仏紙がハリルを直撃! リール監督時代の“最高の思い出”は中田英寿も出場した一戦

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地元紙のインタビューで、リール監督時代の思い出を語る

 日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督は、10日にフランスのリールで行われるブラジル代表との国際親善試合で、地元への凱旋を果たす。

 1998年から2002年まで指揮したリールでの手腕が認められ、その後パリ・サンジェルマンやコートジボワール代表などを率いるキャリアを築いた原点に戻ってきたハリル監督は、リール時代の最高の思い出に01-02シーズンに元日本代表MF中田英寿氏が所属したパルマをUEFAチャンピオンズリーグ(CL)予選で撃破した大番狂わせを挙げていた。フランス地元紙「La Voix du Nord」の取材に応じて語っている。

 指揮官としての名声を高め、自宅も構えているリールで、ハリル監督は「街で人々に会うたびに、“ありがとうバヒド”と言われるんだ。我々は多大な努力を重ねた。クラブを救ったも同然なんだ」と語る。

 ハリル監督が就任した時のリールは、フランス2部リーグを戦っていた。だが、1999-2000シーズンに2部で優勝し、4年ぶりに1部復帰に導くと、ハリル監督は翌年3位に躍進させる手腕を見せつけた。

「我々は嘆くべきコンディションで努力した。だが、あのグループの魂は偉大だった。私がクラブを離れた時には、平均観衆は1万8500人になった。来た時は2000人だったのに。リールの成果、選手の振る舞い、新しいスタジアムを建設する政治家の決断は素晴らしかった。そこに感謝したい。ファンにふさわしい環境になった。今のリールの強化資金が当時なかったことが私は残念だ。バヒド、残念!」

「キャンプ中のパルマを私はスパイしたんだ」

 陽気に振る舞うハリル監督だが、リールを率いた4年間での最高の思い出を問われると、中田氏が背番号10を付けて君臨した当時のパルマを撃破した試合を挙げた。

「最も重要な試合? それはパルマ戦とチャンピオンズリーグのマンチェスター戦だろう。開幕前にアオスタ渓谷でキャンプをしていたパルマを、私はスパイしたんだ。私は彼らを物陰から観察していたんだよ」

 01-02シーズンのCL予選で、リールは当時イタリアの強豪だったパルマと対戦した。当時のイタリア代表DFファビオ・カンナバーロ、アルゼンチン代表MFマティアス・アルメイダ、フランス代表MFヨハン・ミクーら錚々たるメンバーを擁し、カップ戦で絶大な強さを示した強豪だった。そして、イタリア北西部のアオスタ渓谷で話題の中心は、前シーズンにASローマの優勝に貢献し、当時のアジア人史上最高額の33億円で移籍してきた背番号10“NAKATA”だった。

 2部から昇格2年目のリール相手に楽勝が予想されたが、個人能力で優れる当時のレンツォ・ウリビエリ監督率いるパルマを厳しい「デュエル」と豊富な運動量で押さえ込んだ。ハリル監督が極秘裏に展開したスカウティングが奏功し、リールは見事強豪を2戦合計2-1で撃破。CL初出場を果たしたという。

「我々はフットボールの歴史に足跡を残した」

 そしてCL本戦ではマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)、デポルティボ・ラ・コルーニャ(スペイン)、オリンピアコス(ギリシャ)と同組になり、3位に終わった。そして、“夢の劇場”と呼ばれる敵地ユナイテッド戦も、ハリル監督にとって大きな達成になったという。「マンチェスターのオールド・トラッフォードでの試合は格別だった。ベッカムはチーム全員よりも高給だったんだ。我々は終了寸前にシュートが2回ポストを叩いたが、負けたんだ」と振り返ったという。

 ロッカールームに戻った選手の表情には、充実感が漂っていたという。

「あの日、我々はフットボールの歴史に足跡を残したんだ。試合には負けたが、ね」

 当時無名だったチームだが、キャプテンのDFパスカル・シガンはアーセナルに移籍。MFブルーノ・シェイルもリバプールに売却するなど、選手もステップアップを果たした。リールに隆盛をもたらした英雄として凱旋したハリル監督は、名門ブラジル相手にどんなタクトを振るうのだろうか。

【了】

フットボールゾーンウェブ編集部●文 text by Football ZONE web

ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images