競走馬にとって、”休むこと”は大事なことだ。

 それは、単に疲れをとるとか、気分転換を図るというだけでなく、時に大きな”ミラクル”を起こすからだ。

「別馬のようによくなった」とは、競馬ではよく聞く言葉だが、それが聞かれるのはほとんどの場合、休養明けだ。その意味では、競走馬の休養は多分に戦略的と言えるかもしれない。

 はたして、ヘヴンリーロマンスにとっての5歳春から夏にかけての休養に”戦略的”な意図があったかどうかはわからない。だが、その後の”ミラクル”につながったという意味では、その休養が結果として戦略的な効果をもたらしたことは間違いない。


天皇賞・秋では牡馬一線級を退けたヘヴンリーロマンス(右)

 ヘヴンリーロマンス――。

 今や、現役時代の戦績よりも、昨年のUAEダービーを制したラニ(牡4歳)や、ダート戦線で活躍するアウォーディー(牡7歳)の母として知られる。

 父サンデーサイレンス、母ファーストアクト、母父サドラーズウェルズ。いわゆる”サンデー牝馬”の1頭だが、母父の重い血が災いしてか、若い頃は”サンデー牝馬”の特長である鋭い切れ味が鳴りを潜めていた。

 未勝利を勝ち上がったのもダート戦だった。5歳の春に休養するまでの戦績は、28戦6勝、2着7回、3着3回、着外12回。追い込むもあと一歩足りない、つまり切れない馬だった。ゆえに、勝ち鞍よりも2着、3着のほうが多く、「サンデー牝馬らしからぬ」というのが、大方の評価だった。

 それでも、4歳暮れにはGII阪神牝馬S(阪神・芝1600m)を制覇。重賞ウイナーの仲間入りを果たした。が、まさにその直後から、彼女はスランプに陥ってしまう。

 その後の4戦は、6着、11着、10着、10着。すべて重賞で、11着に沈んだのはGIフェブラリーS(東京・ダート1600m)だったとはいえ、その成績は決して褒められるものではなかった。フェブラリーS以外は、それなりの人気を得ていたことを思えばなおさらだ。

 そこで、陣営は福島牝馬S(福島・芝1800m)で10着と大敗したのを機に、休養に入ることを決断する。

 休養期間は4月から8月までの、およそ4カ月だった。この間、彼女がどのように過ごしていたのか、あるいは彼女の身に何があったのか、詳しいことはわからない。けれども、この休養によって、彼女はまさしく”激変”する。

 復帰初戦は、GIIIクイーンS(札幌・芝1800m)。このとき、彼女の馬体重は前走から14kgも増えていた。だがそれは、休養明けの「太め残り」というよりも、体調面の上昇ぶりを物語るものだった。勝ち馬とハナ差の2着という結果が、それを証明している。

 レースでは好位を追走。直線に向くと外から前方馬群をとらえ、勝ち馬に鋭く迫った。ふた桁着順にあえぐ、休養前の物足りなさを感じる競走馬としての姿は、そこにはなかった。

 そして、次に挑んだのが、牡馬一線級も顔をそろえるGII札幌記念(札幌・芝2000m)だった。同レースは1997年にGIIに昇格して1カ月半ほど開催時期が遅くなり、GI天皇賞・秋(東京・芝2000m)の前哨戦といった意味合いも強くなって、多くの有力馬が集まるようになっていた。

 現に1997年以降の勝ち馬には、エアグルーヴをはじめ、セイウンスカイ、テイエムオーシャン、ファインモーションなど、GI覇者でもある、そうそうたる顔ぶれが名を連ねている。

 ヘヴンリーロマンスは、あまりの体調のよさから、急きょ連闘でこの一戦に挑むことにした。しかしながら、彼女の”激変”ぶりは多くのファンから見逃され、当日は14頭立ての9番人気にとどまった。休み明けでの前走の好走も、プラス体重が示す急激な体調の良化も考慮されなかったのである。

 そんな低評価の中、ヘヴンリーロマンスは道中、馬群の後方で淡々と追走。折り合いはピタリとついていた。3角過ぎあたりから騎手の手が動き始め、4角手前では先行馬群の直後となる絶好のポジションを取った。

 迎えた直線。内から4、5頭分の空いたスペースを突いて、先行馬群の外目から仕掛けた。脚勢は彼女が一番いい。豪快な末脚を繰り出して、1頭、また1頭とかわしていく。

 そこへ、最内からスルスルと伸びてくる馬がいた。これまた人気薄のファストタテヤマだ。最後はこの2頭が激しく叩き合って、そのままゴール板を通過した。

「強い馬は外から相手をねじ伏せる」

 ある高名な競馬評論家の言葉を思い出す。その言葉どおり、ヘヴンリーロマンスはまるで牡馬のような迫力と力強さで、最後はファストタテヤマをねじ伏せてみせた。

 レース後の勝利騎手インタビューで、主戦の松永幹夫騎手(現調教師)は、勝因は? と問われてこう答えた。

「放牧に出して、本当に馬がよくなって帰ってきた」

 ヘヴンリーロマンスはこのあと、GI天皇賞・秋へと駒を進めた。ここでも、18頭立ての14番人気という低評価を覆(くつがえ)して快勝。ゼンノロブロイ、ハーツクライなど超一戦級の馬たちを撃破し、GIの勲章まで手にしたのだ。

 すべては、あの4カ月足らずの”リフレッシュ休暇”から始まった。 ヘヴンリーロマンスが”ミラクル”を起こしてから、はや12年。この週末に行なわれる札幌記念(8月20日)にも注目である。ひょっとしたら、いい休暇を取って一変した馬の大駆けがあるかもしれない。

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