岡山理科大獣医学部の完成予想図

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加計学園問題で獣医学部のあり方に注目が集まっている。加計学園の獣医学部新設について、申請当時の文部科学省事務次官だった前川喜平氏は、5月25日の記者会見で「極めて薄弱な根拠の下で規制緩和が行われた」と述べ、認可は不適切だったとの考えを示した。この問題では、安倍晋三首相が認可の便宜を図ったのではないかという疑惑も浮上し、「こんな獣医学部はダメだ」との声もある。しかし、なぜ半世紀も新設がなかったのか。東京大学名誉教授の唐木英明氏は「獣医師の需給や獣医学教育について誤解がある」と嘆く。
唐木氏は、東大助教授となった1972年から獣医学教育改善運動に取り組み、近年は規制緩和の必要性を訴えてきた。東京大学を退官後、2011年から13年まで加計学園関連大学の学長を務めたため、一部から「獣医界の裏切り者」とのレッテルを貼られたという。はたして獣医学部の規制は、国民のためなのか、獣医界のためなのか。後者であれば、その規制は壊すべきだ。日本にとって、いまなにが必要なのか。唐木氏の特別寄稿をお届けする――。

■6年制教育に乗り遅れた獣医学

1945年、敗戦とともに上陸して皇居の向かいに陣取った占領軍総司令部は日本の教育改革を命じたのだが、その一つが医学、歯学、獣医学教育年限を6年に延長し、独立の学部とすることだった。「国民の生活の安全に直結する重要な職種」というのが、その理由だった。これを受けて日本政府は、医師と歯科医師教育を6年制の学部で行うことに変更したが、獣医師についてはその重要性が理解できず、変更は一切行わなかった。

獣医師は「犬・猫のお医者さん」と思われている。しかし獣医師がペットを診療するようになったのは高度経済成長期以後のごく最近であり、本来の仕事は別にある。

その第一は、家畜臨床、すなわち牛、豚、鶏などの病気の予防と治療で、安全な畜産製品を供給するとともに、鳥インフルエンザ、口蹄疫、BSEなどの対策を行う仕事だ。2番目は、公衆衛生・食品衛生で、国や地方の公務員としてと畜場での食肉検査、輸入や国産食品の安全性検査、外食店などの衛生状態の検査を行うなど、食の安全に直結した仕事だ。そして3番目は、ライフサイエンスの研究や医薬品の開発だ。医師、薬剤師の仕事と思っている人が多いが、薬の効果も毒性も実験動物の試験から始まる。だから薬の試験の重要な部分で獣医師が活躍している。

戦後の混乱期は家畜の数は少なく、餓死者が出るような食料の絶対的な不足の中で、公衆衛生や家畜臨床を担当する獣医師の出番が少なかった。政府がようやく獣医師の重要な役割に気づき、獣医学教育を6年制に変更したのはそれから約40年後の1977年だった。

■獣医界に蓄積した規制のひずみ

当時は全国11の国公立大学に入学定員30−40名の小さな獣医学部・学科と、3つの私立大学に入学定員が80−120名の獣医学部・学科があった。日本が豊かな国になる中で獣医師がペットの治療を行うようになり、また畜産製品の消費が伸びて畜産業が盛んになり、食の安全に対する国民の意識が高まったことなどで獣医師の仕事が拡大し、これに対応するため1975年に私立大学2校が設置されて、現在の16大学、入学定員総数930名という形ができあがった。

しかし獣医師の間には「入学定員を増やすべきではない」という意見が強く、議論の結果、この2校を最後にして入学定員をこれ以上増やさないという合意ができた。その背景には、当時は極めて低かった獣医師の社会的地位と収入の改善のために、獣医師総数を少なめにしておくことが得策という考えがあった。この方針を実現するために日本獣医師会は政治・行政に働きかけ、文部省は1979年に獣医学の入学定員をこれ以上増やさないことを決めた。こうして、その後、半世紀にわたり獣医科大学の新設も入学定員の増加もないという「岩盤規制」が始まった。

規制には、小動物獣医師の過当競争の防止、私立大学の競争の緩和など、獣医界にとって望ましい効果があったため、多くの獣医師にとって規制があることが当たり前であり、規制は絶対に守るべきもの、という意識が半世紀の間に定着していった。そして、獣医界の外からは規制緩和の声はほとんどなかった。しかし、その陰で獣医界内部に規制のひずみが蓄積していった。

■教育改善を妨害した規制

山本幸三地方創生大臣は5月30日の会見で加計学園の獣医学部新設計画をめぐり、「長年にわたって新設を認めなかったことで、残念ながら日本の獣医学部の質は落ちている」と発言した。何かとたたかれている山本大臣だが、この発言は正しい。

獣医学教育の内容は医学教育とほとんど同じで、内科、外科などの臨床科目から生理、解剖、薬理などの基礎科目まで多数が並ぶ。これらの科目の講義と実習のために最低70名の教員が必要というのが基準なのだが、それだけの教員をそろえている大学はない。一方、海外の獣医科大学では100−200名の教員と補助者を配置している。要するに日本の獣医学教育システムは欧米のレベルよりはるかに遅れているのだ。

1970年代初めから始まった6年制教育実施を目指す動きのなかで、国公立大学の獣医学学科を学部に格上げして教員数を基準の70名まで増やすことが計画された。これに対して財務当局から、教員数を70名に増やす条件として、30〜40名であった入学定員を70〜80名に増やすよう求められた。大学教育に税金を投入する以上、費用対効果のバランスが重要という考え方である。しかし規制の壁のため入学定員増は不可能だった。6年制教育実施をきっかけにして日本の獣医学教育システムを欧米のレベルに充実しようという努力はあえなく挫折して、学部昇格も大幅な教員増もないまま形ばかりの教育年限延長が実施された。

その後、小動物臨床の市場はさらに拡大し、多くの学生がこの分野を志望した。他方、公衆衛生や大動物臨床志望の学生は減少して社会が必要とする数を供給できない状況になり、地方自治体は公務員獣医師の確保に苦労する時代が続いている。

■公衆衛生や大動物臨床は希望者が少ない

供給不足の対策は3つある。第1は獣医師の数を増やすことだが、これは規制の壁に阻まれている。2番目は待遇の改善で、これはある程度行われているがまだ十分ではない。3番目は教育の充実である。学生は教育を受ける中でその分野の重要性や面白さに気が付き、就職を決めるからだ。しかし、大学は希望者が多い小動物臨床教育の充実に取り組まざるを得ず、限られた数の教員しかいないなかで公衆衛生や大動物臨床の教育の充実は必ずしも十分ではなかった。

この状況を改善するために獣医学関係者が努力したのが国立大学獣医学科の再編整備である。もし3つの獣医学科を統合すれば入学定員約100名、教員数約100名となり、現在と同じ経費で欧米に近い立派な獣医学教育が可能になる。この案には獣医学教育関係者だけでなく日本獣医師会も賛同して協力してその実現を目指した。当時の文科省は全国に設置された過剰な数の教育学部の統廃合や、「遠山プラン」と呼ばれた全国99の小さな国立大学を30程度にまで統廃合する努力を続けていた時期であり、獣医学分野の再編にも全面的に協力した。しかし、これらの教育改革の努力は大部分の大学や地方自治体の「こちらに来るなら受け入れるが、そちらには出せない」という主張に押しつぶされて、すべてが未完に終わった。

そこに再び浮かび上がったのが単独大学の改革案だった。大阪府立大学は2009年のキャンパス移転を機に獣医学担当教員数を50名まで大幅に増やすなどの教育改革を行った。当然のことながら、教員の増加に見合う入学定員の増加を府議会から求められ、それまでの入学定員40名を60名に増員することを文科省に要望した。しかし、この要望は獣医師会だけでなく獣医学教育関係者の支持を得られず、文科省は定員増を認めなかった。もしこれが実現していれば、国立大学も同様の教育改善が可能になったのだが、「規制の維持は教育改善より重要」というのが獣医界と文科省の意向だったのだ。

こうして入学定員を一人たりとも増やさないという「岩盤規制」が獣医学教育の改善を阻み、教育内容の偏りを生み、社会が必要とする分野への獣医師の供給不足を生んだといえる。筆者はこの時から規制に強く反対するようになった。

■規制の抜け穴

獣医学教育にはもう一つの大きな問題があった。それは、特に私立大学が定員を大幅に超える学生を入学させていたことだ。その実態は、獣医師国家試験の受験者数を見ると明らかである。獣医学の入学定員は930名だが、獣医師国家試験合格者数は約1000名、受験者数は約1300名である。受験者のなかには前年度の不合格者と受験延期者を除いた約1200名が大学入学者数と考えられる。この数は入学定員930名を大きく超えている。規制には大きな抜け穴があったのだ。

これは獣医学教育にも大きなマイナスの影響を与えた。教育用の施設設備は定員分しかないため、教室では学生の席がない、実習は人垣の後ろから見るだけなど、教育計画をどれだけ改善してもそれを実現できる体制にはなかった。そこで文科省は定員厳守の方向を打ち出したのだが、このことが次の問題を生んだ。それが獣医師の需給問題である。

2007年の農水省の調査では、小動物獣医師はほぼ需給のバランスが取れているが、家畜臨床と公衆衛生を担当する獣医師は不足し、その状況が続くことが予測され、実際にそのようになっている。もし930名の入学定員を厳守すれば、国家試験合格率は約8割なので獣医師供給数は750名程度になり、現在の1000名から250名も激減する。これを放置すれば、これまでも不足が続いていた家畜臨床や公衆衛生分野の獣医師がさらに減少し、社会的混乱を招く恐れがある。その対策はただ一つ、「岩盤規制」を緩和して、入学定員を1200名程度まで増やすしかない。

■文科省は15回の申請をすべて却下

具体的にはどのようにしたらいいのか。一つの方向は、既存の16大学の入学定員を少しずつ増やすことだが、その場合には教員も施設、設備も少しずつ増やさなくてはならない。場合によっては教室も実習室も作り直すことが必要であり、費用対効果の点から現実的ではない。そこで出てきたのが私立大学を設置する方向だった。このような議論は一部の獣医学教育関係者の間だけにとどまったのだが、それは「岩盤規制」が続く限りその実現は不可能だったからだ。

そのような中で、愛媛県と今治市は2007年から14年の8年間に15回にわたって構造改革特区の制度を使って獣医学部の新設を求めた。そして学部設置は加計学園が担当する計画だった。これには日本獣医師会が強く反発して、「獣医学教育課程が、『特区』に名を借りた『地域おこし』や特定の一学校法人による『大学ビジネス拡大の手段(場)』と化すようなことがあってはならない」と批判し、文科省は15回の申請をすべて却下した。

筆者はこの間の2011年から14年にかけて加計学園が設置する倉敷芸術科学大学で学長を務めたのだが、特区の申請に影響を与えるような政治力はもとよりあるはずがなく、この件とは何のかかわりもなかった。にもかかわらず、日本獣医師会とともに獣医学教育の改善に努力してきた筆者が日本獣医師会に楯突く加計学園関連大学に勤務したということで、獣医界の裏切り者のレッテルを張られることになった。

2015年、筆者が学長を引退した後に愛媛県と今治市は国家戦略特区という新設の制度を利用して獣医学部設置を申請した。この制度を統括するのは内閣府であり、報道によれば文科省は内閣府の「圧力」により申請を受理することになるのだが、その過程で忖度問題があったのかが議論になっている。獣医界と文科省が一体になって半世紀も守り続けた「岩盤規制」をこじ開けるためには内閣総理大臣の威光が必要であり、内閣府はこれを最大限利用したのであろうことは容易に想像される。

■新しい獣医学部はクズか?

四国に獣医学部を作っても学生が集まるのか、卒業生は地元ではなく大都会に行ってしまうのではないか、そんな獣医学部には意味がない、という批判がある。これを検証するために、既存の16獣医科大学において、その地域からの入学率と、その地域での就職率の関係を調べた内閣府の資料を紹介する。図に示すように、その地域からの入学率とその地域での就職率の間には直線的な相関関係がある。これはその地域から入学した学生の数とほぼ同数がその地域で就職していることを示している。

もう少し詳しく見ると、東京、名古屋、大阪周辺の大都市6大学では約7割の学生がその地域から入学し、約7割がその地域で就職する。中都市7大学では、約1/3が地域から入学し、約1/3が地域で就職する。小都市1大学では1割以下がその地域から入学し、1割以下がその地域で就職する。人口と就職先を考えると納得できる結果である。北大と東大は地域の人口や就職先と強い関係がないのは、これらが研究中心の大学だからであろう。

■欧米レベルの教育水準に

このようなデータから、その地域に獣医学部を作れば、その地域の人口に見合った数の学生が入学し、ほぼ同数がその地域に就職することが見込まれる。四国全域を対象地域とする新しい獣医学部が、四国の産業動物・公衆衛生獣医師の不足解消に一定の役割を果たすことは間違いないと思われる。

「疑惑がもたれる経緯で獣医学部設置が決まったのだから、そんな獣医学部で十分な教育などできるはずがない」という批判もある。これはプロセスが悪ければ結果も悪いはずという思い込みだが、新学部の内容については文科省大学設置審議会が中立で公正な審査を行い、欧米レベルの大学になるよう指導を行っている。

たとえば既設の大学の獣医学担当教員は多くても50名程度だが、新設大学では70名の教員を置くことが求められている。要するに、新設と既設はダブルスタンダードということになる。これは長年にわたる獣医学教育改善に新たな一歩を刻む措置であり、既設大学が一日も早く新設大学のレベルに追いつくことで、国際的に通用する獣医学教育が実現するという道筋が期待される。

■規制は国民のメリットか?

最後に、今回の獣医学部設置は例外的に1校に限り認可されたものであり、「岩盤規制」が解除されて獣医学部の設置や入学定員の増加が自由化したわけではない。しかし既設大学が入学定員を順守することで減少する獣医師の数を現在の数まで戻すためには、入学定員をさらに増加する必要がある。

「岩盤規制」により獣医師の数を抑制することは小動物臨床獣医師のビジネスを守るために必要であることは間違いない。しかし規制は国民にとってメリットがあるのだろうか。規制賛成派の論理は、獣医師教育には多額の国税を投入するので、獣医師免許が不要な職域に人材供給をすることは税金の無駄遣いと断罪する。一見もっともらしいこの論理が正しければ、獣医師だけでなく医師、歯科医師、薬剤師などの国家資格教育も同じことになり、それぞれの免許が必要な職域にしか就職できないことになる。

しかし、筆者自身は獣医師免許が必要ではないライフサイエンスや公衆衛生の職域で働いてきた。筆者の教え子の中には金融、広告など獣医師免許が不要な職種で活躍している人材もいる。そして重要なことは獣医学教育という背景がその活躍を支えていることだ。それは税金の無駄遣いどころか獣医師の職域を広げ、その社会的地位の向上にもつながるだけでなく、税金を投入して教育を行うだけの価値があるものと筆者は考えている。

■獣医科大学間の競争がほとんどない

獣医界にとって規制のもう一つのメリットは獣医科大学間の競争がほとんどないことだ。文科省の調査によれば、平成28年度の獣医科大学全体の志願倍率は15倍を超え、私立大学に限れば20倍に近い。黙っていても受験者が集まってくるのであれば、大学は教育改善の意欲が高まらないのは当然のことだ。その結果、欧米のレベルからはるかに劣る教育システムが長年にわたって温存されている。

そしてそのような教育を受けた卒業生自身が、日本の教育システムの問題点についてほとんど知識がないため、大学に改善を要求することもない。もちろんそこには数少ない教員による教育の質の維持のための献身的な努力があるのだが、そんな無理が長続きしないことは、臨床系教員募集への応募が少ないことにも表れている。規制緩和による競争原理の導入が教育改善にも絶対に必要なのだ。

文科省にメールがあったとか、忖度があったとかの議論も必要なのかもしれないが、以上のような獣医界の大きな問題にも国民の目が向くことを願っている。

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唐木英明(からき・ひであき)
東京大学名誉教授、公益財団法人「食の安全・安心財団」理事長
1964年東京大学農学部獣医学科卒業。農学博士、獣医師。東京大学農学部助手、同助教授、テキサス大学ダラス医学研究所研究員などを経て、東京大学農学部教授、東京大学アイソトープ総合センターセンター長などを務めた。2008〜11年日本学術会議副会長。11〜13年倉敷芸術科学大学学長。著書に『不安の構造―リスクを管理する方法』『牛肉安全宣言―BSE問題は終わった』などがある。

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(東京大学名誉教授、公益財団法人「食の安全・安心財団」理事長 唐木 英明)