――アッと言わせましたね?

「いやぁ〜、僕が『アッ』と言っちゃいました」

 2007年のグランプリ、GI有馬記念(中山・芝2500m)。9番人気と人気薄のマツリダゴッホを勝利に導いた主戦の蛯名正義騎手は、レース後の勝利インタビューで少しおどけてそう語った。


2007年の有馬記念を制したマツリダゴッホ

 ウオッカ、ダイワスカーレットという、この年の競馬シーンを沸かせた牝馬2頭を相手にしての堂々の勝利だった。

 前走のGI天皇賞・秋、府中(東京競馬場)の芝2000mでは15着と惨敗を喫した。だが、舞台が中山に替わると、まるでそれが”なかったこと”のように、圧巻のパフォーマンスを披露したのだ。

 本当に不思議な馬だった。

 この頃から、誰が言うともなく、マツリダゴッホは「中山マイスター」と呼ばれるようになった。

 中山コースが得意な”中山巧者”なら、条件馬を含めて他にもたくさんいる。しかし、「マイスター」と敬意をもってその巧者ぶりを称えられるのは、マツリダゴッホしかいない。

 27戦10勝、うちGI1勝。その成績は、A級馬のものとしては物足りない。ところが、これが中山に限れば、13戦8勝、2着1回、3着1回、着外3回(うち1回は落馬による競走中止)。しかも、8勝のうち6勝は2007年の有馬記念を含めて重賞だ。

 A級馬として相応しい実績と言える。彼にとって、中山はまさに”庭”だったのである。

 その庭で、とりわけ強さを発揮したのは、GIIオールカマー(中山・芝2200m)。2007年から2009年まで3連覇という、歴史的な快挙を成し遂げた(※)。
※平地の同一重賞3連覇は他に、セカイオー(鳴尾記念/1956年〜1958年)、タップダンスシチー(金鯱賞/2003年〜2005年)、エリモハリアー(函館記念/2005年〜2007年)と、マツリダゴッホを含めて計4例あるのみ。

 この3年間にわたる3度のレースで、マツリダゴッホはそれぞれ違う競馬を見せて勝利を飾った。

 2007年はちょうど中団あたりを追走し、斤量59kgを課せられた2008年は一転して道中2番手につけ、そして2009年はなんとハナを切って逃げた。

 ただ、そんなふうに道中の位置取りは違ったものの、勝ち方はいつも同じだった。4角手前からスパートして、直線ではいち早く先頭に立ち、そのまま押し切るという競馬だ。2007年の有馬記念も、この競馬でダイワスカーレットを1馬身4分の1退けた。

 マツリダゴッホの強みは、中山コースではどんな展開になろうと、こうすれば勝てるという”勝ちパターン”を持っていたことだろう。いや、もっと言えば、馬自身がそれを知っていたからではないか。おそらくそれが、マツリダゴッホを「中山マイスター」にした一番の理由に違いない。

 そのマイスターぶりを最後に見せたのが、2009年のオールカマーだ。

 この年、マツリダゴッホは不調のどん底にあった。休み明けのGII大阪杯(阪神・芝2000m)では、武豊騎手が騎乗して12頭立ての7着(2番人気)。続くGII札幌記念(札幌・芝2000m)は、横山典弘騎手が手綱を取って16頭立ての9着(2番人気)に沈んだ。人気を背負いながら、2戦続けて掲示板に乗ることさえできなかったのだ。

 迎えたオールカマー。

 調子は決していいとは言えなかった。年齢的な衰えも見えていた。ファンもそのことを敏感に察知していたのだろう。オールカマーでは過去2年、断然の1番人気が定位置だったが、初めて3番人気に甘んじた。

 レースは、鞍上の横山典騎手の”ひらめき”によってハナに立った。大外15番枠からの内へ切れ込んでの逃げは無謀とも思われた。

 だが、そんな心配をよそに、マツリダゴッホは快調に逃げる。競りかけてくる馬もいない。やがて、4コーナー手前――。

「中山マイスター」が、底力を発揮する。

 いつもの場所からスパートすると、あとは後続に影も踏ませることはなかった。終わってみれば、2着ドリームジャーニーに2馬身差をつける完勝だった。

 レース後の勝利騎手インタビューで、横山典騎手はこう言った。

「馬が(コースを)よく知っていますよ。勝負どころで、自分からスッと上がっていきましたからね」

 マツリダゴッホはその後、天皇賞・秋、有馬記念に出走。いずれも見せ場なく敗れて引退した。

 この年のマツリダゴッホは、5戦してオールカマーを除く4戦はすべて惨敗を喫している。にもかかわらず、3連覇のかかったオールカマーだけは勝った。

 やはり不思議な馬である。

 でも、だからこそ「中山マイスター」、それでこそ「中山マイスター」なのだと思う。

 今週末には、そのオールカマー(9月24日)がある。 そして、今年も思い出すのだろう。ちょっと変わった名前の、中山では滅法強かった馬のことを。

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