公聴会が開かれた原因は、ケンブリッジ・アナリティカが引き起こした個人情報の不正利用を巡る不十分な対応だけではない。そこには、選挙結果を左右しかねない広告の透明性や、サイトに保管された情報のセキュリティといったことよりも、ずっと大きな問題があるのだ。

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アメリカ国民の代表たる議員たちは、ある大きな疑問への答えを求めていた。しばらくしてから、アラスカ州選出の共和党議員ダン・サリヴァンが「力をもちすぎたと思いませんか?」と問いかけた。

ザッカーバーグは一定の規制を受け入れることを約束した一方で、この質問に答えることは拒否した。

ケンブリッジ・アナリティカの問題が明らかになってからこれまでに、彼はさまざまなことを行なってきた。謝罪し、この問題を真剣に受け止めていると明言し、Facebookでいくつかの更新をした上で再び謝った。

そして、議会で証言するためにワシントンD.C.まで出向き、議員たちの前で自分が間違っていたと認めている。ザッカーバーグに対する世間の怒りがそれでも収まらないのは、彼がこの質問に答えることをしないからだ。

止まらないザッカーバーグへの反感

国民はこぞって、議員たちが33歳のCEOに詰問する様子をライヴで見物した。傍聴席には、ネット上の「荒らし(troll)」とかけてトロール人形のコスプレをした活動家までいて、『サタデー・ナイト・ライブ』でこき下ろされていた。ザッカーバーグの顔写真を掲げて、「インターネットがダメになったのはこいつのせいだ」と気勢を揚げるデモ隊の姿も見られた。

執拗な批判はザッカーバーグだけに向けられている。Facebookユーザーや広告主も含めたアメリカ国民は、「フェイスブックは人々が情報を受け取ったり共有したりする基本的な手段を、あらゆる角度からコントロールする巨大企業だ」と考えるようになっている。

サタデー・ナイト・ライブのコントや新聞の見出し、公聴会議場の外に置かれた等身大のザッカーバーグの立て看板(100体もあって、どれも「fix fakebook」と書かれたTシャツを着ている)といったものから判断するに、今回のスキャンダルは人びとがFacebookの力を恐れる理由を表現する機会になっているようだ。

議員たちの質問の背後に見え隠れするのは、Facebookは有害ではないのか、という懸念だ。そしてその若き創業者は、目の前の問題に有効な対策を打ち出せずにいる。ザッカーバーグが直面するのは、いかなる存在にとっても制御するには巨大過ぎる組織を運営していかなければならないという事実だ。

22億人が集う仮装空間の巨大な“広場”を取り仕切るのは、たった1人の人間だ。ザッカーバーグは、自分にとってはるかに大き過ぎるものをつくり上げた。そして何か予期しないことが起きたときに、彼だけでなく誰も責任を追えなくなってしまったのだ。

巨大プラットフォームを支配する、たった1人のCEO

国民は自分たちの個人情報に誰がアクセスできるのか不安に思っている。しかし10日の公聴会では、別の不安も表面化した。子どもたちはFacebookに夢中になり過ぎているのではないか。人と人との重要なつながりが、定量化され簡略化されることで薄れていくのではないだろうか。Facebookはあらゆる面で生活に影響を及ぼしており、不安は増大するばかりだ。

わたしたちはFacebookに突然現れるかもしれない画像や投稿に恐れを抱くと同時に、ただの一民間企業が、投稿や画像を勝手に削除する能力をもつことに愕然とさせられている。そしていま、このプラットフォームをどう管理していくか考えるという課題が与えられたのだ。もはやザッカーバーグひとりだけにやらせておくわけにはいかない。

上院公聴会で触れられた点をいくつか検討しておこう。ネブラスカ州選出の共和党議員ベンジャミン・E・サスはザッカーバーグに対して、自身の子がソーシャルメディア中毒になることを懸念しているか質問した。

サスはまた、「妊娠中絶に反対する人々が自らの見解を述べることを禁ずる権利を、あなた自身がもっているような世界を想像できますか」とも尋ねた。Facebookで何がヘイトスピーチとみなされるかを決めるのは、ザッカーバーグであることを示唆したものだ。ヘイトスピーチの定義が何かという質問が出たとき、CEOは「非常に難しい質問です」と述べて、これをかわしている。

フェイスブックがユーザーを追跡する具体的な方法に関する質問もあった。ネバダ州選出の共和党議員ディーン・ヘラーは、広告に反映させるためにユーザーの携帯電話の通話内容を収集しているのか尋ねた。ザッカーバーグはこれを否定している。また、ボットや外国の機関による虚偽の情報に関する質問や、他国で暴動などの原因となった差別的なメッセージの拡散にFacebookが果たした役割についての言及もあった。

信じられないほど巨大な責任

こうした追求は、ザッカーバーグへの個人攻撃ではない。議論の余地はあるにしても、彼は過去15年にわたって自由市場の力を利用し、アメリカが大学の寮からスタートした起業家を祭り上げるときのロマンチックな空気の恩恵を受けていた。つまり、「アメリカンドリームの体現者」というわけだ。

この意味では、わたしたちは「現在のFacebook」をもたらしたものに責任がある。さらに言えば、社会に渦巻く怒りにもかかわらず、ザッカーバーグは公聴会をほとんど無傷で乗り越えるだろう。

彼はケンブリッジ・アナリティカの問題が最初に報じられてから、5日間の沈黙を守るというまずいスタートを切った。だが、議会では辛抱強く質問に答え、うまく状況をコントロールしている。しばらく前からくすぶっていた、フェイスブックはユーザーの電話の会話を盗聴しているのかという疑惑についても、「そんなことはしていない」ときちんと否定した。

問題は、すべてを支えていた「前提」がすでに崩れている点にある。ザッカーバーグは議会に赴き、Facebookと自らに対する信頼を取り戻そうとした。

しかし、彼が有能かつ倫理的なリーダーであるかということは、もはやそれほど重要ではない。いかなる人間も、そしていかなる企業も、Facebookのような規模のコミュニケーション手段における安全性と公平性を確保するという、信じられないほど巨大な責任を負うべきではないのだ。

ザッカーバーグにこんな力を与えるべきではなかったのだ。

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