三代目山口組の田岡一雄組長

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 元ヤクザの男が、老人ホームでひっそりと息を引き取った。男はかつて、ヤクザと芸能界のパイプ役を務め、“山口組芸能部長”の異名を持つ超大物だった。とくに縁が深かったのが、3年前に亡くなった俳優、高倉健だった。その男が若くして亡くした息子の命日には、東京から岡山まで一人でわざわざ焼香に来てくれたのだという。ノンフィクション作家の森功氏がその人物と芸能界の関係性を辿る。(敬称略)

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 山口組の芸能活動は古く、もとはといえば二代目組長の山口登時代にさかのぼる。本格的に力を入れ始めたのが、終戦の翌1946年、田岡一雄が三代目組長を襲名してからだ。田岡は戦後復興から高度経済成長期にかけ、港湾事業と芸能興行を組の収入源の二本柱に据えた。

 そして田岡によって直参組長に引き上げられた大石誉夫(山口組初代大石組組長、8月9日に誤嚥性肺炎で死去)は、芸能興行とともに建設談合の世界でもその名を轟かせるようになる。それは日本の都市開発が、主要な港湾を中心に展開されてきたからにほかならない。

 いわば日本社会が暴力団とともに成長し、芸能界だけでなく、政財界もまた暴力団ともたれ合ってきた時代である。しぜんそこでは、濃密な人間関係が垣間見られた。大石は芸能界だけでなく、政財界の多くの知己と交流を続けてきた。話を芸能界に戻す。

 山口組をはじめとした暴力団社会と映画界の関係を知る生き字引がいる。かつて東映やくざ映画で一世を風靡した伝説のプロデューサー・俊藤浩滋の右腕だった川勝正昭だ。

 俊藤は富司純子の実父であり、寺島しのぶの祖父にあたる。社長の岡田茂と二人三脚で東映の全盛時代を築いたのち独立。俊藤が設立した「オスカープロダクション」制作部長を務めた川勝は、こんな裏事情を明かしてくれた。

「愛媛出身の大石さんは、岡山県で大石組を立ちあげてあそこまでになったけど、最初は金がなかったんです。そのしんどいとき、東映の俊藤さんが『金儲けしいや』言うて助けてやった。それが岡山市内で開いた『東映祭り』でした。そこに、健さんをはじめ、鶴(鶴田浩二)さんや若山の富(三郎)さん、文(菅原文太)さん、富司純子さんらを総動員した。体育館みたいなホールのステージに彼らをあげて歌わせると、会場はいつも鈴なりの満席。興行はいつも大成功でした」

 芸能界では、この手のイベントを“花興行”と呼ぶのだそうで、興行の裏に暴力団組織がいると分かっていても、警察もさほどうるさくなかった。

「花興行の大きなアガリは祝儀です。大石組が仕切っているのは皆わかっているから、地元や周辺の会社の経営者たちが100万円以上包んで持って行く。山ほど祝儀が集まりました。東映祭りは年に2〜4回やっていたから、大石さんは羽振りがようなって、『一生忘れへん、(東映には)恩返しせんといかん』と口癖のように僕に言うてはりました」(川勝)

 芸能活動を梃子にゼネコン業界に睨みを利かせてきた大石組は、その資金力を武器に、山口組最高幹部にまで昇りつめた。

◆日大名誉教授に2000万円

 ちなみに高倉健主演の『山口組三代目』(1973年公開)は、田岡の長男・満がプロデュースしている。実は、満の結婚を取り持ったのが東映の俊藤だ、と川勝がこう打ち明けてくれた。

「満さんの相手は、俊藤さんが富司純子の後釜に据えようとした3人の女優のうちの一人。パチンコ屋の娘だった中村英子でした。満さんとの結婚披露宴は、それは盛大でしたで」

 山口組で芸能部門を担ってきた大石は、俊藤とも親しく、映画にも貢献した。俊藤浩滋はのちに岡田茂や高倉健と袂を分かち、独立する。そこからの消息はあまり伝えられていないが、独立後は資金繰りに窮していたようだ。そこで頼ったのが、大石だったという。川勝が続けた。

「(俊藤が)亡くなる1年ほど前(2000年頃)だったと思います。俊藤さんは大石さんに1000万円ほど借金したのです。それで亡くなったあと、香典がいっぱい集まったので、遺族が借金を返そうとした。純子さんと腹違いの妹や弟たちの間で、誰が返しに行くか、揉めとった。純子さんは責任感が強いし、大石さんのことも知っているので自分が行こうとしたらしいけど、妹たちが反対してね。妹たちが行ったらしいけど、結局、大石さんはそのカネを受け取ったかどうか、わからへんのです」

 斯界の常識からすると、借金の返済は故人への香典として受け取らないものだという。昔のやくざ気質の強い大石は、とりわけ気風よく振舞ったし、全盛期の大石にはそれくらいのゆとりもあった。私自身、大石が行きつけの高級中華料理店で、ボーイに一人5万円ずつチップを渡している姿を見たこともある。大石は知り合いに借金を頼まれると言い値を貸し、さほど取り立てもしなかったという。

 大石は2004年5月、田岡満の還暦祝いも取り仕切った。司会はアナウンサーの徳光和夫、八代亜紀や細川たかし、林与一や松方弘樹、アントニオ猪木や平尾昌晃、安岡力也、内田裕也など、およそ500人の席次表には錚々たる氏名が並んだ。おまけにそこには山口組舎弟頭補佐だった大石をはじめ、大阪・盛力会会長の盛力健児、一心会会長の川崎昌彦といった直参組長も加わっていたので、大阪府警が張り込んだ。

「田岡満の還暦祝いは折しも、山口組が五代目から六代目体制に移行する過程でしたから、余計に警戒しました。若頭(ナンバーツー)の宅見勝の射殺事件が起きて以降、組織の混乱が続いていた。六代目体制になる前に五代目の重鎮たちが集まったという感じでしたね」(前出の元大阪府警刑事)

 芸能界に精通する大石は先妻の死後、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」に出演していた女優を後妻に迎えた。だが、そんな山口組最高幹部も、引退後は寂しい晩年を迎えた。知人が言う。

「山口組の功労者として引退後も手厚く遇されるはずだったが、山口組の分裂でそれどころではなくなった。おまけにこれまで世話になった連中も、借金を踏み倒し始めた。それで裁判になるようになった」

 山口組の分裂から間もない2015年11月、日大名誉教授が山口組元最高幹部から2000万円の借金をしていたことが発覚して話題になった。まさにそれが全盛期の大石がタニマチ感覚で融通したものだ。

 享年84。かつて組織の屋台骨を支えた大物組長は、恒例の山口組葬もなく、家族だけに見送られ、人知れずこの世を去った。「ヤクザと芸能」の最後の生き証人だった。

※週刊ポスト2017年9月1日号