マイアミ・マーリンズのジャンカルロ・スタントンの勢いが止まらない。

 イチローのチームメイトでもスタントンは、7月5日からの43試合で25本(8月23日の試合終了時点)のホームランを放つなど、人間離れしたパワーを見せつけている。そのなかには、6試合連続ホームランという離れ業もあった。

 8月14日の試合で43号を記録し、早々にマーリンズの個人球団年間最多本塁打記録を塗り替えた。そして翌日、メジャー屈指の左腕であるサンフランシスコ・ジャイアンツのマディソン・バムガーナーから44号を放った。


アウトコース低めの難しいボールに手を伸ばしながらバットに当て内野安打を放ったイチロー

 パワーヒッターに注目が集まるメジャーリーグにあって、その象徴がヤンキースのアーロン・ジャッジからスタントンへと移り変わった。

 そのスタントンがジャイアンツのエースから132メートルの特大アーチを打ち込んだ夜、それとは対照的な一打をイチローは放っていた。

 ジャイアンツの捕手、バスター・ポージーがミットの先を地面につけ、ボールを体でブロックする構えをした瞬間、イチローはアウトコース低めに逃げていくボールに手を伸ばしながら当てた。打球はピッチャーの頭を越え、猛ダッシュで走り込んできた二塁手の前にポトリと落ちる。推定飛距離、約24メートルの内野安打となった。

 スタントンとイチローの打球をマスク越しに見ていたポージーは、試合後こんな感想をもらした。

「スタントンのパワーはもちろんすごいけど、イチローのテクニックもずば抜けている。イチローのことは、自分がドラフトされる前から知っていたし、尊敬していたよ。彼の、他人が真似できないテクニックを見るのがすごく好きなんだ。もしイチローがあのボールを打っていなかったら、地面でワンバウンドしてミットに収まっていたと思う。あの球を打てる選手は、そうはいないだろう」

 スタントンのホームランも印象的だったが、イチローが披露した巧みなバットコントロールから生まれた芸術的な内野安打も驚愕の1本だった。

 実は、この日イチローが放った内野安打にはもうひとつの意味があった。このヒットが、イチローにとってメジャー通算2493本目のシングルヒットだったのだ。

 まもなくシングルヒットのみでメジャー通算2500安打を達成するかもしれないということをチームメイトのディー・ゴードンに伝えると、彼は目を大きく見開き、こう語った。

「マジで!? やっぱりイチはすごいよね。同じタイプのリードオフマンとして、2500本もシングルヒットを打つ難しさはわかっているつもりだ。ホント、やばい。ほとんどの選手がシングルヒットどころか、通算でも2500本という数字に届かないのに……」

 昨年の夏、イチローは史上30人目となるメジャー通算3000本安打を達成したが、それよりも500本少ない2500本でも長いメジャーの歴史のなかで100人しか成し遂げていないのだ。ゴードンが驚くのも無理はない。

 イチローが2500本のシングルヒットを放つと、これはメジャー通算6人目の快挙となる。この前に達成したのは、2014年5月17日、ヤンキースのデレク・ジーター(2595本)だ。

 このほかには、ピート・ローズ(3215本)、タイ・カッブ(3053本)、エディー・コーリンズ(2643本)、ウィリー・キーラー(2513本)が2500本以上のシングルヒットを放っている。

 ちなみに、現役選手のなかにはイチローに続く選手がいないどころか、2000本以上のシングルヒットを打っている選手は誰ひとりとしていない。

 今回のスタントンや、かつてのバリー・ボンズのように、今も昔もファンはホームランに魅了されてきた。事実、オールスターでホームランダービーというイベントはあるが、バットコントロールを競うものは何もない。

 現代の野球において、バットコントロールのうまさは、ホームランを打つことに比べて評価されているとは思えないが、ポージーやゴードンをはじめ、この能力を高く評価している選手は多い。

 メジャー通算324勝を挙げて殿堂入りを果たし、現在はアトランタ・ブレーブスの地元放送で解説をしているドン・サットンは、長年、イチローの打撃技術に興味を抱いているひとりだ。

「今はまさにホームラン全盛の時代なので、ホームランを狙いにいって、思い切りバットを振ることが恥ずかしくないんだよ」

 そう言って残念そうな表情を浮かべたサットンは、こう続ける。

「もしイチローにエゴがあったら、シングルヒットで満足していると思うかい? 普通の打者ならホームランを打ちたい、強い打球を打ちたいと思うんじゃないかな。だから、手と視覚の優れた連携動作だけではないんだ。シングルヒットでも満足できるメンタリティーも大事になってくる。

 今の時代、どのチームも相手打者に対応して守備シフトを敷いている。バッターはそれを見て、笑い飛ばしながら野手のいない方向にポンと打てばいいのに、エゴがまさってしまうのか思い切りスイングする。その結果、野手のいるところに打球がいき、アウトになってしまうんだ。もしイチローに対して守備シフトを敷いたら、彼は5000本のシングルヒットを打つんじゃないだろうか。結局、イチローは技術が高すぎて、どんなシフトも通用しない選手なんだよ」

 3年前、ジーターが2500本目のシングルヒットを放ったとき、アメリカではまったく注目されなかった。同じシーズンの8月23日、当時ヤンキースの一員としてプレーしていたイチローは、ヤンキースタジアムでメジャー通算2290本目のシングルヒットを放ったが、こちらも誰も注目しなかった。実は、この1本で、日本でのシングルヒット926本を加算すると通算3216本となり、ピート・ローズが持つメジャー記録を上回ったのだ。

 おそらくイチローが2500本のシングルヒットを放っても、メディアで大きく取り上げられることはないだろう。しかし、ポージーやゴードンのようにグラウンドで戦っている選手たちが、イチローの技術に驚愕し、尊敬の念を抱いていることだけは間違いない。もちろん、我々やファンも高い技術の大切さを忘れてはならない。

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