パートやアルバイトというような非正規雇用が増え続けている現代。いわゆるフリーターと呼ばれているアルバイトやパート以外に、女性に多いのが派遣社員という働き方。「派遣社員」とは、派遣会社が雇用主となり、派遣先に就業に行く契約となり派遣先となる職種や業種もバラバラです。そのため、思ってもいないトラブルも起きがち。

自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「派遣社員を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

☆☆☆

今回は、都内で派遣社員として働いている近藤佐紀さん(仮名・23歳)にお話を伺いました。佐紀さんは、少し明るめのストレートボブに、耳元にはフープになっているピアスを合わせていました。前身ごろがスキッパーになっているフレンチスリーブのベージュブラウスに、ハイウエストでリボンで結ぶタイプの黒のワイドパンツを合わせていました。足元はオープントゥのサンダルに、グレーのペディキュアが似合っていました。

「ホイ卒って知っています?ネット民の彼氏が私のこと、そう言うんですよ」

ホイ卒とは、保育園を卒園している人のことで、幼稚園を卒園している場合は幼卒と呼ばれている。いわゆるネットスラングで、家庭環境などの違いから幼卒の方が学力や、家柄などが上だという風な例えとして使われているそうです。

「彼氏が、フラッシュ暗算とか、読み書きの勉強をする幼稚園を出ていて。周りも国立の小学校受験するような地域だったみたいなんですよ。だから、私の保育園卒っていうの、バカにするんですよね」

彼女は、新卒で入社した会社を3か月で退社しています。

「私は、地方出身者な上に、資格なしの文系女子で。就活も行き詰ったので、行きたい業種とかじゃなくて、初心者でも入社可能なSEを募集している企業を探したんですよ。文系SEなら、仕事があるかなって思って。それが失敗でしたね」

今は派遣社員として働いている佐紀さんは、岐阜県で生まれ育ちました。

「岐阜ってすごくマイナーな土地なんですよ。出身地を聞かれても“よくわからない”って言われることが多くて。でも、訛りが出るから地方出身ってばれてしまうので、面倒なときとかは“愛知県”って答えてしまったり」

父も母も、岐阜県が地元で東京にも数回しか来たことがないような人たちだった。

「父は警察官で、母は地元の自動車学校の受付をしていました。5歳年の離れた兄もいるのですが、地元で消防士やっています」

警察官だった父は、職業柄、家でも厳しく怖かったといいます。

「もともと父は剣道をやっていて、私も中学まで習わされたんですよ。道着は重いし、夏は暑くて倒れそうだし。辞めたいと言っても辞めさせてもらえなくて、練習に行ったふりをしてさぼったんですよ。そうしたら、「恥をかかすな」ってむちゃくちゃ父に怒られて。さすがに竹刀で叩かれたりはしなかったですが、怖かったですね」

親の躾が厳しかったおかげで、大学の推薦を貰うのに成功

実家にいたときは、自由にできるお金も少なかったそうです。

「お小遣いとかの制度が、家にはなくて。親戚から貰ったお年玉とかも、“家族のお金だ”って言われていました。玄関に大きな貯金箱を飾っていたんですよ。そこに、全部入れなきゃならなくて。貯まったら旅行とかに行くわけでもなく、親が貯金していたと思います」

このまま地元で一生過ごすことに、疑問を感じ始めます。

「とにかく、家を出たくて。大学は東京に出ようと決めました。本当は、京都とか名古屋の大学にしようか迷ったんですが、近いと親が来そうって思ったんですよ。それで東京の大学に決めました。」

両親の躾のルールは厳しく、父がいうことは逆らうことができず“絶対”だったと言います。

「父も母も、私が子供の頃はあまり土日も関係なく働いていたので、“休むのは甘え”みたいに言われて育ったんですよ。微熱くらいだと小学校も休ませてもらえなかったし、プールがある日は、風邪でも入っていました」

進学と同時に、入居先も決めました。

「いくつか大学を調べたのですが、やっぱり親から反対されたんです。でもAO入試だったら、小論文と面接だけで受験できて早めにわかるから負担は掛けないって説得して。あと親がうるさかったので、大学が運営していた学生会館に入館したんですよ。それが決め手でしたね」

“成績や部活動などで、特にアピールできるところはなかった”と佐紀さんは言います。

「高校の成績は普通だったのですが、遅刻も欠席もしなかったんで皆勤賞だったんですよ。それが大学の推薦状を書いてもらえた理由だと思います。親が厳しいのが初めて役立ちましたね」

地元と違い、自分のことを誰一人知る人がいない環境は、新鮮でした。

「みんな学生寮が厳しいっていうんですよ。でも実家と比べたら全然、気が楽で。門限とかあっても、そこまで怒られないし。高校で自由に遊べなかったのを取り戻した気分です」

上京し、色々な家庭環境の同級生と知り合い、自分の親が特殊だったと思うようになります。

「大学ってもう大人だから自己管理っていうじゃないですか。今まで、母親が“ごはん残すな”とか、“お風呂に入る時間は守れ”とか、家族内のルールが色々口うるさかったんですよ。でもそれって、べつに躾とかじゃなくて、単純に父を怒らせないために厳しかっただけでしたね」

実家を出て、着ていた洋服がそのまま散らかっていても怒られないという生活に、徐々に慣れていきます。

「大学に入ったら、誰も朝、起こしたりしないし。“こんなに自由なんだ”って、びっくりしてしまって。反動で、どんどんだらしなくなっていきましたね」

いまだに、外で警察官やパトカーを見かけると、厳しかった父を思い出し緊張してしまう。

新卒で就職したIT企業はブラックだった?憧れのSE職をたった3か月で退社し、短期雇用を繰り返す。その2に続きます。