ブラジルに1対3で敗れた日本には、どのような表現がふさわしいだろう。

 勝負を分けたのは前半だ。

 10分の失点は『VAR』が引き金となった。ビデオ・アシスタント・レフェリーが明るみにした吉田麻也のプレーは、PKに相当するものだった。

 ロシアW杯でVARが導入されれば、同種のジャッジに遭遇することがあるかもしれない。授業料としては決して安くなかったものの、ネイマールのPKはひとまず納得するしかなかっただろう。

 17分の2失点目は、井手口陽介のクリアをマルセロに蹴り込まれた。左利きの彼が、ペナルティエリア外から右足で弾丸ショットを突き刺すとは! ブラジル代表でもレアル・マドリーでも、なかなかお目にかかれるものではない。

 問われるのはここからである。

 2対0は不安定なスコアと言われる。2対1になれば、1点差に詰め寄った相手は勢いを増す。試合の行方は分からなくなる。

 裏返しに考えれば、0対2とされた相手も希望を抱くことはできる。

 11月10日の日本はどうだったか。

 ブラジル相手に0対2とされて、希望を持ち続けるのは難しいかもしれない。それにしても、前半の残り時間は躍動感に乏しかった。鋭利なナイフのごときカウンターを見せつけられ、ついには36分に3点目を失ったことで、推進力もパワーも失ってしまった。

 あったのは戸惑いである。どこでボールを取りにいくのか。キックオフ直後のように、前からいくのか。カウンターへのリスクマネジメントも含めて、ブロックを作るのか。フィールドプレーヤーの足並みは様々な意味で揃わず、チーム全体が後傾姿勢のまま前半が終了してしまった。

 果たしてそれは、ブラジルをリスペクトした結果だったのか。あるいは、慎重な戦いを心がけたからなのか。それとも、勇気に欠けていたのか。

 どれかひとつが正解ではないだろう。どれも真意であり、どれも敗因である。

 ここまでアジア相手の公式戦とテストマッチを繰り返してきた日本にとって、久しぶりに体験するトップ・オブ・トップとの激突だった。戸惑いが生じてもおかしくないが、負けても失うものはない。トライをしてエラーをして、チームと個人の現在地を知るのがこの試合の目的である。

 そう考えると、リスペクトが消極性に結びついたのは否めず、慎重さが大胆さを上回り、勇気あるトライが消え失せていった印象は否定できない。ここでいうトライとは、ボール保持者の仕掛けだけではない。ボール保持者をサポートする動きや追い越す動きも含む。つまりはゲームに主体的に関わっていく姿勢である。

 後半は内容が改善されたものの、ブラジルが意図的にペースを落としたことは見逃せない。槙野智章のヘッドで一矢を報いたのは評価できるが、相対的に「もったいない」印象を拭えない一戦だった。

 それにしても、ブラジルの壁は厚い。彼らの背中は遠い。

 チッチ監督就任後のブラジルについて、ハリルホジッチ監督は「全員がハードワークする。守備でも規律を伴っている」と話す。日本代表監督の見立てに同意しつつ、「ブラジルはブラジルだ」との思いを個人的には強くする。

 ブラジル代表選手も、予想外の局面に立たされることはあるはずだ。ところが、彼らは慌てない。ボールを失わない。それどころか、局面を切り開いていく。自分が持っている技術を、相手の意図を覆すために使うことができている。

 サッカーはミスのスポーツと言われるが、日本戦のブラジルはどれだけのミスをしただろう。致命的なミスはなかった気がする。それが、王国の凄みというものなのだろう。