人型ロボット「ペッパー」の開発リーダーが誰だったのかという問題に対して、ソフトバンクロボティクスの出した通達に波紋が広がっている。写真左は通達で名指しされた林要氏(撮影:2014年、今井康一)

売上高9兆円を誇る巨大企業にしては、あまりに大人気なく、残念な対応だった。

1月23日、ソフトバンクグループ傘下のソフトバンクロボティクスは、冨澤文秀社長兼CEO名義で各メディアに異例の通達を出した。

元社員で人型ロボット「ペッパー」の開発リーダーとして知られる林要(はやし・かなめ)氏について、「ペッパーの父」「生みの親」「元開発者」「元開発リーダー」などと呼称しないように、というものだ。

「(林氏が)いかなる点においても主導的役割を果たしたり、特許を発明した事実はない」「中心的存在であったかのような印象を与えない呼称を使用してほしい」「お客様や投資家の皆様等に対して間違った印象を与えかねず、看過できない」。その内容は強い憤りを感じさせるものだった。

自社サイトに掲載していた記事を訂正

しかし、2014年8月に掲載されたソフトバンクの広報インタビュー記事に「開発リーダーを務める(中略)林要〜」といった記述がある。それは通達の後も自社サイトにアップされていた。そのことを指摘されると、同社広報は何と「開発リーダー」の記述を削除し訂正。自社で開発リーダーと呼称していた事実を「誤りだった」としたのだ。

ペッパーのお披露目以降、多数のメディアに登場し、プロジェクトの内幕を語ってきた林氏は開発リーダーと呼べる存在ではなかったのか。また、林氏はすでに2015年にソフトバンクを退社し、ロボット開発会社「GROOVE X」を立ち上げている。ソフトバンクはなぜ今になって、異例の通達を出したのか。

林氏がトヨタ自動車からソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)に転じたのは2012年4月。冨澤氏をトップとする事業推進部の担当部長として入社した。コードネーム「タロウ」として社内でも極秘裏に進められたペッパー事業における役割は、他の開発メンバーに対して経営幹部の指示を伝達すること。そしてプロダクトの評価、改善アイデアの提案だった。

まさにリーダーと思われる仕事だが、会社側が否定する背景は以下のとおりだ。

ペッパーの開発におけるすべての決定権を握っていたのは孫正義社長だった(ここから、冨澤氏は「ペッパーの父は孫社長だ」としている)。また、ロボット事業の責任者は冨澤氏が2011年10月から務めていた。さらに、ペッパー事業は大掛かりなもので、ソフトやハード(主に仏アルデバラン社が担当)、宣伝(ブランディング)など、いくつものチームが同時並行で開発を進めていた。そのため、チームごとに中心人物が存在していた。


ソフトバンクロボティクスの冨澤文秀社長(撮影:2016年5月、尾形文繁)

たとえば、主にOS(基本ソフト)周辺を担当し、アルデバランとの連携にもかかわった柴田暁穂氏や、ペッパーのデザインを担当した浦元芳浩氏。林氏の上長の立場でコミュニケーション、キャラクター、コンテンツを担当した蓮実一隆氏などが挙げられる。彼らは、後にメディアの取材にも応じたリーダーたちだ。こうした点から、ソフトバンクは林氏について「技術開発の責任者や中心的な存在ではなかった」と説明している。

それではなぜ、かつて林氏を「開発リーダー」として各メディアに紹介したのか。広報は「製品発表前からプロジェクト全体を把握できる立場にあり、メディアに正確に伝えることができる人物だったため」と、開発リーダーとして紹介したのは方便だったことを説明する。すなわち、対外的なわかりやすさを優先し、実際にはなかった「開発リーダー」というイメージ的な肩書の使用を許可したのだという。

「中心的な役割を果たしていたはず・・・」との証言も

それでも納得できない点は残る。林氏は在籍時、東洋経済の取材に対して「2カ月ごとに孫社長とのミーティングを設定し、それを目標にギリギリ達成できる範囲の課題を決めていった。今回はここまでやるぞ、と旗を振るのが仕事だった」と語っている。これはチームを束ねる進行役、プロジェクトマネジャーのような役割そのものである。

また、プロジェクトが遅れ気味だった2012年12月3日に開かれた緊急会議で、孫社長に「お前(=林氏)の情熱が足りないから、プロジェクトが動かないんだ!」、「企画を練り直せ。あさってまでに100個のアイデアを持ってこい!」などと激怒されたエピソードも明かしている。これらは開発リーダーへの発言として自然である。林氏がプロジェクトの中枢でもない社員だとしたら、孫社長はこれほど強烈な怒りをぶつけるだろうか。

林氏の在籍当時からペッパー開発に携わるスタッフはこう証言する。「ペッパーの細かなことまで決めていたという意味でリーダーは孫社長だった。ただ、冨澤さんもリーダーだし、林さんもリーダーだったと思う」。

別のスタッフは「今回のことは寝耳に水で驚いている。組織全体を把握しているわけではないが、林さんは中心的な役割を果たしていたはず…」と振り返る。実際、林氏がプロジェクト後半にアプリ開発などでリーダーシップをとっていたことについては、広報も認めている。

これらを踏まえると、林氏は技術面における開発者や責任者といった立場ではなかったが、主にプロジェクトの推進役を担う、リーダーの1人だったと言えるのではないだろうか。

通達から一夜明けた24日、(林氏が代表を務める)GROOVE Xはリリースで、ソフトバンクロボティクスの指摘通り、今後は林氏について「開発リーダー」という経歴を外した表現に統一すると発表。

林氏も自身のフェイスブックやツイッターで、「ペッパーの父」「生みの親」などと自己紹介したことはないこと、今後そのような主張をするつもりもないことなどを投稿で説明している。ソフトバンクとは対照的に、極めて冷静な対応だったといえそうだ。

開発者の流出が騒動の背景?

それでも残る謎は、なぜ今のタイミングで通達が出されたのかだ。ソフトバンク側は「GROOVE Xに何度も申し入れてきたのに改まらないため」とする。だが、この謎については別の見方もある。ペッパーの開発スタッフをGROOVE Xが引き抜く動きがあったからというのがそれだ。

現在、GROOVE Xには約60人が在籍しているが、うち3人の元ソフトバンク社員(20代〜30代)が働いている。転職時期は不明だが、中には「ロボット開発に継続的に携わりたかったため」と転職理由を語る者もいる。一方のソフトバンクは「転職はちょくちょくあるが、転職者がどこに行ったかまでは把握していない」と言う。

さらに、昨年12月には会社の広告をソフトバンクにアピールするように汐留に張り出し、同時に68.5億円もの巨額の資金調達を大々的に発表した。このとき多くのメディアが「ペッパーの父」「生みの親」などと表現した記事を配信した。

これらの記事が、1年半以上前から「生みの親」や「父」という表現を取材記者に使わせないよう、林氏サイドに伝えてきたソフトバンク側を大いに刺激することになったようだ。

GROOVE Xが開発中のロボットは、ペッパーのような人型ではなく、「人に癒し、やる気を与える」といったコンセプトを持つ。つまり、「人を楽しませる」のが得意なペッパーからは遠く離れた存在といえる。方向性がかなり違うのだが、今回の過剰とも取れる反応を見る限り、ソフトバンクは手強そうなライバルの出現を警戒しているのかもしれない。

そもそも、「ペッパーの父」などの表現はメディア側が考えたものである。それならば、父と書いたメディアに個別に説明し今後は使わないようにお願いすれば済む話だ。実際、過去には個別に要請してきた経緯もある。

ただ、「1年前に言われたのは、生みの親や父の表現についてだけ。開発リーダーについて言われたことはない。ソフトバンクのサイトにもあるくらいだから、開発リーダーは使っていいものだと思っていた」(GROOVE X関係者)。

今回、開発リーダーと書いたサイトは訂正しないまま報道各社に「使わないように」と要請する初歩的なミスを犯す結果となったが、これをソフトバンク広報の判断で行ったとは考えられない。上層部からよほど特別な強い指示があったのだろう。

元来、ソフトバンクはベンチャー気質が売りで、人員の新陳代謝も活発な会社だった。転職や独立して活躍するOB社員は多く、買収によって出戻りとなる社員もいる。そんな多様性が特徴の1つだった。だが、今回の過剰とも言える対応は、同社の変貌ぶりを表しているのかもしれない。