「おじいちゃんはデブゴン」高齢者なんだけどサモ・ハンが見せる生の暴力

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香港電影界のリビングレジェンド、サモ・ハン・キンポーが帰ってきた! おじいちゃんはデブゴン』はもうその事実だけでグッとくる。そうだよなあ……サモハンももうおじいちゃんだよなあ……。


懐かしいノリの人情喜劇ではあるんだけど……


サモ・ハン演じる主人公は元人民解放軍中央警衛局で要人警護に携わっていた憲法の達人ディン。ニクソンの訪中の時にもバリバリ仕事をしていた彼も、今やすっかりおじいちゃんになり、物忘れもだいぶ激しくなってきた。軍を退役したディンは中国北東部のロシア国境にほど近い街に住んでいる。

そんなディンと唯一心を通わせているのが隣の家に住む少女チュンファ。チュンファの父ジンガウは無職のチンピラであり、親子ゲンカをするたびにチュンファはディンの家に逃げ込んでいたのだ。ジンガウは借金返済のためにチャイニーズマフィアの指示でロシアンマフィアの宝石を強奪する仕事をこなすが、つい魔が差して宝石を持ったまま逃げてしまう。奪われた宝石を巡るマフィア同士の抗争に巻き込まれるチュンファ。彼女を救い出すため、ディンの殺人拳が火を吹く!

監督・アクション監督・主演はもちろん"デブゴン"ことサモ・ハン。製作にろくでなしの父ジンガウを演じたアンディ・ラウ(エンディングでは歌まで歌っています)、さらにゲスト出演としてユン・ピョウ、ユン・ワー、ディーン・セキ、ツイ・ハーク、エディ・ポンといったやたらと豪華な面々が出演しているという、サモ・ハンの芸歴の長さをうかがわせる陣容だ。

とにかくサモ・ハンの演出はまったりしており、最近のハイスピードな中国製アクション映画を見慣れた目からするとなんだかスローモーに感じられるかも。しかしそれが妙に高齢者になったサモ・ハンの挙動とマッチしており、なんだかとても懐かしいものを見ている気分になる。そういえば昔の中国アクション映画ってこういうペースだったよなあ……。

そんなまったりめのノリでベタなギャグをちりばめつつ、少女と老人の交流が細やかに描かれるくだりは非常に丁寧。少女と一緒にアイスを舐めながらスクラップ置き場をプラプラ歩き、川面に立って釣りをするサモ・ハンの姿はまさしく好々爺(でも中身はサモ・ハンなので、よく見ると目があまり笑っていない)。このあたりは人情ものとしても秀逸な出来栄えなのだけど、この映画はサモ・ハンが暴れる映画なので、それだけでは終わらないのだ……。

全体重を武器に繰り出す、生の暴力!


物語の後半、チュンファのためにチンピラの集団をぶちのめすサモ・ハンからは微塵も好々爺じみた雰囲気はない。そして本作のサモ・ハンはとにかく動かない。素早く動くのではなく、どっしりと微動だにしないことでその体重を見事に生かしたアクションを見せてくれるのだ。

敵の片手をとって背負い投げを決めるシーンでも体の軸が一切動いておらず、体重をテコにして軽々とチンピラを放り投げる。チンピラの手を掴んで捻り上げて骨を折るという動きにしても、肩から下だけがクルクルと動きつつも体自体はどっしりと軸が座っていて動かない。「ものすごく重いものに絡みつかれて気がついたら骨を折られている」という、やられる側からしたら悪夢みたいなアクションの連打なのだ。しかもサモ・ハンのあの体型でそれをやるので、見た目の説得力も半端ではない。

特に強烈なのが予告編にもあった、敵の肩を完全に極めた上で全体重を乗せたペディグリーをかけるシーン。「えっ……そんなことしたら死ぬじゃん……」というパワーに満ちた素晴らしい技なのだが、反面マジで痛そうすぎて見ているこっちがハラハラした。そして着地したあとに自分の膝を気にするサモ・ハン。体にガタがきた老人のアクションであることをうまく表現しているのだけど、それにしては繰り出す技がえげつなさすぎる。いわゆるアクション的な軽さではなく、むき出しの「暴力」を見た感じである。

というわけで、少女と認知症の老人の交流という暖かい人情喜劇パートと、死屍累々の重量級暴力パートのコントラストが強烈な『おじいちゃんはデブゴン』。かつてのサモ・ハン全盛期を知っている人はもちろん、初めてサモ・ハン映画を見る人でもギョッとするアクションがパンパンに詰まっている一作だ。
(しげる)