「不道徳行為や微罪を目の敵にして取り締まるのが、道徳自警団の特徴だ」(撮影:梅谷秀司)

ここ5年間ほど、「道徳的か否か」を善悪の判断基準として、相手を徹底的に攻撃する人々の動きが目立つ。攻撃対象は刑事罰の対象となる犯罪者ではない。マナーが悪いとか、不倫をした、といった程度の人を犯罪者のように扱い、社会的生命を失うまでバッシングする。

私は現代日本社会に跋扈するこのような人々を、「道徳自警団」と名づけた。犯罪ならば警察官が取り締まるが、不道徳行為は犯罪ではないので、取り締まらない。警察に代わって不道徳者を取り締まるので、道徳自警団だ。相手が犯罪者でなければ、警察は何もしない。そこで道徳自警団は、自分たちでテレビ局や政治家の事務所に抗議の電話をしまくって、相手が謝罪したり、辞任したりするまで”合法的に”追い込む。犯罪者を摘発するのではなく、不道徳者を目の敵にするのが、道徳自警団の特徴だ。

不倫も、飲酒も、公私混同も許せない

道徳自警団は週刊誌がかぎつけた「不道徳」ネタを、ネット上で拡散し、騒動を大きくする。それをテレビが取り上げて不道徳者を追い詰める。私が最もショックだったのは、AKB48のメンバーである峯岸みなみ氏が坊主になった事件だ。2013年1月には、峯岸氏が某男性ダンサーのマンションに泊まっていたことが、週刊誌にすっぱ抜かれた。だから何なんだといったレベルの話だが、「アイドルとして許されない不道徳な行為」との批判が巻き上がった。道徳自警団の発生である。

峯岸氏はYou Tubeに謝罪動画なる動画を投稿。自分の頭を自ら丸坊主にして「AKB48を辞めたくない、今回のことは私が全て悪かったです」と涙ながらに謝罪した。第2次世界大戦でパリが解放されたときに、ナチスに協力したフランス人女性が丸坊主にされたことを思い起こさせる、異常な出来事だった。

若い女性が同世代の男性と恋愛するのは自然なことだが、男性ファンからは「丸刈りにして当然だ」との意見が少なくなかった。彼らはファンを名乗った道徳自警団である。

最近では、ミュージシャンの小室哲哉氏が不倫騒動で音楽の世界から引退を余儀なくされたが、引退する必要があったとは思えない。あの程度で引退しなければならないならば、ミュージシャンは全て引退しなければならないのではないか。不倫で彼の音楽まで否定されるのはおかしなことだ。

道徳自警団は重箱の隅をつついて、微罪をあげつらうようなこともする。あるテレビ局がパラオのプールで、若い女性タレントがカクテルを飲みながら「恋バナ」をする、という番組を企画した。撮影まで終了したのだが、急遽放送しないことになった。なぜか? 出演者の中に20歳の女性がいたからだ。実はパラオの法律では、飲酒は21歳からとされている。厳密に言えば、この日本人タレントはパラオの法律に違反したことになる。

もしオンエアしてしまうと、道徳自警団が「パラオの法律に触れている」などとクレームをつけてくる可能性があったので、テレビ局はこの可能性を”忖度”して、放送を取りやめたのだ。昔ならばこんなことはありえなかったが、現在はささいなことでクレームを恐れる息苦しい時代だ。

政治家の舛添要一氏は、公費で私物を購入したことが批判されて、東京都知事を辞任した。公費で購入した「クレヨンしんちゃん」の漫画本など、全巻そろえても3万円程度のものだ。たしかに公私混同はよくないが、辞任する必要があったのだろうか。


「毎年生活水準が上昇していれば、不道徳も気にならないはず」(撮影:梅谷秀司)

舛添氏が無駄遣いをしたというのならば、日本政府が年間約7000億円も負担している、在日米軍の駐留経費はどうなるのか。米軍将兵は沖縄や横須賀で豪華な住宅を無料で使用し、高速道路代が免除され、自動車税が日本ユーザーよりも優遇されている。

道徳自警団は在日米軍の特権のような、巨大で複雑なものを対象にするのではなく、生活感覚で理解できるわかりやすい微罪を糾弾する。実は道徳自警団にとって、舛添氏がファーストクラスやスイートルームを頻繁に使用したり、公費で漫画本を買ったりすることなど、どうでもよかった。この時期、話題に飢えていた道徳自警団は、いろいろな理由をつけて舛添氏を叩くことに、カタルシス(浄化)を感じていただけだ。

教育を受け、そこそこカネもある人たち

1日は24時間であり、テレビ番組やラジオ番組の放送時間は限られている。新聞や雑誌の紙幅も限定されている。ウェブニュースの容量は無限に近いと言えなくもないが、社会問題を正確に指摘できる記事の本数には限界がある。

こうした限られたリソースの中で、私たちは深刻な社会問題に取り組んでいかなくてはならない。それなのに、道徳自警団がどうでもいい問題で横やりを入れ、そのたびにネット世論が沸騰する。

ネット世論の沸騰を見て、ウェブニュースが取り上げ、話題に飢えたテレビがそれを引用することで、この沸騰ネタはネット世界だけのものではなくなる。まるで解決すべき最優先事項であるかのように認識されるようになる。そして、国防や震災復興、貧困問題といった、重要なニュースを取りあげる時間がなくなってしまう。道徳自警団によって、国民は本当に見るべきものを見られなくなっている。これは大きな社会的損失だ。

道徳自警団になるのは、日々の生活に困るような人たちではない。テレビ局に電話して1時間以上もクレームに費やす余裕があるのだから、すごい金持ちではないが、そこそこおカネを持っているミドルクラスの人たちだ。また、どの会社がどの製品を作っているのか、誰が何を書いたかなどを知っているので、ある程度の教育は受けている。政治学者の丸山眞男氏が「日本型ファシズム」の担い手と指摘した、”亜インテリ”な人たちだ。具体的には零細自営業者、教員、工場監督者などで、ネット右翼と多少かぶっている。

こうした人たちは好景気で、毎年生活水準が上昇する時代には、不道徳ネタに興味を示さない。景気がよければ「週末はどこへ行こうか」「今度何を買おうか」などと考えて過ごす。しかし、景気低迷が続いて収入が増えず、時間をもてあます中で、不道徳叩きを始めるのだ。

不況や停滞期に人間の関心は、不道徳に向かいやすい。中世において経済成長はほとんどゼロだった。技術革新がなかったので、生産性が向上しなかった。人々は迷信を恐れ、西欧では根拠なき魔女狩りが発生した。現世の人間の不道徳によって、疫病や不作といった、「神の罰」が下されると考えた。


現在の日本は、経済停滞が20年以上も続き、ゼロ成長が延々と続く「平成という中世」と言える。経済が拡大せず、自分の収入が増えず、将来の展望が見えないとなれば、人々の関心は中世と同様、不道徳に向かう。景気低迷が道徳自警団を発生させたのだ。

だから道徳自警団というやっかいな人々は、経済成長によって自然消滅する。経済成長している社会では、個人はみずからの所得を拡大させることを最優先し、いかにして高価な耐久消費財や不動産を購入するか、知恵を絞る。簡潔に言えば、カネさえ増えれば他人の不道徳などどうでもよくなる、というのが人間の本性だ。

貧乏でも幸せ、は間違っている

あまりにも長く経済停滞が続いたため、資本主義は終わったとか、貧乏でも幸せだといった、デフレを肯定する言説が蔓延している。しかし、こんなことを言う人に限って、経済的な成功者であったりする。こういった連中の無思慮な言説に騙されてはいけない。貧乏でも幸せ、というのは間違っている。カネがなくて不幸だから、あるいはデフレが進行する中でカネが増えないという窒息感があるから、他人の不道徳や微罪が我慢できず、怨嗟が増幅するのだ。

仮に年収が400万円であっても、経済が3%成長し、年収がそれにリンクするとすれば、翌年に412万円、翌々年には424万円に上昇する。こうした社会では未来への希望が生まれ、それを実現するために行動するから、他人の不道徳など気にならない。「一定のカネがあれば、たいていのことは解決する」という、資本主義社会の前提に立ち返れば、道徳自警団は自然と駆逐されるだろう。