「集中力」があると思われる人の意外な秘密とは?(写真:courtneyk/iStock)

情報や誘惑の多い現代社会で「集中力」を身に付けたいと考えるビジネスパーソンは多いものです。では、〆切に追われ、強靭な集中力でアウトプットを続ける人はどのようにして「集中」しているのでしょうか。
この記事では、累計1600万部を突破する人気作家の森博嗣氏に「作家の集中力」「脳の使い方」といったテーマで行った<メール・インタビュー>を公開します。当然ながら、「集中」は善である、という立場にたち、集中するためにはどうすれば良いかを尋ねていますが、それへの“意外な返答”とは……。
(この記事は、『集中力はいらない』(森博嗣・著)を執筆するきっかけとなった編集者とのメール・インタビューのやり取りを基に作成しています)

作家の頭の中とは?

Q:森先生は、非常に速筆で、短時間で作品を書き上げられるそうですが、どのようにして集中するのでしょうか?

:身も蓋もない「こたえ」になりますが、難しかったら、無理にやり遂げなくてもよいのではないでしょうか。その方法が自分に合わないから、難しいと感じるわけで、もっと簡単にできる方法を探すべきです。もちろん、多少の困難さはどんなものにもあります。抵抗がなかったら、やり甲斐もありませんし、そもそもやる意味もないでしょう。

僕は、たしかにワープロで文字を書くスピードは速い方かもしれません。それは、単にキャリアです。20代からキーボードを打つのが仕事でしたので、たまたまそれに慣れていただけです。たとえば、暗証番号なんかも、指が覚えているので、数字としてすぐに頭から出てきます。

もっとも、速いとか遅いといっても、大きな差があるわけではなく、足が速い人もいれば遅い人もいるように、せいぜい大きくても2倍とか3倍の差で、気にするほどではないと思います。遅かったら、それだけ時間を使えば良いだけのことで、試験のように制限時間があるわけではありません。

僕は、集中して執筆できるのはだいたい10分間くらいですね。10分間で1000文字ほど打てますが、そこでもう疲れるし、厭きてしまうので、ひとまず別のことをします。たいてい、工作をしにいくとか、庭に出るとか、犬と遊ぶとか、あるいは、ネットでどこか面白そうなサイトを探すとかです。それで、その別のことをしている間は、今まで書いていた文章の内容をすっかり忘れていて、考えもしません。

そういった別の作業が、5分間だったり、幾つか回って2時間だったりするわけですが、またパソコンの前に戻ってきて、そこにある文字を見て、今の仕事を思い出すわけです。それで、また10分間くらい集中して指を動かします。森博嗣は、一時間に6000文字書けるというのは、1時間ぶっ続けで書けるという意味ではなく、10分間に1000文字書けるのを、時速に換算した数字だということです。1時間も書き続けることは、無理ですね。疲れます。

疲れるというよりは、厭きるが近いかもしれません。集中できなくなる。目も指も疲れますが、それらはさほどでもなくて、厭きるというのは、つまり頭が疲れるということなのです。だから、集中していた対象から一旦離れ、つまりすっかり忘れて、別のことをします。それで、戻ってきたらリフレッシュしているから、いきなりトップスピードでまた書きだせるというわけです。

ですから、「よく厭きずに一つのことが続けられますね」と言われても、困ります。僕ほど厭き性で、一つのことを続けられない、集中力が持続しない人間も珍しいのではないか、と自覚しています。

Q:執筆に入ったら、たちまち書き始められる、というのは凄いと思います。没入するスイッチの入れ方はありますか?

:そうですね、まず、音楽を聴きますね、iPodで。普段、音楽を聴くときは、真空管アンプで大きなスピーカをがんがん鳴らしますが、それは音楽を楽しむときのことです。そうではなく、執筆のときは、iPodとイヤフォンで決まった曲を聴きます。LPが10枚くらい入っているのですが、いつもそれです。順番も同じですから、なんというのか、耳栓と大して変わりがありません。

それを聴き始めたら、いきなり書きだします。まるで、条件反射のパブロフの犬みたいなものですね。習慣にしてしまったわけです。そして、10分間は、それ以外のことは考えませんから、たぶん集中できていると思います。

Q:では、執筆の「ルーチン」はありますか?

:決まったものは、これといってありません。時間的にいつとも決めていません。朝から書くこともあるし、夜書くこともあります。執筆の10分間が、ばらばらに、あちらこちらの時間帯に飛び飛びにあるわけで、一日の全体に散らばっているときもあれば、出かけたりして、明るいうちに書けなかったときは、夜に、同じくばらばらに時間を取って書きます。

いずれにしても、毎日書きます。コンピュータのカレンダに、毎日何文字書くと記入して予定を決め、そのとおりに書きます。だいたい前倒しになりますが、決めた予定よりも遅れたことは一度もありません。親が死んで葬式の喪主をしなければならないとか、そんな事態に突然陥っても、予定を厳守しました。逆にいうと、それくらいゆるい予定を組むわけです。よほどのことがあっても、果たせるノルマを決めるということです。

脳を発想しやすい状態に変える

Q:では、抽象的なことを考えるときのコツはありますか? ご著書に、タイトルを考えるだけでも、半年の時間をかけると書かれていましたが、「1日1回思い出すだけ」ともありました。

:大変難しい質問ですね。はっきり言って、わかりません。わからないから、時間をかけるしかないのです。頭脳は自然のものであって、機械ではない。だから、土に埋めた種が発芽するような時間が必要なのではないでしょうか。

発想というものは、そういうものだと思っています。これこれこう考えて、この方式で計算すれば思いつく、という手法がないわけです。それがあったら、半年もかからないでしょう。ただ、土から出てきた芽を発見するのは、自分自身の価値観です。発想を見極める目が必要ですね。それは、ある程度は経験的なものだし、また多分に客観的なものです。

これは使える、と判断するときには、その発想がどう加工できるか、それを他者はどう思うか、という瞬時の推測と他視点の観察が働きます。これは、想像力といってしまえばそうなのですが、発想ではなく計算に近いもので、たとえば、AIだったら、わりと簡単にこたえを導くでしょう。

半年考えていても、その問題を「1日1回思い出す」というのは、当たり前ですが、半年間ずっと考え続けているわけではない、という意味です。でも、毎日思い出すくらいには、気にかけているということです。気にかけていれば、別のものを見たとき、連想もするでしょう。いろいろなものに対して、もしかしてこれを使えないか、これは似ていないか、とゆるい関連で結びつけることができます。これも、集中した思考には向いていない理由です。

ぼんやりと、なんとなく気にかけている必要があって、その境地に達するのに半年かかるということです。それで、一旦なんらかの発想があれば、あとは簡単です。ようは労働するのみです。ここに道がありそうだ、こちらに目的地があるらしい、とわかれば、あとは歩くだけなのです。小説の執筆であれば、タイトルが決まれば、10日2週間で書き上がります。もちろん、1日に1時間の執筆量でです。

この段階に至ると、むしろスピードが出すぎないように自分を抑えている感覚になります。気が短いので、目的地が見えたら一気に進みたいと思ってしまう方なので、疲れないように、仕事が雑にならないように、意識してゆっくりと進めます。自重しているわけです。

「どうすればよいか?」という質問がダメな理由

Q:「これは使える!」という発想を思いつくために、「集中した思考」は向いていないということですが、それはなぜですか? もう少し詳しくお願いします。

:分散というのか、発散というのか、イメージが人によって違うかもしれませんが、一点に集中していない状態が、発想しやすい頭なのだと思います。頭の中でどんなふうになっているのか、見たことがないので知りませんけれど、集中していては、一部のデータにしかアクセスしていないわけです。もっと別のデータ、まったく関連のないデータにも広く次々とアクセスする、ということですね。

もし、集中して見ているところに「こたえ」があるなら、なにも発想など必要ないわけです。計算したら結果が出ます。しかし、発想と呼ばれているものは、普通ではちょっと思いつけないような解を持ってくることです。それが、遠くから来るほど、誰も思いつけない画期的なアイデアだと評価される。でも、遠くにあるデータほど、範囲が広がるわけですから、処理が膨大になります。それを素早く関連づけるのは、閃きと呼ばれる一瞬の連想です。


多くのデータをまず見ること、目の前のものや既存の概念に囚われないで、無関係なものをつなげてみたり、常識外れの解釈をしたり、無駄なことに注目したり、さまざまなタブーを頭の中で取り替え引き替え試すような多視点の思考が必要です。

もちろん、一方では、それらを客観的に観察し、これだというものを評価し見逃さないことも重要。ですから、きょろきょろとしている人と、その人を監視している人が少なくとも必要で、この人たちが何組も働いているわけです。これを、言葉にすると、「発散」あるいは「分散」みたいな表現になります。

Q:どうしても、その分散思考、発散思考をしたいと思ったら、どうすれば良いですか、と尋ねたくなりますが。

:その、どうすれば良いか、という手法が、集中思考の典型です。こうすれば良いという方法を求めようとしていますよね。そういう手法がない点が、分散思考、発散思考の基本なのです。