前川製作所が定年で社員を切らないワケ

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日本は世界一の「超高齢社会」に突入した。悲観的な論調も多いが、三菱総研理事長の小宮山宏氏は「実態の変化に人々のメンタリティが追いついていない。たとえば『定年制』はもう時代遅れだ。これから世界中が高齢化していくのだから、日本はその先駆けになるチャンスを持っている」という――。

■紀元1000年頃の平均寿命は24歳だった

「少子高齢化」と言いますが、「少子」と「高齢化」は分けて考えるべきでしょう。もちろん、2つは影響し合っていますが、対策を考えるときには切り離す必要があります。

今回は後者の「高齢化」を考えてみたいと思います。高齢化の要因の1つは「長寿化」です。寿命が延びたために高齢者が増えているのです。2016年の平均寿命は、男性が80.98歳、女性が87.14歳。1985年は男性が74.78歳、女性が80.48歳ですから、31年間で男性が6.2歳、女性が6.66歳も延びています。

イギリスの経済学者、アンガス・マディソンによると、紀元1000年頃の世界の平均寿命は24歳くらいだったようです。1900年には31歳になりますが、900年でたった7歳しか増えていません。それが2015年時点では71.4歳になり、40歳も延びています。この変化は、世界平均の1人あたりGDPの延びと、見事に一致しています。産業革命のおかげで生産性が上がり、豊かになって寿命が延びたのです(図参照)。

■長寿の否定は文明の否定

「高齢者が増えるのは良くない」「長寿がいけない」というなら、もう文明を辞めるしかありません。長寿の否定は文明の否定なのです。

ただ、残念ながらこうした実態の変化に、社会制度や人々のメンタリティ(心理)がまったく追い付いていません。一例が定年制度です。

定年制が日本で普及し、定着したのは戦後で、当時の一般的な定年は55歳でした。その頃の男性の平均寿命は、戦争の影響もあったでしょうが、50歳強で、55歳に達していません。定年で仕事を辞めてからの余生は非常に短かったのです。

平均寿命はその後どんどん延び、今や80歳を超えています。それなのに、多くの企業で定年は60歳や65歳ですから。寿命の延びと乖離しています。

さらに、今の高齢者は非常に元気です。国立長寿医療研究センターの調査によると、2006年の70代後半男性の歩くスピードは、1997年の60代後半男性と同じくらいです。私たちが学生時代に見ていた60歳と、今の60歳はまったく違う。おそらくみなさんも実感されていると思いますが、今の高齢者は昔の高齢者に比べて随分元気です。

■これからは高齢者の活躍の場が増えていく

労働の質も変わってきていて、高齢者が働き続けることが容易になっています。

昔の工場は、人であふれていましたが、今、工場に行っても、ほとんど人の姿を見ません。人がいるのは、ラインをコントロールする「頭脳」とも言える中央制御室です。

1940年代にアメリカのマール・トラビスが発表し、日本でもフランク永井がカバーして有名になった「16トン」という曲があります。重さ16トンものトロッコをひっぱるという、石炭労働者の歌です。しかし今は、炭鉱でも機械化、自動化が進んでいて、巨大な機械が掘り、ベルトコンベヤーで運んでいく。アメリカのトランプ大統領は「石炭産業で雇用創出を」と言っていますが、現場を一度見に行ってみるといい。炭鉱も昔のようには人手を必要としません。

人手を要する労働は減っていて、知識が価値を生む社会、「知価社会」に変わりつつあります。力は機械が提供し、人は頭脳部分を担う。これからは元気で経験も豊富な高齢者の活躍の場が増えていくはずです。

理想の形は、「頭が元気なら自立できる」という状態を作ることでしょう。最近のテクノロジーの進歩を見ていると、夢物語ではないことがわかります。

■15歳から64歳の「生産年齢人口」は定義がおかしい

例えば、サイバーダイン社の装着型パワードスーツ「HAL」は、脳から筋肉に対して送られる電気信号をセンサーで読み取り、モーターを動かして筋肉の動きを助けます。脳や神経などの機能や筋力が低下し、体を思うように動かせなくなった人でも、モーターの力を借りて体を動かすことができます。

視力でも技術が進歩しています。最近のイメージセンサーの性能は非常に高く、1秒間に約1000枚の画像が撮れるものもあるほどです。人間の目は、16分の1秒が限界といわれていますから、人間の目よりもよく「見えて」いる。イメージセンサーは目の網膜に当たるので、人の神経回路をつなげば、目が見えない人でも目が見えるようになります。

自立生活を支援する技術ならば、欲しいと思う人はたくさんいるでしょうし、今後も増えるはずです。労働の性質が変化し、知価社会になりつつあることに加え、こうした技術が実用化されれば、高齢者はますます長く社会参加できるようになります。

生産年齢人口の減少と高齢者の増加で大変だと言われます。しかし、生産年齢人口を15歳から64歳と定義するのは、現実に合っていません。15歳は中学3年生だし、18歳で高校を卒業してすぐ職業につく人も20%未満です。生産年齢人口を20歳から74歳とし、それに合う社会制度を作れば、高齢化が脅威などという議論の根拠のほとんどは吹っ飛んでしまいます。

■過去には95歳まで働いていた社員がいた

前川製作所(東京都江東区)の取り組みは、高齢化社会の中で成長を続ける企業として、非常に参考になります。同社はもともと、冷蔵製氷業から始まっていますが、現在では冷凍、化学、食品、ロボット、環境、超電導、バイオなど多方面の事業を、海外20カ国にも展開するグローバル企業。顧問の前川正雄さんは著書で「若手だけでは新しい商品はできない」と述べています。

同社は、制度上は定年制がありますが、能力と本人の意思、会社側のニーズが合えば、何歳まででも働くことができます。現在、国内だけで2546人の社員がいますが、制度上の定年である60歳を超えている人が233人います。制度上の定年を越えた人のほぼすべてが、働き続けることを選択するそうです。現在の最高齢は78歳、製造部門で圧縮機の新規開発・改良業務に従事、過去には技術開発部門で、技術顧問として各種技術研究を行い、95歳まで働いていた社員がいたそうです。

前川さんは、「高齢者がいないと21世紀型のハイテク産業は完成しない」と言っています。今の現役世代は非常に忙しく、目の前の目標を達成するだけで手いっぱい。長期的な視野を持ち、若手を育成することにまで、手が回りません。そこを高齢者がカバーするわけです。リーダーとして引っ張るのではなく、若手をサポートし、行き詰まったときに知恵を出す。同社のベテラン社員たちは、そうした役割を担っているそうです。会社にとっても、若手にとっても、当の高齢者にとってもメリットの大きい仕組みです。

■「多世代の対話」から新しいものが生まれる

高齢者の力を社会で活かすための方法には、いろいろな形があるはずです。前川製作所のように、自社で育った人を自社で活かし続けるといったやり方もありますが、すべての企業でうまくいくわけではありません。

私が会長を務めている「プラチナ構想ネットワーク」では、すべての世代が参加でき、エコで快適な社会を「プラチナ社会」と名付けて活動しています。そこでは、高齢者が蓄積した経験やノウハウを活かすための「プラチナマイスター事業」を行っています。社会に還元できる、価値ある経験や知識を持つ高齢者を「プラチナマイスター」として認証し、ニーズに合った組織やプロジェクトに派遣するというものです。

プラチナマイスターになるためにはまず、「プラチナ社会学」を学んでいただきます。高齢者は往々にして、過去の経験を語るばかりになってしまいますが、今の社会の姿や未来の社会の姿に、自分の過去の経験を照らし合わせて活かす力が必要です。

プラチナ社会学では、社会が今後、どのように変わるのか、未来の姿を学んでいただきます。さらに、コミュニケーション学も必要です。年寄りは往々にしていばりたがり、若手に自分の話を一方的に聞かせたがる。しかし、それではだめです。複数の世代が相互理解を進めるためのコミュニケーションを学んでいただきます。

■アフリカや中東の出生率も低下し始めている

これら2つを身に付けることで、高齢者の本当の価値が活きるはずです。そのうえで、高齢者が活躍できる場を作る予定です。ぜひやりたいのが教育分野です。教育現場では、高齢者の助太刀が不可欠です。学校の先生方が教育内容の変化についていくのは大変です。おまけに雑務の量もおびただしいのです。プログラミング、理科の実験、いじめ、英語など、さまざまな分野で、プラチナマイスターが役立つはずです。

まずは東京、横浜、長崎で、小学生向けのロボット教室を始めました。プラチナマイスターと大学生が講師です。高齢者と大学生、小学生という多世代の対話によってこそ、新しいものが生まれるのです。

現在約73億人の世界の人口は、まだしばらくの間増加します。しかし、人口が増加しているアフリカを含め、世界のほとんどの国で、出生率は下がり続けています。また既に世界の約半分の地域で、現在の人口を維持できるだけの出生率を割り込んでいます。これらの国ではやがて人口はピークに達し、その後減少し始めるでしょう。経済が成長し教育が普及すると出生率が低下するというのが、歴史の教えるところです。現実にアフリカや中東の出生率は低下し始めています。つまり、人類全体が遅かれ早かれ、おそらく21世紀の半ばにも、日本が直面しているような高齢化社会に突入するのです。

高齢化社会は、脅威でもなんでもありません。人びとの認識と制度を、「元気な高齢者が増えている」という実態に合わせていけばいいだけなのです。高齢化先進国である日本が、その先鞭をつけるべきなのです。

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小宮山 宏(こみやま・ひろし)
三菱総合研究所理事長。1944年生まれ。67年東京大学工学部化学工学科卒業。72年同大学大学院工学系研究科博士課程修了。88年工学部教授、2000年工学部長などを経て、05年4月第28代総長に就任。09年4月から現職。専門は化学システム工学、CVD反応工学、地球環境工学など。サステナビリティ問題の世界的権威。10年8月にはサステナブルで希望ある未来社会を築くため、「プラチナ構想ネットワーク」を設立し会長に就任。

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(三菱総合研究所理事長 小宮山 宏 写真=iStock.com)