五輪では、レークプラシッド大会の「わずか1回のみ」しか行われなかった「犬ぞりレース」(写真:aoi / PIXTA)

平昌オリンピックがいよいよ開幕した。
冬季五輪では、スキー、スケートをはじめ、15競技102種目もの多彩な競技が行われているが、その一方で今では行われなくなった「幻の競技」もある。
そのひとつが、1932年のレークプラシッド大会で行われた「犬ぞりレース」。正式競技ではないながらも、大いに観衆を沸かせたという。
『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が「冬季五輪の犬ぞり」を解説する。

正式競技よりも注目を集める公開競技

1932(昭和7)年2月7日、開会から4日目を迎えたアメリカ・レークプラシッドのオリンピックスタジアムには、前日に続いて多くの観衆が詰めかけていました。

日曜日の昼下がりとなるこの時間、屋外の「スタジアム」ではカナダ対ポーランドのアイスホッケーの試合が予定されていましたが、例年にない暖冬のせいでリンクのコンディションが悪く、競技会場が屋内施設の「アリーナ」へ急遽、変更されることが告げられました。

ところが、観衆の多くは正式競技であるはずのアイスホッケーには目もくれず、試合が行われないスタジアムに居残ったままです。そして、なぜか異様な熱気とともに、掲示板が更新されるたびにその内容をかたずをのんでじっと見守っています。

掲示板には、ちょうど同時刻に進行中の公開競技「犬ぞりレース」の途中経過が、刻々と掲示されていたのです。観衆は3つの中継所から次々と伝えられる通過タイムに一喜一憂しながら、まもなくレースのゴール地点となるスタジアムで、ある伝説的英雄と犬たちの「凱旋」を待ちわびていたのでした。

「犬ぞりレース」は、100年近い冬季オリンピックの歴史の中でも、このレークプラシッド大会の「わずか1回のみ」しか行われなかった「幻の競技」です。

今回は、この「犬ぞりレース」について解説します。

今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

Q1. 「レークプラシッドオリンピック」とは何ですか?

1932年2月にアメリカ北東部、ニューヨーク州のリゾート地、レークプラシッドで行われた「第3回冬季オリンピック」です。

この頃はまだ種目も少なく、正式競技の5競技14種目(スキー、男子スピードスケート、フィギュアスケート、アイスホッケー、ボブスレー)と、「公開競技」として3競技5種目が行われました。ちなみに同地では、1980年にも再び冬季五輪が開催されています。

犬ぞりレースは「公開競技」のひとつだった

Q2. 「公開競技」とは何ですか?

オリンピックの主催国で根付いている特有のスポーツ、または多くの国に広まっているスポーツをオリンピック競技として実験的に実施 (デモンストレーション)するものです。

このときのレークプラシッドオリンピックでは、「女子スピードスケート(3種目)」「カーリング」、そしてアメリカと北アメリカ大陸の先住民族のスポーツとして「犬ぞりレース(Sled Dog Race)」が採用されました。「女子スピードスケート(3種目)」と「犬ぞりレース」が公開競技に採用されたのは、このときが初めてでした。

女子スピードスケートとカーリングはその後、広く世界に普及し、現在は正式種目となっていますが、犬ぞりレースはこの大会で「1回」開催されたのみで、以降は行われませんでした。

Q3. 犬ぞりレースはなぜ正式競技にならなかったのですか?

当時、犬ぞりレースはまだ北米の一部地域に限られたローカルスポーツにすぎず、競技の認知度も含め、世界的な普及にはおよばなかったためです。

Q4. 「犬ぞり」はスポーツですか?

はい。極北の地に生きる人々にとって、犬ぞりは「スポーツ」であり、同時に「不可欠な生活手段」でもありました。

厳しい冬の季節には、氷雪に覆われる大地を自由に横断し、郵便物や生活物資を定期的に輸送していたのが、この「犬ぞり」でした。

オリンピックの犬ぞりレースは、どんなものだったのかを見てみましょう。

Q5. レースに参加したのは?

アメリカとカナダの2カ国から、優れた技量を持った13チーム(アメリカ8、カナダ5)がエントリーしました。ただし、実際に競技に出場したのは12チーム(アメリカ7、カナダ5)です。

1周40km、2日間の長丁場

Q6. レースはどんなルールで行われたのですか?

単なる「見せ物」ではない、かなり「本格的」な内容でした。

競技には、市街から郊外を巡回する25.1マイル(約40.5km)のルートが設定され、このコースを各チームが2日連続で走行して、合計タイムで順位が決定されました。

スタートは一斉ではなく、午後2時15分を皮切りに、指定された順に3分間隔で出発しました(翌日は逆順から)。

Q7. そりは何頭の犬が引いたのですか?

当時の一般的な編成とされた、先導役1頭と牽引役6頭からなる「計7頭」です。

途中で走れなくなった犬は、「マッシャー(操縦者、ドライバー)」のそりに乗せ、必ずすべての犬とともにゴールしなければ失格となります。

Q8. レースに用いられたのは、どんな犬ですか?

おなじみのハスキー犬、または盲導犬でも知られるラブラドールや、これらをかけ合わせた犬種などさまざまでした。

Q9. 犬ぞりレースは当時から人気だったのですか?

アメリカ、カナダでは、大きなレースも開催されるなど非常に人気で、レークプラシッドでも「犬ぞり」は冬の風物詩でした。

「公開競技」とはいえ、マッシャーと犬たちにとって、オリンピックは最高の晴れ舞台。選手の誰もが真剣でした。

特に今回のレースは、「伝説的ヒーロー」とその最大のライバルとの対決に、大きな注目が集まっていました。

「伝染病の町」を救った犬ぞりリレー

Q10. ヒーローとライバルというのは誰ですか?

地元アメリカから出場した「レオナルド・セパーラ選手」(1877〜1967)と、カナダの「エミール・ゴダード選手」(1905〜1948)です。

数々のレースで勝利を重ねてきた絶対的王者であるゴダード選手に対して、セパーラ選手もまた犬ぞりのエキスパートで、かつては英雄的行為で全米の人々から称えられたこともある、まさに「レジェンド」でした。

Q11. 「セパーラ選手」は、なぜ英雄と称えられたのですか?

彼の犬ぞりが「アラスカ辺境の町を窮地から救った」からです。

1925年1月、ベーリング海に面したアラスカ州西部の町ノームで、伝染病のジフテリアが突如発生します。この治療には血清が必要でしたが、町には必要なだけの血清がありませんでした。

加えて、折りからの大寒波の影響で、海路や空路はおろか、陸路も厚い雪に閉ざされてしまい、血清は1000km手前の町で足止めされたまま、ノームの住人約2000人は絶体絶命の危機を迎えていました。

この事態に、残された唯一の手段として「犬ぞりによるリレー輸送」が計画されました。ノームまでのルート上に点在する町の各区間を、犬ぞりで運ぶという前代未聞のプロジェクトです。

このプロジェクトが実行された結果、勇敢な20人のマッシャーと150頭の犬たちは、厳しい天候にも負けずに、1085kmの道のりを5日半かけて、それぞれが分担する区間を苦難の末に走破し、ノームの人々を「死の恐怖」から救いました。

セパーラ選手は、このときの輸送メンバーのひとりで、彼と彼の犬たちは、途中「マイナス30度超の暴風雪」に遭遇しながらも、20人の中で最も長く過酷な146kmの区間を、見事に走り切ったのでした。

Q12. オリンピックでのレースの模様は?

セパーラ選手も参加したレークプラシッドオリンピックの「犬ぞりレース」では、予想どおりの熱戦が繰り広げられました。

レースのスタートはレークプラシッド中心部のオリンピックスタジアムで、その後は郊外の大自然に囲まれた美しい風景の中、雪に覆われた州や郡の道路、乗馬などで使われる細い林道などを巡回するコースでした。


ただし平坦な場所ばかりではなく、途中には心臓破りの丘や、後半のアップダウンが続く農場地帯などもある、かなりタフなコース設定となっていたため、スタジアムにゴールすると同時に昏倒するマッシャーもいたほどです。

そして1日目の結果は、1位「ゴダード選手」(2時間12分5秒)、2位「セパーラ選手」(2時間13分34秒)と、その差はわずか1分余り。いきなり接戦にもつれこんだのです。

Q13. 優勝したのはどちらの選手ですか?

勝敗が決する2日目のレースをこの目で見届けようと、2日目もスタジアムはもちろん、40kmに及ぶ沿道にも多くの観衆が詰めかけ、会場は熱気に包まれました。

チェックポイントから逐次報告され、掲示板に表示される各チームの通過タイムに観衆がどよめく中、栄冠を手にしたのは、この日もトップのタイムでゴールしたカナダの「ゴダード選手」でした。合計タイムは4時間23分12秒。「セパーラ選手」も健闘したものの、惜しくも4時間31分1秒の2位という結果に終わりました。

歴史には「埋もれた興味深い話」がたくさんある

ところで、この「犬ぞりレース」に出場していたアメリカのシーリー選手は、全12チームのうち唯一の女性マッシャーでした。順位は残念ながら最下位(7時間14分46秒)と奮いませんでしたが、堂々の完走を果たしています。

こうして「犬ぞりレース」は、大会全体を通じて最も感動を与えた競技のひとつに数えられる大盛況のうちに幕を閉じました。

今回解説した「幻のオリンピック競技」のように、歴史に埋もれた興味深い話は数多くあります。歴史を知れば、「世の中」が違って見えます。ぜひ歴史を学び直すことで、知識や教養と同時に、「知的な楽しみ」を体験してみてください。歴史を知ることは、それだけで楽しいものだからです。