1月25日のECB理事会でドラギ総裁は急なユーロ高を牽制したが効果はなかった(写真:ロイター/アフロ)

世界経済の同時拡大が続いているが、中でもユーロ圏の強さは目立つ。ECB(欧州中央銀行)が2018年内にも利上げに動き出すとの見方まで台頭し、ユーロ高圧力となっている。

ドラギ総裁は1月25日の政策理事会後の記者会見で、為替市場の動きを「不確実性の源泉」と牽制、「年内の利上げ開始の可能性は極めて小さい」と述べたが、ユーロ相場はほとんど動じなかった。

決定済みの方針は変更しないだろう

ECBは、金融政策の先行きを示すフォワード・ガイダンスで、緩和縮小はFRB(米国連邦準備制度理事会)と同じ手順で進める方針を示している。


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その手順とは、まず、今年1月から月300億ユーロに縮小し9月末まで継続するとしている純資産買い入れを、インフレ率について「2%以下でその近辺という物価目標に向けた調整の進展」を確認したところで停止する。利上げには、純資産買い入れの停止後、「十分な期間」を置いてから着手する。さらに、バランス・シートの縮小開始(FRBは昨年10月)にも十分な時間を置くというものだ。

ECBのフォワード・ガイダンスを文字通り受け止めれば、ドラギ総裁が理事会後の記者会見で述べた通り、「2018年内の利上げ開始の可能性は極めて小さい」。それにも関わらず、年内利上げ観測がくすぶり続けるのは、1月11日に公表された2017年12月理事会の議事要旨で、経済指標の改善に合わせてフォワード・ガイダンスを修正する必要性と2018年の早い段階で検討する可能性を協議していたことが分かったからだ。

経済指標がおそらく、12月理事会時点の想定以上に改善していることはドラギ総裁も認めており、次回3月の政策理事会では、3カ月前よりも、さらに上方修正された経済見通しが議論の叩き台となると予想される。

このためECBが、3月にフォワード・ガイダンスを修正する可能性は高いのだが、2018年内の利上げ開始に布石を打つことは考えにくい。

理由は2つある。1つは、2018年内の利上げ開始に必要な純資産買い入れの9月末以前の停止や、純資産買い入れ停止後の利上げ開始という順序は、変更しないと見られることだ。フォワード・ガイダンス変更の議論は、先行きの突然で無秩序な調整のリスクを減らすために行う。すでに決定済みの方針の撤回は、市場の混乱を招きかねず、逆効果になる。緩和縮小の順序を変えないことは、12月理事会の議事要旨に明記されている。純資産買い入れの停止と利上げの間に「十分な期間」を置くこととともに、ドラギ総裁が記者会見で強調した点でもある。

2018年の利上げ開始が考え難いもう1つの理由は、経済指標は強いが、賃金の伸びに加速感はなく、内生的な物価上昇圧力の高まりは見られないことだ。

雇用改善でも賃金上昇圧力は弱い

ユーロ圏では、日米に比べて、雇用改善が大きく遅れたものの、ここにきて失業率の低下傾向が広く定着するようになった。2017年11月時点の失業率は8.7%で、日米と異なり世界金融危機前の最低水準(7.3%)を上回っており、労働需給の緩みがまだ残る。それでも、EUの欧州委員会が推計する賃金上昇を加速させない失業率(NAWRU、Non-accelerating wage rate of unemployment、2017年8.6%)という閾値におおむね一致する水準には達した。

しかし、賃金上昇率はまだ加速する気配はない。ECBが圏内の賃金動向の把握のため活用している指標を見ると、直近(2017年7〜9月期)で労働コスト指数は前年同期比1.6%、1人当たり雇用者報酬で同1.7%、協定賃金指標が同1.5%。2016年下期を底にわずかに上向いた程度だ。ドラギ総裁は、1月理事会の記者会見で、この上昇が、協定に基づく給与ではなく、ボーナスや残業代などによるものであり、上昇傾向が定着するかどうか確信できない段階とした。


ドイツ連邦銀行のバイトマン総裁は、ドイツ紙のインタビューで「物価目標に整合的な賃金上昇率は3%」と述べている。労働生産性の伸びがおよそ1%あるからだ。物価が目標近辺で推移していた2000年から2000年代半ばにかけては、1人当たり雇用者報酬が平均2.5%、協定賃金指標は同2.4%上昇していた。ECBが利上げの前段階とする純資産買い入れ停止の条件は、物価目標に向けた調整の進展であり、賃金指標の2%超えは必要ない。それでも、上向きのトレンドが定着するかどうか、見極めたいところだろう。

ユーロ圏の低賃金、低インフレには様々な要因が働いているとされる。生産性の伸びの低下、グローバル化、デジタル化の圧力、失業率に反映されない広義の失業の存在、期待インフレ率の低下は広く先進国に共通する要因だろう。さらに、ユーロ圏固有の要因としてEU圏内の自由な労働移動、労働市場改革の進展による賃金決定方式の柔軟化なども働く。労働コスト指数で見る限り、ドイツの賃金上昇率は、ほかの圏内主要国より高いが、雇用のタイトさから期待されるほどは伸びてこなかった。バイトマン総裁は、先述のインタビューで、EU圏内からの移民の流入と労働組合が賃金交渉で労働時間や技能の向上など賃上げ率以外の条件を重視するようになったことをその理由として挙げている。

賃上げを巡る環境は着実に変わりつつある

しかし、これらの賃金抑制要因のうち、いくつかは緩和に向かう。企業の採用意欲が高まっており、労働需給がタイト化して、広義の失業も減少して行くだろう。景気の拡大が、圏内全体に広がったことで、高失業地域から低失業地域へのヒトの移動の勢いも鈍るだろう。賃金交渉の形が変わっても、企業のコストは上昇するため、いずれ価格に転嫁される。ドイツ連銀ではドイツの賃金上昇率は、来年にはECBの物価目標と整合的な3%に届くと予測している。

インフレ期待上昇の兆しもある。マイナス金利の導入などECBの異次元緩和が始まった2014年6月は世界的なエネルギー、商品価格の低下もあり、インフレ期待が急激に低下していた。しかし、2017年にはインフレ率がゼロ%台から1%台半ばに回復したことで、企業や家計も先行きの物価の上昇を見込む割合が増えている。

さらに生産性の回復で賃上げの余地が広がる可能性も出てきた。ユーロ圏では、世界金融危機と圏内の債務危機という2つのショックで固定資本投資の水準が大きく低下、回復に時間を要した。しかし、ここ1年余り、機械設備投資と研究開発投資などの知的財産生産物投資の勢いも加速している。資本装備率の高まりが、先行き生産性の伸びにつながることが期待できる。

ECBの2017年12月時点のインフレ見通しは、2018年1.4%、2019年1.5%、2020年1.7%と「2%以下でその近辺」という目標水準に向けた調整はごく緩やかに進むというものだった。しかし、景気が予想以上の強さを保っていることで、賃金の伸びを伴う物価の目標水準への調整スピードが、これまでの想定よりも早まる可能性が高くなってきた。

それでも2018年の利上げ開始は考えにくく、年内は純資産買い入れの終了まで、利上げ開始は2019年に入ってからだろう。ドラギ総裁は、インフレ目標への調整の進展を判断する上で、圏内の収斂も重視する方針を強調した。ようやく圏内全域が拡大方向と足並みが揃い、雇用、賃金の改善傾向も広く観察されるようになったが、まだ水準や勢いに大きなばらつきがある。ECBの緩和縮小は方向としては進展するが、緩和的な金融環境が急激に変わることはないだろう。