百田氏が「メディア批判」連発

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「日本のテレビはとにかく反政府、極端なことを言えば『反日』です」――。作家百田尚樹氏が2017年7月4日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で開いた会見で、独自のメディア批判を展開した。

百田氏は「日本のメディアぐらい偏向したメディアはない」と明言。「朝日新聞はフェイクニュースが多い」とも。一方で会見中には、記者から発言の「誤り」を突かれ、焦った様子で釈明する場面もあった。

百田氏「政治的な報道については公正中立が求められる」

今回の会見は、百田氏が登壇予定だった一橋大学での講演が中止となった騒動を受けて行われた。冒頭、百田氏は「日本に於ける言論の自由」というテーマで約25分間スピーチ。一橋大での講演に抗議した団体「反レイシズム情報センター」(ARIC)の活動について、「言論の自由を脅かすもの」だと批判した。

百田氏が激しいメディア批判を展開したのは、スピーチ終了後の質疑応答でのこと。外国人記者から「日本の政治家がメディアを批判することについてどう思うか」と問われた百田氏は、

「日本のメディアぐらい偏向したメディアはありません。とくにテレビがひどいです。まあ、世界各国のテレビと私は比べることはできませんけど...」

と返答。続けて、国内のテレビ放送は半世紀以上にわたって数社が独占してきたとして、

「それゆえ、政治的な報道については公正中立が求められると考えています。しかしながら、日本のテレビはとにかく反政府、極端なことを言えば『反日』です。テレビは政権をいくら批判してもいいという姿勢で長年報道してきました。同じ政治家のスキャンダルであっても、野党と与党では扱いが100対1くらい違います」

と主張。こうした持論を述べた上で、百田氏は政治家のメディア批判について、「頭にきてメディアを批判する気持ちは分からないでもありません」としていた。

「百田さんは現場に行かれたんでしょうか?」

その後、百田氏のメディア批判はさらに過熱。安倍晋三首相が7月1日、東京・秋葉原で行った都議選の応援演説で、聴衆の一部から「安倍やめろ」コールが起きた問題についても、

「これを報道した日本のテレビ局は、画像の切り取りをやりました。実際の映像を見ると、反対派が陣取っているのはほんの一角だけでした。ところが、日本のテレビ局は、その一角だけをクローズアップして放送しました。これは、非常に汚い報道のやり方です」

と主張。続けて、安倍首相が反対派を「こんな人たち」と表現した件についても、

「(反対派は)安倍総理に非常に汚いやじを飛ばしました。私なら、もっと汚い言葉で罵っています」

としていた。

しかし、会見に出席していたフリージャーナリストの田中龍作氏が、

「私は現場に居ました。全方位から安倍さんへの批判は飛んでいました。百田さんは現場に行かれたんでしょうか?」

と突っ込むと百田氏は、

「行っていません」

と一言で回答。これに田中氏が「百田さんこそフェイクニュースじゃないですか」と追い打ちをかけると、

「私はあの、極端な形で申し上げました。もちろん、周りに安倍総理を批判する人はいたでしょう。私が言いたかったのは、安倍総理を批判する集団が居て、テレビがその一角ばかりを放送したということです。私は現場には行っておりませんが、全体の写真を見ています。(写真を見ると)各地で日の丸の旗が上がっていましたが、それはテレビではほとんど見ることがありませんでした」

と早口で釈明していた。

朝日新聞記者に「何か文句ありますか?」

また、百田氏が「朝日新聞はフェイクニュースが多い。過去も現在も多い」などと批判したことに、朝日新聞の記者が「反撃」する場面もあった。

質問に立った朝日新聞の記者は、「先ほどフェイクニュースというご指摘を頂きまして、一言申し上げたいと思いまして」と発言。その上で、

「百田さんは過去のツイートの中で、私どもの社長を半殺しにしてやると仰っていましたが、今でもその気持ちにお変わりありませんでしょうか。ヘイトスピーチではないにしても、これほど素晴らしい作品を書かれている作家として、そういう言葉づかいでよろしいのでしょうか」

と皮肉の効いた質問を投げかけた。この質問に百田氏は、朝日新聞が北朝鮮のミサイルについて「一発だけなら誤射かもしれない」という内容の記事を過去に掲載していたと述べた上で、

「今年の4月に北朝鮮と非常に緊迫した状況になりました。北朝鮮がもしかしたら日本に核ミサイルを打つかもしれない。そこで私はツイッターにこう書きました。『もし日本に核ミサイルが撃ち込まれて、この時朝日新聞が一発だけなら誤射かも知れませんと言えば、私は社長を半殺しにします』と」

と投稿の意図を説明。さらに続けて、朝日新聞の記者に対して、

「何か文句ありますか?社長にも伝えておいてください」

と告げていた。