横綱の真っ白なしめ縄のルーツは白黒?最高位が横綱と呼ばれる理由もご紹介

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大相撲の最高位が横綱と呼ばれる理由

2017年の大相撲九月場所は3横綱が休場という異例の事態になってしまいました。4横綱時代に突入した矢先の相次ぐ休場とあって、ニュースなどでも大きく取り上げられています。

大相撲の象徴的な光景といえばやはり、横綱の土俵入り!大きな力士達のなかでもひときわ立派な横綱が真っ白なしめ縄を締めて登場すると、国技館は大きな歓声に包まれます。

撮影:芳川末廣

現在「横綱」というと番付最高位の力士のことを指しますが、本来は階級のことを指す言葉ではありません。相撲行司の家元・吉田司家(よしだつかさけ)から、特別なしめ縄「横綱」を締めることを許された、力量抜群の大関のことを指した言葉です。

本場所の番付に「横綱」という表記が登場したのは1890年の西ノ海という力士が最初で、その約20年後にようやく横綱が最高位であるということが成文化されたのだそうです。

特別な綱は大阪で発祥!?

そんな特別なしめ縄「横綱」の起源には諸説あるのですが、今回は大坂の白黒縄説をご紹介します。

さかのぼること1700年代後半。当時の大坂で行われていた相撲興行を中心に、白黒の綱をより合わせた綱を締める飾りが流行していました。同時期、寛政期の江戸で行われた大相撲興行では、相撲が神事と結びついていることを主張するため、神道の儀礼と関連付けて力士たちを厳かな雰囲気で飾ろうという仕掛けがいくつか考案されました。そこで、大坂で流行していた白黒の縄がヒントとなったのです。

大坂では白黒だった綱を江戸では真っ白な縄に変え、神社の聖域を表す紙垂をぶら下げることで、ただの綱ではなく「しめ縄」をイメージさせることに成功。神聖な「横綱」を締めた力士はすごい!というアピールとなったのだそうです。

この横綱を締める資格を与えられた最初の力士は谷風と小野川。1789年のことでした。二人の力士は真っ白なしめ縄を締めて人々の前に現れ、厳かな様子で土俵入りをしたのです。この斬新な演出は大評判を呼び、相撲の格式が一層高まることとなったのでした。

「横綱」のしめ縄や土俵入りの演出を考えたのは、先ほども登場した吉田司家でした。相撲の歴史と伝統、格式が強調されたことで、人々はよりいっそう相撲観戦に熱中したようです。

現代においても、厳粛なムードに包まれて何やらありがたい気持ちになる横綱土俵入り。江戸時代に考案された巧みな演出術は、時を経た現在も健在です!