決断のとき

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 小泉純一郎元首相の最新刊『決断のとき』(集英社)。副題にある「トモダチ作戦」から、小泉氏が東日本大震災以来強く訴えている原発ゼロの加速を目論んだものかとも思わせるが、実は元首相としての初の回想録だ。政治家として修業時代から電撃訪朝、郵政民営化など、サスペンス物語ような舞台裏の動きを独特の調子で語る。

 一方で、政治家のときも引退後もほとんど語ったことのなかった家族についてや子育て論を披露。「いれずみ大臣」と呼ばれた祖父や、やはり政治家だった父、2人の息子の母親代わりだった姉らの秘話にも触れている。

「トモダチ作戦」を忘れない

 本書は、過去から時間を追って出来事や経験を述べるのではなく「仁」「義」「礼」「智」をテーマとして1章ずつを設け、それにあうエピソードを拾って元首相が語るスタイル。だから、テーマによっては関係がない思い出話が前後してとりとめのない展開になっているのだが、第1章に充てた「仁」は、元首相が力を入れている原発ゼロに関係しているだけあって、首相当時のフレーズのように明快だ。

 「仁」は、人に対する思いやりや慈しみのこと。元首相が「仁」を向けるのは、東日本大震災で米軍が行った救援活動「トモダチ作戦」に参加し、その後、健康被害を訴えた兵士らに対してだ。兵士らは米国で裁判を起こしており、元首相は人を介して支援を打診され2016年5月に渡米。当事者らに面会し、現地で行った記者会見の場で元首相は涙を流す。「二十代、三十代、入隊前の健康診断で頑健だった兵士が病気になっているんだ。日本人は彼らに助けてもらったのに、知りませんなんて言えるかよ。それは不名誉なことだよ、日本にとっても」

 持ち前の行動力で、この記者会見から1か月半後には支援基金を設立。17年3月までに、集まった金額は目標の1億円を大きく上回って3億円を超えたという。

行ってみなければ分からない

 元首相は、この基金集めに際しては、原発ゼロに賛同するしないとは別に寄付を募った。それは、政治家として行動するうえで重要と考える「現実の直視」による冷静であり、また、プラグマティックな判断だ。拉致被害者5人の帰国を実現させた電撃訪朝(02年9月)もその発露だったという。

 「電撃」といわれるが実は、当時の外務省アジア大洋州局長、田中均さんが1年前から、北朝鮮の交渉人「ミスターX」を相手に秘密の交渉を重ねた末でのことだった。だが、1年の交渉を経てもなお「拉致被害者が本当に生存しているかどかは、現地に行ってみなくてはわからない」状態で、北は「総理が来ないならなにも話さない、相手にしない」と言っていたという。

 「当事者に直に聞いてみないと実態は分かりません。また聞きではどんなに聞きつづけても本当のことはわからない。何事も現場に問題の核心がある。多くの場合、当事者たちも政治家が直接訪ねてくることを期待している」と考えて平壌に乗り込んだという。元首相は、このときの経験から、ほかの被害者が戻れるための努力は水面下で懸命に行われていると推測している。

「ママは私の姉だ」に...

 「小泉首相」といえば、ほかに、郵政解散や構造改革で勇名をはせ、首相になる以前には、YKKと呼ばれた加藤紘一、山崎拓両氏との盟友関係で注目を集めたことなど、回想録のネタにはコト欠かないが、「智」がテーマの第4章は少々異色。というのも、2人の息子の孝太郎さん、進次郎さんら家族について意外なほど多弁なのだ。

 元首相流の子育てには3原則があるそうで、それは「しっかり抱いて、そっと下して、歩かせる」というもの。シンプルで明快なフレーズの並びは、小泉劇場といわれた首相当時の発言のようだ。2人がまだ幼かったころには、いずれも野球好きだったことから、2人とキャッチボールをするためにだけ、東京と、地元の神奈川・横須賀の間を車で往復することも。離婚したため母親不在だったことから、元首相の姉が母親代わりとなり2人を子育て。進次郎さんは中学2年生のときに元首相から「ママは私の姉だ」と知らされ「うそ!」と声をあげたという。

 終わりに「けっこう、余計なことを話したね」と元首相はポツリ。首相時代には「ワンフレーズの政治」といわれ、インパクトの強い一言を発して、その分かりやすさで支持を得てきたが、この回想録では丁寧な語り口で、別の意味での分かりやすさがアピールされている。

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