古典「戦争論」と「孫子」の決定的な違い
※以下は守屋淳「もうひとつの戦略教科書『戦争論』」(中公新書ラクレ)からの抜粋(一部改変)です。
■「本質」と「基本要素」の違い
ヨーロッパを代表する軍事の著作が『戦争論』だとするならば、東アジアを代表する兵法書が『孫子』に他なりません。実際、現代の軍事思想家であるマーチン・クレフェルトが、次のような指摘をしています。
<孫子が歴史上もっとも偉大な戦争思想家であり、おそらく孫子を除けばクラウゼヴィッツが依然として西側世界の知的伝統においてもっとも偉大な戦争理論家である>(『クラウゼヴィッツと「戦争論」』マーチン・クレフェルト著、清水多吉、石津朋之編、彩流社)
しかし、『孫子』と『戦争論』では、その記述に大きな食い違いがあります。なぜ、そもそも同じ戦争という事象を扱っているはずなのに、食い違いが出てしまうのか――。
筆者の見るところ、そのポイントは3つあります。まず1つ目。ものの考え方の基本がまったく違うこと。
クラウゼヴィッツの場合、「プラトンのイデア」「中世の一神教の神」「仮説検証による法則」といった発想の流れを汲み、
「本質重視」
という考え方が根底にありました。対象の普遍的な「本質」をまずは見つけることが、そのものの何よりの理解になる、と考えるわけです。
■本質重視という考え方がない
一方で、『孫子』には、西欧的な意味での本質重視という考え方がありません。彼の思考を筆者なりに書けば、
「対象を構成する基本要素を選び出し、その基本要素がどう関係するかを考える」
となるのです。たとえば『孫子』には、こんな言葉があります。
<音階の基本は、宮、商、角、徴、羽の五つにすぎないが、その組み合わせの変化は無限である。色彩の基本は、青、赤、黄、白、黒の五つにすぎないが、組み合わせの変化は無限である。味の基本は、辛、酸、鹹(かん、塩からい)、甘、苦の五つにすぎないが、組み合わせの変化は無限である(声は五に過ぎざるも、五声の変は、勝げて聴くべからず。色は五に過ぎざるも、五色の変は、勝げて観るべからず。味は五に過ぎざるも、五味の変は、勝げて嘗むべからず)>(『孫子』兵勢篇)
たとえば色でいいますと、確かにすべての色は青、赤、黄、白、黒の混ぜ合わせによって作ることができます。つまり、この5つが色の基本要素になるわけです。しかし、「赤が色の本質だ」などといわないように、これらを色の本質とは普通呼びません。
『孫子』の場合、こうした観点から戦争を分析し、たとえば
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・奇―予想外の存在 /正―想定内の存在
・勢―エネルギーがある /不勢―エネルギーがない
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といった要素を、戦争全体を俯瞰したうえで抜き出します。そしてお互いの要素の絡み合いを描いていくことで、対象がわかると考えるのです。
そして、ここから『孫子』の勝ち方の基本も出てきます。
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・奇正(不意をつく/負けない戦い方)―「不意をついて勝つ詭道」
・勢(組織のエネルギー)―「勢いに乗って、勢いに堕ちた敵を叩く」
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ちなみに、中国古代にも「本質」と似た概念はありました。それが老荘思想の「道(タオ)」。ただし「道」は、欧米の「本質」とはそれなりに異なる面を持っていることもあり、20世紀を代表する哲学者ハイデガーが、2つの違いに着目して、「道」を高く評価してもいます。
■状況の違いと仮想敵
『戦争論』と『孫子』が食い違う2つ目の要因は、「おのおのの寄って立つ環境による違い」です。
まずクラウゼヴィッツは、決闘の比喩や、戦争と平和の循環の指摘でも明らかなように、
「一対一で、やり直しが利く」
という条件から戦争や、その勝ち方を考えました。ですから、その勝ち方は条件の似ている将棋と近似します。一方で『孫子』は、
「ライバル多数で、やり直しが利かない」
という条件から戦争やその勝ち方を考えたのです。
この条件は、たとえばライバルが多く、栄枯盛衰の激しかったコンピューター業界にそのまま当てはまるものでした。このため、ビル・ゲイツをはじめとして、コンピューターやIT企業の大立者はほぼ例外なく『孫子』の影響を受けていたりもします。前提条件が同じなので、そこから出てくるノウハウが、自分たちの状況にそのまま当てはまってしまう面があるからです。
■2人とも「希代の名将」ではなかった
さらに、3つ目の要因。『孫子』には「戦わずして人の兵を屈す」という有名な言葉があります。よく、「戦わずして勝つ」とパラフレーズされますが、この言葉に象徴的なように、『孫子』は全般的に政治家目線が強い内容が特徴になっています。つまり、政治・外交的な立場からいえば、そもそも戦わないのも、上手い政略のうちなのです。
一方の『戦争論』は、クラウゼヴィッツが基本的に軍人だったこともあり、あくまで軍人目線。基本的に戦うことを、当たり前の前提にしている点に特徴があります。
さらに、もう1つ細かい点をあげると、クラウゼヴィッツは、
「ライバルは基本的にはコントロールできない」
と考えていました。まず同じ相手と何回も戦うことを想定していますので、手のうちがお互いわかっていると考えざるを得ない点が1つ。もう1つは、仮想敵が希代の天才ナポレオンでしたので、こちらの意のままに動いてくれるという想定がしにくいという事情もあったのでしょう。
一方、『孫子』のほうは、
「ライバルは、ある条件やノウハウをつかえば、上手くコントロールできるはず」
という前提をとっていました。ただしこのためには、同じ相手と何回も戦わないようにする必要が出てきます。同じ相手と何回も戦っては、手のうちがバレてしまうからです。このため、『孫子』のノウハウは強力なのですが、同じ相手には何回も使えないという特徴が出てくるのです。
以上のような対照的な面を持っているがゆえに『戦争論』と『孫子』の発想は大きく異なってくる、と筆者は考えていますが、同時に、両者にはユニークな共通点もあります。
それは『戦争論』の著者であるクラウゼヴィッツと、『孫子』の著者と目される孫武ともに、希代の名将ではおそらくなかったこと。両者とも、華々しい戦場での活躍が具体的には残されていませんし、孫武のほうは仕えていた呉という国が滅亡してしまってもいます。
しかしだからこそ、『戦争論』と『孫子』という名著が残されたのでしょう。現実での忸怩(じくじ)たる思いが、執筆の大きな原動力になった可能性があるからです。
(中国古典研究家 守屋 淳)