来日した妻ミシェル・バリスコ

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 米ドキュメンタリー映画「ギフト 僕がきみに残せるもの」(8月19日公開)は、第1子誕生を数カ月後に控えた時期に難病ALSを宣告されたアメリカンフットボールの元スター選手スティーブ・グリーソンが、愛する息子に向けた1500時間に及ぶビデオダイアリーが基になっている。単なる同情を誘う難病ドキュメントではない。そこには見る者を奮い立たせるドラマがある。スティーブの妻ミシェル・バリスコが来日し、映画.comのインタビューに応じた。

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)は運動ニューロンが侵され、次第に筋肉を動かせなくなる難病だ。診断後の平均余命は2〜5年。気管切開手術の後に人工呼吸器を装着しなければ、次第に呼吸機能が衰え死に至る。翻って言えば手術と機器で延命は可能だが、多くの患者が周囲にかかる介護と医療費の負担を案じ処置を拒否するという。

 米NFLの伝説に名を刻んだスティーブといえど、病魔から逃れることはできなかった。ALSの宣告は、引退後の人生を謳歌する2011年1月に受けた。生まれてくる我が子とは、会話すらできないかもしれない。だから、父から子に贈るギフトとしてビデオダイアリーを残さなければ。「このビデオを撮るのは僕がどんな人間か、きみにわかってもらうため、できるうちにたくさん僕の姿を残しておくためだ。楽しみだ。早く出ておいで。今ならこの手で抱っこできる。愛してる」。映画は、スティーブのささやかだが、だからこそかけがえのない願いから始まる。

 時間を追うごとに、丸太のようにガッシリしていたスティーブの手足や首は細くなっていく。だが、それに反比例するように増していく、魂の輝きを感じずにいられない。ミシェルは「命を失う恐怖に直面しているからこそ、与えられている命を十分に受け止め、大切にしようと思っていたのでしょう」と話す。

 やがてスティーブは「病に白旗を掲げない」と誓う。ALS患者への支援活動と、11年10月に誕生した息子リバースのため“最高の父親になること”を生涯のミッションに掲げ、今も命の火を絶やしていない。宣告から現在までの6年間、妻として、母として、あるいは介護人として添い続けるミシェルの胸中には、どんな感情が渦巻いていたのだろうか。

 「この6年間は“旅”と言ってもいいでしょう。最初は肉体は衰えたけれど言葉は話せるし、とても楽しんでいました。ただその後は、痛みと恐怖と喪失感に苛まれていました。スティーブがしゃべれなくなった時が一番大変。常に『これからどうなる』という未知への恐怖がありました。それでも気管切開をして、もう失うものはないと思ったときは、ある意味ホッとした気分でした。喪失感は今もありますが、逆に喜びが増えたと思う」

 どんなに覚悟していても、悲しさではちきれそうになる時は、やはりやってくる。希望はないと、諦めかけることもあった。それでも乗り越えることができたのは、絶望と手をつないで訪れる無上の喜びを、大切に抱きしめてこられたからだ。「家族、友人、介護人の強いサポートがあるからやってこられた。たとえば(介護人のひとり)ブレアは、私が落ち込んでいたら引っ張り上げてくれる。逆にブレアが落ち込んでいると、私やスティーブが声をかけて持ち上げる。誰かが必ず引っ張ってくれるんです。特に、今は息子のリバースが、落ち込んだままでいない、とインスピレーションを与えてくれるんです」。

 打ちのめされるような艱難辛苦を経た今も、スティーブへの愛が朽ちることはないか。そう聞くと、ミシェルは「ほとんどの日は、そうですね。毎日のことなので、いろいろありますから。でも、家のなかには愛が満ちています」と笑う。そんな快活な言葉の端々からは、のべつ幕なしに襲った試練を受け止め、糧にしてきたからこその強さを感じる。

 映画は、スティーブが「父親とはそういうものだ。自分の一番いい部分を子どもに託すんだ」とほほ笑む様子で終わる。“最高の親になる”挑戦はもちろん、現在スティーブはマイクロソフトとともに患者のためのテクノロジー開発に励み、ミシェルはかねてからの夢だった芸術家として活躍している。あふれ出るのは悲しみの涙ではない。白旗を掲げない不撓不屈の魂と、愛の尊さを賛美する涙だ。