60年代半ばから70年代、ニューヨークのサウスブロンクス地区は、政治家たちの失政により瓦礫(=ラブル)が散乱する焼け跡の街と化していた。環境の悪化に伴ってギャングの数が激増し、その数はブロンクスだけで100以上。数万人の若者がメンバーになっていたという。 Netflixで配信中の『ラブル・キングス』は、当時のストリートギャングたちを追ったドキュメンタリー作品だ。数多くの元ギャングメンバーや著名アーティストの証言、そして貴重な過去映像を交えて、ニューヨークの若者たちがヒップホップの時代へと辿り着くプロセスを解説している。

ついでにウォルター・ヒル監督の『ウォリアーズ』をチェックしよう

あなたがストリートカルチャー、とりわけヒップホップ好きならば、この作品と併せて楽しんで欲しい作品がある。1979年に劇場公開されたウォルター・ヒル監督の名作映画『ウォリアーズ』だ。
個性的な衣装に身を包んだギャングが多数登場する同作は『ラブル・キングス』と同じく、ヒップホップ誕生前夜のニューヨークを舞台としている。

ストーリーは、凶暴なギャングからも一目置かれる男・サイラスが暗殺されることで動き出す。このサイラスを思わせる(あるいはモデルとなったであろう)人物が実在することをご存知だろうか。ニューヨークにおけるギャング抗争を身を挺して止めた、コーネル「仲裁者」ベンジャミンだ。

平和を愛するファンキーギャング「ゲットーブラザーズ」の時代

ベンジャミンが所属していたプエルトリコ系ギャング「ゲットーブラザーズ」は、結成当時は家族的なクルーでしかなかった。黒人の権利獲得を目指すブラックパンサー党、プエルトリカンによるナショナリスト団体ヤングローズ党から影響を受けていたこともあり、アウトローながら平和を愛する集団でもあったという。ゆえに活動内容も若者の更正や地元での社会奉仕活動といったギャングらしからぬものが中心。さらにはラテンファンク・バンドを結成して、ポジティブなメッセージを発信していたというから驚いてしまう。ちなみに彼らの演奏は、Ghetto Brothers『Power-Fuerza』(1971年)として音源化もされており、中々カッコ良いので興味がある方はチェックしてみて欲しい。
こうしてゲットーブラザーズは、そのポジティブな姿勢でストリート内外でのプロップスを高め、最盛期にはブロンクスだけで2500人ものメンバーを抱える一大勢力となっていった。しかし70年代に入ると、ニューヨークのストリートはドラッグ絡みの抗争が頻発し、さらなる混乱期へと突入していく。ギャングたちは、わずか50ドルで殺人を請け負い、60〜71年で殺人件数は4倍に増えたと言うから、まさに最悪の状況という他ない。
そんな中、かねてからギャング抗争の仲裁に尽力していたコーネル・ベンジャミンが『ウォリアーズ』のサイラスと同様に暗殺されてしまう。愛する仲間を失い、怒りに燃えるゲットーブラザーズのメンバーたちだったが、最終的には平和を望んだ故人の遺志を尊重し、加害者への報復を行わないことを宣言。1971年12月7日には、サヴェージ・スカルズ、ロイヤル・ジャベリンズを始めとするニューヨーク中の有力ギャングを一同に集め、歴史的なギャング休戦協定を結ぶ。世にいう「ホー・アベニュー和平会議」である。この和平によるストリートの治安向上によって、のびのびと活動するようになったギャングたちは、地元で思い思いのダンスパーティーを主催。交流を深めるとともに、様々なカルチャーを生み出していく。

ブラックスペーズ、アフリカ・バンバータ、そしてズールーネイションへ

さて『ラブル・キングス』の時代には、もうひとつ注目に値するギャングが存在する。それがニューヨークでも勢力を誇っていた「ブラックスペーズ」だ。この集団のボスであり、1973年に分派「ズールーネイション」を創設したのが、かのDJアフリカ・バンバータ。「ヒップホップ」を定義し、音楽やアートの力でストリートから暴力を排除していこうと尽力した人物だ。ここまで言えばお分かりだろう。そう、ヒップホップはゲットーブラザーズがもたらした和平の流れがあってこそ誕生したカルチャーなのだ。

ヒップホップの思想は、和平を夢見ながら世を去った伝説の男コーネル・ベンジャミンの遺志を受け継ぐものだ。瓦礫の中で花開いた新たなカルチャーは、疲弊しきった街を、そこに暮らす多くのギャングたちを救った。本作を通して、この素晴らしいアートフォームの根底に流れるポジティブな精神を感じ取ってみて欲しい。