青い海と豊かな緑に恵まれた島で伸び伸びと育った少女が、なぜ乃木坂46を目指したのか?(撮影:梅谷秀司)

2017年にリリースしたCDシングル3枚がいずれもミリオンを突破するなど、人気沸騰中のアイドルグループ、乃木坂46。なかでも注目を集めるのが、加入して1年数カ月にしてセンター抜擢、ファースト写真集発売、ドラマ出演と活躍を見せる3期生、与田祐希だ。
小さな島で生まれ育ち、その後、瞬く間に全国区の人気アイドルになった与田は、現在のジャパニーズドリームの体現者といえるかもしれない。今、何を思っているのか。その胸のうちを聞いた。

金印で有名な志賀島出身

2017年9月半ば、シンガポールで乃木坂46の3期生、与田祐希のファースト写真集『日向の温度』の撮影が行われた。その最終日、与田と撮影スタッフは、現地のレストランに入った。打ち上げのような和気あいあいとした雰囲気のなかで、与田自身もリラックスした表情を浮かべていた。しかし食事が終わり、一段落したところで与田の笑顔が崩れた。とめどなくあふれ出す涙を、抑えきれなかった――。


昨年のツアー中、サプライズで写真集の発売が伝えられた。写真はその瞬間(写真提供:幻冬舎 撮影:前康輔)

2017年にリリースしたCDシングル3枚(『インフルエンサー』『逃げ水』『いつかできるから今日できる』)の売り上げが、いずれもミリオンを突破した乃木坂46。11月に行われた初の東京ドーム公演では2日分10万枚のチケットが即日完売し、「インフルエンサー」で日本レコード大賞を初受賞するなど、いま最も勢いのあるアイドルグループといっていいだろう。

そのなかで「次世代のエース」と期待を集めているのが、17歳の与田祐希だ。2016年9月、乃木坂46の3期生オーディションに合格してメンバーに加わった与田は、「逃げ水」で同じく3期生の大園桃子とセンターを務め、12月26日に発売された写真集『日向の温度』では初版で10万部を発行。1月スタートの連続ドラマ「モブサイコ100」(テレビ東京系)に初出演することも発表された。

与田は福岡県の志賀島で16歳までを過ごした。1784年に「漢委奴国王」と記された金印が発見されたことで教科書に載っている島である。人口1700人ほどの青い海と豊かな緑に恵まれた島で伸び伸びと暮らしていた少女が、なぜ乃木坂46を目指したのか。オーディションに合格した後、怒涛の変化のなかで何を感じていたのだろうか。


いつも走り回って遊んでいました(撮影:梅谷秀司)

志賀島で生まれた与田は、全校生徒がおよそ20人、同級生4人という小さな小学校に通った。

家には犬、猫、ウサギとヤギがいた

アットホームな学校で、与田は1年生から6年生まで一緒に遊ぶ「全校遊び」の時間が楽しみだった。


「家には犬、猫、ウサギとヤギがいます」(撮影:梅谷秀司)

小柄で細身の与田だが、学校が終わると、友達と連れ立って志賀島の海や山に繰り出してワイルドに遊んでいた。

「木登りをしたり、山登りをしたり、いつも走り回って遊んでいました。虫も毒がなければ大丈夫です。夏は、海ですね。地元の人しか知らない飛び込みスポットがあって、ひたすら崖から飛び込んでました(笑)」

与田は大の動物好きとしても知られるが、それはこの自然豊かな島と、ほのぼのとした家庭環境が影響している。

「家には犬、猫、ウサギとヤギがいます。私が生まれた時は犬1匹だったんですけど、お母さんがどんどん連れてきちゃうんです(笑)。ヤギなんて、ある日、事前に何も言わずに軽トラで運んできたんですよ。前からずっと『ヤギが欲しい』って言っていたんです。冗談かなと思っていたら、本気だったみたい。驚きましたけど、慣れたらかわいいですね」


テニス部の友人を通してアイドルに興味を持つようになった(撮影:梅谷秀司)

最初の転機は、地元の中学に進学してテニス部に入ったこと。テニス部の友人を通してアイドルに興味を持つようになった。

「テニス部はアイドルが好きな子が多くて、なかでもAKB48さんと地元のHKT48さん、乃木坂46がはやっていました。それで、テニス部のみんなで振り付けをコピーして、歌ったり踊ったりして遊んでいました」

こうしてアイドルを意識するようになった与田は、しだいにテレビの向こう側にあこがれを抱くようになった。同時に、「美容師になりたい」「パティシエになりたい」という希望を持って進路を決める周りの友人たちと比べて夢や目標がない自分に、焦りを感じていた。

そんな時に、福岡で乃木坂46の3期生オーディションが開催されると知り、「1回、挑戦してみようかな」と応募したのだ。高校1年生、16歳の夏だった。

2016年7月に募集が始まり、8月末に最終審査が行われた3期生オーディションは、過去最多となる4万8986人の応募を集めた。

「まさか受かるとは思っていなかった」

1次審査から最終審査まで、わずか2カ月弱。当初、「まさか受かるとは思っていなかった」という与田、「いい経験になるんじゃない」と余裕を見せていた両親も、とんとん拍子で審査が進むにつれて焦りはじめ、一度、「受かったらどうしよう?」と話し合ったそうだ。この時の結論が、時間がゆったりと流れる島で暮らしてきた家族らしくてほほ笑ましい。与田と両親が出した答えは「受かってから考えればいいか」だった。


とんとん拍子で審査が進むにつれて、はじめて感じた焦り(撮影:梅谷秀司)

しかし、実際には最終審査として2016年8月末にライブ動画ストリーミングプラットフォーム「SHOWROOM(ショールーム)」での配信が行われてからプロデューサーの秋元康氏らによる面接があり、見事合格。9月4日には3期生の合格者発表会見が行われ、まさに怒涛の勢いでデビューが決まったのであった。

この瞬間から「人生が変わりました」。

「乃木坂に合格したばかりの時はフワフワしてて、これは夢なのかなって、目が覚めたら普通に志賀島にいるんじゃないかなって。夢か現実かわからなかった」

夢見心地のなかで仕事が始まった。同年12月には3期生の「お見立て会」で初舞台に立ち、2017年2月には、3期生による演劇「3人のプリンシパル」の15公演に出演。5月には、3期生単独ライブ8公演が行われた。


写真集『日向の温度』を手に(撮影:梅谷秀司)

そして、冒頭にも記したように8月に発売された乃木坂46の18枚目のシングル『逃げ水』でセンターに抜擢。8月11日、全国ツアーの仙台公演中にソロ写真集の発売がサプライズ発表され、直後に撮影が始まった。

のんびりとした島での生活から180度異なる都会での忙しい毎日。あこがれていたアイドルとしての日々を楽しみながらも、心中では張り詰めたものがあったのだろう。シンガポールで撮影された写真集『日向の温度』のなかに1枚、涙を流す与田の写真がある。それが冒頭に紹介した現地のレストランでのシーンだ。

ほかの写真とイメージが違うけど、なぜ泣いているのですか? と尋ねると、その当時の心境を明かしてくれた。

「乃木坂に入ってから正直、不安もプレッシャーもあったし、戸惑うことも多かった。それでも支えてくれる人がいるから頑張ろうという気持ちで全力で走ってきて、私の気持ちのなかでは初めての写真集が一区切りだと思っていました。その撮影が本当に楽しくて、これで終わりかと思ったら、安心感と達成感、感動で涙があふれ出ちゃいました」

「島の子」らしい素顔


デビューから1年数カ月にして、インタビューの受け答えや撮影時の表情、振る舞いはアイドルそのもの。そのプロ意識が次世代のエースと言われるゆえんなのかもしれない。

そうは言っても、まだ17歳だ。インタビューの最後に、志賀島を駆けまわって育った「島の子」らしい素顔をのぞかせた。

「もし何の予定も入っていない完全なオフがあったら、遊園地に行きたい。ジェットコースターとか絶叫系が好きなんですよ。バンジー(ジャンプ)も飛んでみたい。そういう体を張った仕事も楽しそうですよね(笑)」