その頃のことを、NHKの元アナウンサーでもあった二女・美恵子は、次のように蔦子から聞いている。
 「母にとってはまさに“寝耳に水”のことでしたが、それまでの父は、自分の考えを他人の意見は聞かずに独断で進めてしまうことがたびたびだったので、文句を言う間もなかったようです。その最初の選挙のとき、兄(弘文)が1歳、姉がお腹にいて投票日は臨月だったのです。そんな具合でしたから、母にとっては凄絶な選挙戦を余儀なくされたといいます。
 大きなお腹を抱え、一方で兄のオムツを取り替えながら、その間をぬって支援者へのあいさつ回り。しかし、こうした“政治家の妻”は母にとってはいかにも不本意だったでしょうが、一方で、父の仕事をなんとかまっとうさせてやりたいということで、そうした中での選挙の手伝いもできたのだと思っています」

 昭和22年4月のこの総選挙で、中曽根は蔦子の献身も手伝ってトップ当選。その後は異名「風見鶏」全開の“政界遊弋史”を刻んでいくことになるのである。
=敬称略=(この項つづく)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。