江戸時代と灯り…あんどんが「行灯」という漢字になったのはなぜ?

写真拡大 (全4枚)

江戸の夜を照らしたもの

爽やかな秋晴れが続いて朝晩も涼しくなってくると、日の入りも早くなってきます。様々な照明器具がある現代では、夜でも明るく過ごせます。電灯はもちろん、石油ランプもない江戸時代。人々は何を灯りにして過ごしていたのでしょうか?

江戸の人々の夜を照らしたものの一つが行灯。行灯とは、油皿に灯芯を浸して火をつけ、障子紙を張った枠で覆ったもの。浮世絵にも数多く登場しています。

歌川国貞「江戸名所百人美女-千住」

油売りや灯芯売りが活躍

当時は、入手しやすい油を灯火用に使っていたそう。エゴマのタネを絞った荏の油や菜種油などの植物油を使ったり、鯨油(げいゆ)やイワシを絞った魚油を使うこともありました。魚油は、臭いがかなりきつかったそうですが、なんせお値段が植物油の半分以下だったので、低所得の庶民に重宝されました。

鈴木春信「座敷八景 あんどんの夕照」

明かりのもととなる油の調達先は、道行く油売りでした。油売りは担いでいる桶から油さしに油を移し、さらに客が持ってきた容器に入れるので、しずくがきれるまで時間がかかったのだとか。油を移し替える間、油売りは客と世間話をしていたため怠けているように見えたことから、油を売るという言葉ができたのです。

油売りとはまた別に、灯芯売りもいました。灯心とは、明かりを灯すために燃やす芯のこと。灯芯には紙をよったこよりや木綿の糸のほかに、藺(い)といういぐさ科の植物の髄も使われたようです。灯芯草という別名もある藺はとても軽く、ダントツで安かったので庶民にとっても魅力的だったでしょう。灯芯売りはかなりの量を束ねて担いでいたとか。

あんどんはを漢字で書くとき、どうして「行灯」なの?

どうして行灯を漢字で書いたときに、「行」という漢字が使われているのでしょうか?それは、元禄時代(1688〜1704)前は、行灯は夜に外出するときに使うものだったからです。さぞかし、夜は真っ暗で足元も見えないほどだったのではないでしょうか。さらに、油がこぼれないように気を付けないといけないから、夜の外出は大変!

歌川国貞「江戸名所百人美女-鉄炮洲」

元禄時代になり、外出用に蝋燭を使う折り畳み式提灯が普及します。これで、行灯は外出用から室内用の照明に変わりました。よく見かける箱型の室内用の行灯は、「置行灯」と呼ばれるようになり、置行灯=行灯となりました。時が流れた現代では光源が電気に変わりましたが、和紙越しの柔らかな光が愛され、現代でも和風インテリアに欠かせないアイテムの一つです。

参考文献:『教科書には出てこない江戸時代 将軍・武士たちの実像』(2008)山本 博文、『実見 江戸の暮らし』(2013)石川 英輔