なお、この試合は互いに相手をロープに振ることをせず、グラウンドの攻防に終始するという、のちのUWFを彷彿させるものであった。

 それから半年後の10月4日、蔵前国技館における再戦は「実力世界一決定戦」と銘打たれ、ようやく猪木が初勝利を飾る。しかし、これも場外でジャーマンを放ったゴッチより早く起き上がった猪木が、リングに生還したというリングアウト勝ちであった。
 この試合ではゴッチが、キーロックをかけた状態の猪木を片腕で持ち上げ、コーナーまで運ぶという有名な場面がある。それから6日後の大阪大会では、再びゴッチがキーロックを仕掛けた猪木を持ち上げ、上から抑え込んでのフォール勝ち(エビ固め)。

 結局、ゴッチと猪木のシングルマッチは計5戦が行われ、ゴッチの3勝2敗となっている。また、ゴッチはレスラーとして以外に、コーチとしても新日の基礎を築いている。
 「藤波辰爾のドラゴン・スクリューやドラゴン・スープレックスがゴッチ直伝ということは知られているが、ゴッチ流のトレーニングに否定的だった長州力も、実は、デビュー当時から使うサソリ固めをゴッチから教わっています」(同)

 のちのUWF系の選手たちだけでなく、キラー・カーンなど初期の新日に在籍したほぼ全員が、ゴッチの薫陶を受けている。もしゴッチがいなければ、日本のプロレス界は今とはまったく異なる色合いになっていたに違いない。