安倍首相は常に国際社会をリードすると言う。だが、日本はこのままでは極端に言えば「テロ国家と言われかねない」。ぐっちーさんは警鐘を鳴らす(撮影:尾形文繁)

ちょうどこの原稿は「年末発行、正月マタギ」というすばらしいタイミングで配信されます。こういう2017年と2018年の二股をかけたようなスケジュールで記事が出されるなんて、見たことも、まして書いたことがないので非常におもしろいですね。みなさま、良いお年を、と明けましておめでとうございます、が同時に載る、非常に珍しい記事となりました。

ということで、ワタクシは、「実業家かつエコノミスト」という、ほかの方にはあまりない立ち位置でものを書いているわけですが、2017年にできてきた大きな流れのうち、間違いなく2018年もその流れが続いていくものを、2つ挙げておきたいと思います。

2018年に知っておくべき「2つの大潮流」とは?

どなたが書いても2017年はアメリカのドナルド・トランプ大統領や、サウジアラビアなどになってしまうのでしょうが、私はちょっと経営者らしく行ってみたいと思います。

2つとも重要ですが、まずはこちらから行きましょうか。このことは間違いなく経済、社会システムに大きな影響を及ぼしますし、実際の皆様のビジネスもこれらの動きとは無縁ではありません。

幸い、というか不幸なことなのですが、これらはわたくしがホームグラウンドにしているアメリカ西海岸あたりから比べると、日本は軽く10年は遅れています。ですから、日本でやるなら今からでも十分キャッチアップできると思います。ただ、世界を相手にする大企業レベルにおいてはその意味で勝負付けは終わってしまっているので、日本企業は正直もう遅い……ような気がしてます。それは何かと言えば、

脱炭素 Decarbonizatoin

です。私は東日本大震災のあった2011年3月の以前から、ご縁があって東北と仕事でかかわり、震災以降はまさにフルコミットメントとなりました。

基本的にエネルギー効率が悪く、冬が寒い東北において特に必要性を感じたことがあるとすれば、それは当時すでにアメリカで動き始めていた脱炭素。当時、私が書いた論文や書いていた記事を改めて読み返してみると、すでに「脱炭素こそ、これからの経済活動のキーワードとなる」、とあちこちで書いていますし、実際にそれを実行する会社をアメリカにいくつか設立し、いずれも大成功を収めていますから、思った通りの展開になっていると言えましょう。

脱炭素から遅れ、代替エネルギーに終始する日本

これはもう、先日のCOP23(国連気候変動枠組み条約第23回締約国会議)のお話をするまでもなく、ちょうど震災のあった2011年、すでに世界では抗いがたい潮流として「脱炭素」という方向性が確立したといっていいでしょう。

非常に残念だったのは、日本では原発被害が極めて大きかったために、エネルギー問題がともすると代替エネルギー問題に取って代わられてしまい、「原発がなくなったらどうすんねん」、「太陽光だけじゃ足らんだろ」……的な矮小な議論に終始していったことです。

当時はすでに脱炭素、つまり代替エネルギーの開発も含めて、そもそも炭素を燃やさないためにはどうすればいいか、という方向性が定まっていて、世界中の最先端の技術がそちらに向けて全精力を傾けていったにもかかわらず、日本では後者の議論がいまだにほぼゼロ、というのが現状です。現状だけでいうと、対中近東に毎年3兆円以上の「油代」を払いつつ、化石燃料を燃やし続け、じゃぶじゃぶと油を流しているというのが日本の姿で、そこには将来の日本のエネルギー問題そのものをどうするか、という問題意識はゼロに見えます。

実は日本では脱炭素、と私が言うといまだに「なんですかそれ?」 と真顔で聞いてくる大手企業幹部が日本には多数いるのが現実なわけです。代替エネルギーならわかる(太陽光とか風力でしょ? とすぐ答えが返ってくる)。しかし、脱炭素なんて考えたこともないんですね。

私が当時から書いているように、脱炭素に真面目に取り組んでいない企業はすべての面で(資本、消費、人材あらゆる分野で)取り残され、数年中に「環境テロリスト」と呼ばれるようになるでしょう。北朝鮮が「核拡散テロリスト」なら、それと同等、もしくはさらに悪いと見られかねない「環境テロリスト」が今の日本なのです。「いや、違う!」といっても仕方がないんです。北朝鮮と同じように世界からそう見られているという厳然たる事実があるのですから、違うなら、「違う!」ときちんと反論せねばなりませんが、どうにもできません。

先ほどから申し上げているように、日本は2011年にあの大震災があったのですが、そのショックはむしろ海外で真剣に受け止められ、ドイツは福島原発の大事故を目の当たりにして原発を止めにかかった。原発推進派だったアメリカ、中国でさえも原発は危ないと考えはじめ、自然エネルギーに大きく舵を切る。

その時に日本は、原発を止める代わりに、石炭火力発電にも目を向け、「燃焼効率のよい日本のガスタービンを使えば30%もエネルギー効率を上げることができる!」などとやって、今でも経済産業省の事実上のバックアップで、世界中に火力発電用ガスタービン発電機などを売ろうとしています。

潮流を読めない日本の大企業が、けちょんけちょんに

これが世界の笑いもの(怒りの対象)になっているわけです。「世界中でどうやって化石燃料を燃やさないですまそうか、と考えているのに、今さら石炭火力発電機などを売っている場合じゃない。どうやったら『脱炭素』を達成できるのか本気で考えろ」、と今回のCOP23では、日本企業はけちょんけちょんに叩かれました。

世界中で炭素を燃やすことはやめよう(中国でさえ5年で800基以上も予定していた石炭火力発電の増設をストップしているし、フランスも石炭発電所の全廃を発表しています)と舵を切っている時に、その石炭を燃やすパワープラントを輸出促進しようとしているのは誰だ、と名指して非難されました。

また、COP23が始まる前は多くの日本大企業の幹部が「環境問題で進んでいる日本の技術を活用してもらえば世界に貢献できる」などとテレビで語っていましたし、特に重電機メーカーの役員は、世界中の石炭火力発電機を日本製のガスタービンに変えればエネルギー効率を30%以上上げられる、と胸を張っていました。

繰り返しますが、世界中が石炭を燃やすことをやめようとしているときに、まだましなものがある、と言ってこれを推進するのはこれこそ時代錯誤、下手をすると詐欺師、と言うべきでしょう。世界の評価は「日本は技術力があるのに、なぜ脱炭素にその技術を活用しようとしないのか」ということであり、この総会でも実際に世界中から非難が集中。脱炭素における「周回遅れのランナー」と呼ばれました。つまり、日本はいまだにガスタービン重電機を売りまくる「悪の商人」……でありまして、言い方はよくないかもしれませんが、核拡散に走る北朝鮮と「2大悪」と呼ばれる日も、そう遠くないかもしれません。

実際に、この時のドキュメンタリーをNHKが放送していて、意気揚々と日本のエネルギー節約技術を世界中にプレゼンしようと乗り込んでいった某企業の幹部が、「日本はそんなことをやっている場合ではないのではないのか、どうして脱炭素に本気で取り組まないのか」、とやり込められ、半泣きになっている姿は印象的でした。

アメリカから日本に帰ってきてみると、多くの日本人が「日本の環境技術は進んでいる」と勘違いしているのにびっくりします。実際われわれは、日本でも岩手県・紫波町の「オガールプロジェクト」で断熱技術を多用した脱炭素体育館を作りましたし(エアコンの実働は年間10日にも満たない)、今その断熱技術を駆使した住宅の販売に力を入れているところです。

しかし、いざ、まずはエネルギーを使わない、断熱技術を取り入れた住宅を作ろうとしても、モデルになるようなものは皆無です。すべてゼロから地元の工務店の方がアメリカや欧州で手弁当で学んできて、それを試行錯誤しているのが現状なのです。まともな比較基準すらありません。

それはそれで紫波町の工務店の将来のビジネスキラーコンテンツになるので、喜ばしいことではありますが、これだけ世界の流れがはっきりしているのに、住宅建材としては最もエネルギー効率の悪いアルミサッシを売りまくっている日本の大手建材メーカーや、それを多用する大手住宅メーカーは「世界の環境テロリスト」、として名指しされる日もそう遠くないかもしれません。

というか、なぜ技術も資本もある彼らこそ、先頭を切ってやろうとしなかったのか(少なくとも2011年の時に始めていれば今頃世界トップシェアを占めることはそれほど難しくなかった)不思議でなりません。ワタクシのような中小企業の社長にでさえこの潮流の変化は明らかで、わざわざリスクを取ってアメリカで事業を始めたくらいですから、多くの駐在員をアメリカに送っている日本の大手企業にとって取り上げるには極めて容易いテーマだったはずです。しかし、今でもまだ「勘違い」している人が多い、というのが日本の現状です。

今や「省エネこそが、大きな利益を生む時代」に

例えばワタクシがこういう話をすると「うちの本社および事業所はすべてソーラー発電をやっておりまして……」と胸を張る1部上場企業の社長がたくさんおられるわけです。「では、御社の物流や営業などの自動車なども含め全体的なDecarbonizationをどうされていますか」、と伺うと、何を質問されているかすらわからない、というケースがほとんどで、脱炭素=自然エネルギー開発、という狭い思考回路に拘泥しています。

ここでは、「ランニング」という視点(使うものと生み出すもののコストとプロフィットのバランス、つまり収支)という視点がすっぽり抜け落ちてしまっており、省エネ、しかも今までやったこともないようなレベルまでやらないと、この再生エネルギーの初期投資は間違いなく赤字になる。そうするとカネがかかるから、やっぱり再生エネルギーはだめね……となるのが、日本企業のこれまでの悪循環なのです。

実は断熱などの省エネは、すぐさま光熱費の減少という形で「おカネになる」ので利益につながり、まさに先のNHKのドキュメンタリーでウォルマートの幹部が言っていたように、これ(省エネ)こそ、大きな利益を生むための投資だ、ということが全く理解できていない、と言えましょう。再生エネルギーに投資ばかりしていても、企業としては収支があわないです。

先ほど書きましたように、こうした脱炭素(Decarbonization)を目に見えた形で達成していない会社はここ数年で間違いなく世界の市場から追放されます。市場からの締め出しはおろか、資本も集まらず、あっという間に「テロリスト企業」というレッテルを張られます。ビール会社から自動車会社に至るまで、日本の大企業は急いで取り組まねば、世界の市場から追い出される、ということだけははっきり申し上げておきます。「トヨタ自動車のプリウスがエコだ」、なんて言っているうちに、世界はさらにその先に向かっていることをくれぐれもお忘れなきよう……。

さて、もうひとつのキーワードをご紹介しましょう。

脱工業製品

です。ちょうどわたくしが1960年生まれなので、私が育った高度成長期1970年代というのは、大手工業製品にすべてが飲み込まれる時代でした。大手スーパーの進出により、個人商店はことごとくつぶされ、零細個人企業による丁寧な手工業は豆腐、パン、肉・魚、野菜に至るまで消費者から見放され、つぶされていったという時代でした。

今からすると信じられませんが、味も安全性も何から何まで、今の時代に引き直して、極端に言えば「山口商店」よりも「イオン」など大手の商品に信頼があったわけです。そういう時期が長く続きましたが、これも、流れは今や大きく変わりつつあります。

大手スーパーの「工業製品」を、まだ買いますか?

つまり、近所のパン屋さん、お肉屋さん、魚屋さんなどが消えていき、すべて大手スーパーに取って代わられて、そこで売られるもの、というのは全国規模で工業製品として売られるため均一で値段が安かったため、高度成長期に庶民は殺到したわけです。

たまに端っこが焦げたりしている近所の手作りのベーカリーのパンは消費者に「不良品」呼ばわりされて消えていき、家庭で食べるパンはすべて大手企業が工場のラインが作り出すもので、それが良いものだ、と消費者が信じていたのです。

ワタクシの母親などが典型例で、近所のパン屋であんパンを買うと「衛生状態が悪い」、とひどく怒られ、「ヤマザキパンのあんパンを大手スーパーで買いなさい」、と指導されたと言います。近所のお肉屋さんのメンチカツもアイスクリームも、衛生状態が悪くて危ないので食べてはいけない。そしてそれらはテレビで大々的なコマーシャルを打つことができる大手の食品加工企業の商品に取って代わられていったわけです。

それが最終的にコンビニという形まで行きついたのが現在なわけですが、これも世界の最先端では、すでに変化をしています。少なくともアメリカ西海岸でまともな人(ある程度以上の学歴があって字が読める人)で食品を大手のスーパーで買う人は、ほとんどいません。要するに「何が入っているのか不明な工業製品を口の中に入れる不安」が急に浮上してきたわけです。そりゃそうです。あれは食品というより、極端なことをいえば、化学製品や工業製品に近いですからね。

今日本でも、近所のブーランジェリー(パン屋さん)が朝しっかり焼いているフランスパンが、普通のスーパーで売っているフランスパンよりも2割高いとして、果たしてみなさんはどちらをお買いになりますか?

また、スーパーのハム売り場の100g80円のソーセージと、近所のお肉屋さんの手作りソーセージ(100g200円くらい)とどっちを、お子様に食べさせたいと思いますか?もちろん、街の個人商店が、すべて素晴らしい商品を供給しているという保証はありませんが、素材にこだわっている商店はその店主を見ていればわかりますよね。(余談ですが、スーパーで売っているハム、ソーセージの単価は、同じグラム数の豚肉を買うより安いことを「変だ」、と思わないとすると、あなたは相当毒されてます)。

はたまた、おばちゃん二人で手作りでおつまみを出しているカウンター居酒屋と大手の居酒屋チェーン(おそらく3割は安い)と、どっちで酒を飲みたいですか?

時代は、手工業に戻ってきている

こうやって聞いてみると、結構答えは明らかですよね。

そうです。時代は明らかに脱工業製品へ向かい、手工業に戻ってきているのです。特に食品については工業化が行き着いた挙句に、人体に危ないものが入っている、という事実が白日の下にさらされたわけです。一体誰が何を使って作っているのか……がはっきりしないものは危ない(当たり前の話なのですが)と、改めて思ったわけですね。

ワタクシのようなところまで行くと、極端かもしれませんが(基本的に口にいれるものは野菜にせよ、肉にせよ作った人がわかっている)、しかし、ワタクシと同じような希望を持っている人は本当に多いのです。実際、アメリカだとニューヨークのような大都市でも、朝どれのチキンを夕方に持ってくるような農業者が、たくさん存在します。

日本はこの点でもまだ遅れているのは明らかで、それは農協という巨大な組織があるのが一つの大きな理由でしょう。

農協や大手スーパーなどの供給する商品をすべて否定しようというものではありません。しかし、ここは、もう個人消費者が自分で考えて立ち上がるしかないわけで、消費者が人体に悪影響を及ぼすようなものが入っているような食品を買わない、と決めればいい。

その最大のアンチテーゼを提供したのが、われわれが紫波町のオガールでやった、「紫波マルシェ」だった……と言ったら、わかりやすいでしょうか。人口約3万人の東北の田舎、といえども、そういうニーズを集めれば100万人もの人が集まっておカネを落としてくれる、という現実がそこにはあるわけで、逆に言えば「工業製品の食」に対する不安は、それだけ大きいということになります。

これは食だけではありませんね。わかりやすいのが食ですが、衣食住、あらゆるものの消費者の価値観が変わっているといっていいと思います。

衣でいえば、大手チェーンのスーツと、ご近所のテーラーのスーツ(おそらく3割は高い)とどっちがいいですか、という話ですし、食は今見てきた通りですし、住についてもエアコンかけまくりでエネルギーを垂れ流すナンジャラハウスの住宅と、ほぼ光熱費がゼロで済む断熱住宅(坪単価では、建築費が1-2割ほど高くなります)とどっちがいいですか、という点については、皆様の答えはかなり明確になっているのではないでしょうか。

テレビ局の方には申し訳有りませんが、テレビCMをガンガンやっているほうがかえって「怪しい」と皆様はすでにお考えのはずです(民放の朝と深夜のコマーシャルは、あやしげなものに取って代わられてきています)。今はまだ流している大手メーカーも、下手なテレビCMをやっていること自体が売り上げを下げる可能性があることに早く気付くべきでしょう。

そもそも、そんなに良くて売れるものならCMなんかしなくていいわけですが、大手の場合は、巨額の設備投資を回収せねばならないので、大量に売る必要があるわけでして、夫婦2人でやっているようなパン屋さんであれば二人で食うのであれば50件のお得意さんがあれば十分でしょう……。

こんな時代がもう来ているわけです(このあたりの経済メカニズムについては、有料サイト以外での、ワタクシの代表的な「2枚看板」のもうひとつの媒体である「アエラ」の最新号で、「パンダの行列」を例に取り上げていますので、そちらもご覧ください)。

モノ余りの時代、決定権を持つのは消費者に

作る側だけではありませんよ。今や工業製品を持っている人だって、「テロリスト」なんですよ(笑)。できるだけ、ハンドメイドのものを長く丁寧に使う、という昔ながらの日本人の生活を、ついに世界中が取り入れ始めているといっていいのです。

その意味ではこの流れは膨大な供給設備をすでに保有している大手企業にとっては死活問題ですが、大手企業をやめて個人商店をやるような方にとってはまたとないチャンスです。今まではそんなことできませんでしたからね。ただし、当たり前ですが、本当に価値のある良いものを作る必要があるわけです。しかし、それさえできれば個人が自由に生きていける、まさに「労働革命」の時代がすぐそこまで来ている。どうせおカネを使うならそういう動きを助けてあげる、というのもありだ、とワタクシは思います。いずれにせよ、二つ目の大きな流れは脱工業化なのです。

そしていずれの潮流も、みなさま、つまり消費者が決定権を持っているという点が重要です。客単価で1人1000円の店がばたばたとつぶれ、一方で3万円も取るレストランが半年先まで予約が取れない……という現象の本質は、実は所得格差の問題ではありません。むしろそれは、消費者が自ら選んだ結果、であって、この辺りを見定めることが今後のビジネスにおける成功のカギと言えるのではないでしょうか。